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思いこみと決めつけ [その他いろいろ]

思い込みと決めつけ(こうでなくてはならないという思い)

年とともに融通がきかなくなってくる頭と心。


あかんなあ。

あかんと思うよ。


もっと自由に、柔らかくされたい。

松ぼっくりが一杯.JPG
いいじゃないの、こんなに実をつけても。
こんなの見たことないからびっくりしたけど、
お店ではないの.JPG
何をしたっていいじゃないの。
驚かないでよ、自分の家の壁だもの。
好きにさせてよ・・・って言ってるのかな。
待っていての変わらない信号.JPG
黙って立って待ってても変わらないものは変わらない。
どこででもいつでも自分の中の常識が通ると思ったら間違いよね。

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春よこいこい。 [その他いろいろ]

 一週間前に狭心症の発作を起こし、ニトロのスプレーを使った。前は錠剤の舌下錠で、発作が収まるのに30分以上かかることもあったけれど、発作が軽かったのかスプレーが効いたのか15分ほどで治った。

 前に発作を起こしたのは秋口だったかなあ。

空の道.JPG

 ここ数年春と秋あたりに狭心症の発作を起こすようになった。私の場合は「冠攣縮性狭心症」で、日本人にとても多いものらしい。

 初めて起こしたのはもう10年くらい前のこと。循環器のお医者さんに診察してもらって、舌下錠を出してもらって早10年。毎年毎年飽きもせず、発作を起こしてはお薬にお世話になっている。

寒くなったしねえ。

春を待つ紫陽花.JPG
まあ、でも、きっと。
春は近いよ。



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61回目の1月19日 [その他いろいろ]

誕生日の日に、1人で家にいると、ピンポーンと宅配があった。受け取ってみると、東京で一人暮らしを始めたたかからだった。開けてみると三びきのブタのぬいぐるみとカード。そう、私はなぜか子どもたちからブタのぬいぐるみをいただく。忘れないでくれたこと、本当に胸が痛くなるほど幸せを感じた。

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その日の夕方、仕事から帰ってきたみんみは、この頃手が荒れて悩んでいた私に、ちょっと良いクリームをプレゼントしてくれた。

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そして、いっちは、昨年大感激だった勿忘草の株を今年は6つもプレゼントしてくれて、早速ホクホクしながら植えた。寂しい冬のベランダも希望に溢れるところになった。

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誕生日の日に嘔吐して熱が38度を超え、本当に久しぶりに寝込んだ私は、二日間熱に苦しんだが、同時に思いがけない休息と感激の時を過ごした。

61歳の誕生日。新しい日々に感謝。

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あれから24年 [想い出いろいろ]

いつもと同じように夕方を迎えた。

日が沈んで食卓を囲み、賑やかに夕食を食べた。

その日は、大きな集まりがあったので、とても疲れていた。

お客さんたちを送り出し、みんなで後片付けをした。

昼食に出た赤だしのお味噌汁が残っていたので、うちの台所に大鍋をおいたままにしていた。


今日のように明日があり、いつもの朝を迎えるのだと何の疑いもなく休んだのだ。

いっちとみんみは二段ベッドの上と下に、まだ3歳だったたかは私たち夫婦の間に寝ていた。

静かな夜だった。


たぶん誰もがそう思っていた。

今日のように明日があり、そうして日々が繋がっていくのだと。


でも違った。

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あれから24年。
忘れる?そんなことはありえない。
忘れることなんか出来ない。
今も涙が溢れる。
あの日失われた人。
あの日失われたもの。
あの日から与えられた繋がり。
あの日から与えられたもの。
忘れない。

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明けまして・・・

クリスマスをあっという間に(いやいや色々あったけれども…いやっ本当に色々あった!)過ぎて行き、もうお正月も過ぎて世間は仕事始めの時期。

もっと色々ブログに書きたいこともあったのだけど、仕事始めに合わせて書き始めることにしよう。(色々言い訳)


・みことば栞:今年は240枚書いたけれども、うちの教会には160枚。ちょっと体力と気力に翳りが見えてきたか?結局足らずに、昨年や一昨年の残り物も足してお渡しすることができた。(いや良いのか?…良いのだ。)今年はやはり240枚作ろう。

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・クリスマス礼拝:思いがけないことが起きて、盛りだくさんの本当に贅沢な感激のクリスマス記念礼拝になった。この日、出会って15年祈り続けていた息子の小学校時代のPTA友達が洗礼を受けた。そして、計画したわけでも願ったわけでもないのに、その友達が洗礼を受ける決心をした10月にあった集まりの素晴らしいゲストが、私たちの教会のまさに洗礼を受けるその礼拝に来られて、演奏をしてくださった。さらに、その友達が、自分の友人を洗礼式礼拝に招いて、初めて教会に来られた方が多かった。それに加えて、教会のメンテナンス工事をしてくださった業者のご家族もふた家族来られた。当日礼拝受付が混雑しすぎて、いったい何人おいでになったのか記帳も確認できなかった。感謝感激。

・愛餐会:今年はスペシャルゲストがおいでになられたので、いつものようなくだけた出し物はせずに、クリスマスメドレーを演奏していただいて贅沢な時間を過ごすことができた。持ち寄りのご馳走も毎年豪華で、みなさんに感謝。

・愛餐会が終わるとすぐに片付けをして、ゲストをお送りし、聖歌隊のリハーサルをして慌ただしく駅のコンコースでのキャロリングに出かけた。でも、設営などの時間が足らず、管理の方々には本当にご迷惑をおかけすることになってしまったのだった。申し訳ないです。個人的にも、管理会社との交渉から聖歌隊の指揮、MC、ユニットのコーラスなど、一人ですることが多すぎて、全く申し訳ない。これはチームでするべきことなのだ。チームを作れないということが問題だな。私の場合。

・イヴの集い:十分リハーサルをすることができたので、スムーズに持つことができた。ただ、この数年同じプログラムで催しているので、今年は新しいプログラムも考えたい。これもチームを作らなくちゃ。

・一日置いて家族のクリスマス会。楽しく感謝な良い時を持つことができた。それぞれプレゼントも喜んでくれて嬉しい時だった。

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・年末年始のショートステイを予約することができなかった父は、ずっと家で過ごした。お風呂に入れていただけないので、看護師さんに体を拭いてもらったりした。関東の妹たちが帰ってきて、父の世話をしてくれたので、私は食事作りもお願いしてとても楽をさせていただいた。感謝。
・元旦礼拝:一年を神様の前に礼拝を捧げて始められるという恵みは、本当に嬉しい。懐かしい方がおいでになったりして、幸せな時を過ごした。
・2日は夫の実家での新年食事会。恒例の鍋で13名がワイワイと楽しく過ごした。
・3日は私の実家での新年食事会。こちらは関東組が美味しい食事を用意してくれて、賛美を捧げ心を合わせて祈る時をもった。
・第一主日は礼拝後恒例の教会お鍋の会。小さな子どもたちから若者も大人もお年寄りもそれぞれのテーブルでお鍋を囲んで、賛美を歌いいろいろな出し物を見たり聞いたりして、大笑いの時感動の時をもった。
 
そして、一番大きな出来事。
たかが東京で暮らすことになった。たかは一人で部屋で荷物の整理をしていた。
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そして、昨日夜行バスで出かけて行った。本当は昨年の11月頃に行く予定だったのだが、いい部屋が見つからず新年早々の出発になった。私は、その日が近づいてきて夜寝られない時もあったし、きっと泣いてしまうだろうなと考えただけで涙が出てきたりしていたけれど、いざ部屋を片付け、荷物を作って発送し、昨日家族で食事をし、たかを家から送り出した時も涙は出なかった。こんなに胸が痛いのにね。
これからかな。
今日は夫と二人でたかの部屋の大掃除をした。
27歳のチャレンジ。
頑張れ。祈ってるね。

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何が正しいのか [その他いろいろ]

 これが正しい、あれが悪いというその口に、本当の正しさがあるのか。判断を下すための本当の価値を知っているのか。そのように思うのは人それぞれの勝手(笑)だけれど、こうあるべきと言った途端に、一つの律法を生み出してしまう恐ろしさがある。

 それなのに、心の中で密やかに「こうあるべきなのに」と断罪してしまう愚かさ。人の心はどこまでも底なしに深いなあ。

 


自分のことです。悲しいです。


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寒くなってきたーーーー。

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躑躅 [家族の事]

そうだった。

それで、祖父の大事にしていたツツジ(蝦夷ツツジ?)の写真をアップしようと思ってたんだった。残念ながら、関西に持ち込んだら、夏を越すことができず・・・気候のせいなのか枯れてしまった。

返す返すも口惜しい。

おじいちゃん、ごめんね。


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祖父母のこと [家族の事]

 母方の祖父は奈良で生まれた。祖父の父親の名前は「奈良一」……うん、わかりやすいな。祖父は、十代で、北海道の寺子屋の先生として開拓に加わった父親に連れられて、上川あたりに住むようになった。奈良一さんは学識深く、本当になんでもできる人であったと私の母は思い出話に話してくれた。

 一方早くに亡くなった母親は、座ってゆっくりしている姿を見たことがないというくらいの働き者だったらしい。食事も、仕事の合間に一人、お勝手で膝をついてかきこむようにして食べていた記憶があると話していた。


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 過酷な北海道の冬をいくつか越して、父親や妹や弟たちと生活する基盤を固めるために祖父は三井物産に就職した。奈良一おじいさんは道楽者で放蕩者でもあったらしく、のちに年老いたその奈良一おじいさんを祖父が引き取った時には、兄弟親戚の人たちが「信じられない。あのおじいさんを引き取るとは、あり得ないことだ。」と言ったとか言わなかったとか。それくらい、祖父は父親に苦労し、また苦労している母親の姿を見て来たのだろう。祖父は父親を好きでいたとは思えない。

 祖母と結婚して、勤めも忙しくなり、祖父は北海道中を転勤して回った。釧路(ここで私の母が生まれた)帯広、樺太、浜頓別、そして最後に留辺蘂。出張が多く、たまにしか帰ってこない夫を見て近所の人たちが、祖母のことを正式な妻ではないと噂していたらしい。祖母は渚滑の出身で、若い頃にミス渚滑と言われたほどの美人で、天然の明るい面白い祖母だった。

この祖母が救世軍の教会で信仰を持ち、私たち家族もまたクリスチャンへと導かれたのだ。

 祖父母は年老いて、住み慣れた北海道を離れ、埼玉の叔父のところに住んでいたが、やがて山形県米沢市に住んでいた長女である母の元に住むようになり、そこで最後を迎えた。

 病で手術を受けた後、祖父は突然亡くなった、残された祖母は寂しさが募り、無理をして北海道の家族を訪問することにした。初めての飛行機の旅であった。空の上から懐かしい北海道を見ながら、祖母は声を出して泣いたと言う。


 祖父母のことを思い出すとき、私の心には「故郷」と言う言葉が思い浮かぶ。ありふれた言葉だと思うけれど、生まれ育ったところ、懐かしいところ、家族、遠くにあって思うもの…。人それぞれ、色々だろうけれど。


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モミの香りと紅玉 [想い出いろいろ]

久しぶりの昔話。

…でも、秋になると昔話がよく出てくるなあ。ま、いいか。

 北海道の短い夏が過ぎると、秋の気配もあっという間で「ほとんど冬」という季節がやってくる。雪虫が飛び、遠くの山の頂が白くなる頃だ。

 家々では冬の支度に追われ、うちだって窓のビニールの覆いをかけたり、毎日毎日薪割りをして家の外壁に積んで行く。夏でも出しっ放しだったストーブの煙突を掃除し、つなぎ目を確かめていつでも使えるようにしておくっていうか、もう使い始める。

 家の中では、布団を変え、衣を変える。夏に着たおとっときの半袖もひらひらのスカートも(ああ、懐かしい!綺麗な茶色のふんわり袖のブラウスとクリーム色のプリーツのスカート!)タンスの中で長い眠りにつくのだ。代わりに分厚いセーターと分厚いズボン、分厚い靴下、ジャンパーとマフラーと手袋と帽子が出てくる。靴だって、可愛いサンダルからごつい冬靴に変わる。でも、思い出して見たら、子供の頃はいつも長靴だったなあ。スキーだって、長靴にゴムを引っ掛けて履くスキーやったなあ。……古っ!!

 なんとも言えない寂しく暗い空と冷たい風がやって来て、町も山も川も、私たちさえも茶色と灰色に変えて行く。

 

でも、その季節に父の実家からリンゴやミカンや柿が送られてくるのだ。父の実家は、その頃まだ果樹園をしていたので、りんごも大きな木箱のモミの中に、紅玉やゴールデンデリシャスや王林がいっぱい入って送られてくるのだ。本当に楽しみだった。父が釘抜きを持って来て箱を開けると、なんとも言えない香ばしい香りがして、一面のモミをそっとかき分けると真っ赤な紅玉が顔を出す。誇らしげな父が、早速そのリンゴを磨いて、ナイフで一口ずつ切って私たち子どもの口に入れてくれる。甘酸っぱくて香り高いその味は、今でも忘れられない。

短い秋は、紅玉の香りと味とともにやって来て過ぎて行くのだ。


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Hallelujah! What a Savior. [その他いろいろ]

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Thank you, Lord.

Thank you, for loving us with an everlasting love.

Thank you,father,that you showed this love to us while we were still lost.

Thank you for sending  Jesus to die in our place.

Thank you for the assurance that all things will work together for good for those that love you and are called according to your purpose.

Thank you for the promise that nothing past, present, or future will ever separate us from your love.

And we rejoice in the knowledge that you are indeed on our side.

Reveal your truth and power in and through us as we lift high the name of Jesus and sing his praises in all the earth!

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紫蘇と蜜蜂と雨と [今日の事]

ベランダの紫蘇の花に、ミツバチが次々とやってくる。

紫蘇の花の蜂蜜はどんな味なのかなあ。


現在うちのベランダに咲いているのは紫蘇の花だけ。


この10月は一年で一番忙しく慌ただしく悩ましい感謝な月なのだ。一年をかけて準備する大きな大きな集まりが、今年も思いがけず2日続きになり、そりゃあもう……。もう…何だろう。

とにかく、終わった。事後処理がまだまだ残っているけれど。


ベランダを忘れて、忙しく過ごしていたけど、適当に雨が降ってくれて良かったよ。感謝。出かけるのに雨は厄介だけど、ベランダには本当に恵みの雨だね。

私は雨が好き。

雨の音も、雨の匂いも、雨が降っている景色も、雨の中を歩くのも。

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雨は遠い昔の思い出と一緒にやってくる。

どうしてかなあ。


ゆっくりと雨の景色を眺めながら過ごしたいなあ。

ゆっくりと

ゆっくりと

雨の音を聞きながら。



あれ?

私疲れているのかも。

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約束 [その他いろいろ]

 どんなことがあっても、いつも心が平安でいられたらどんなに幸せだろう。人には色々な価値観があって、一体何が幸せなのかなんてわからないけれど、心が平らで安心してられるということはやっぱり幸せなんだろうな。

 台風が来たり、地震があったり、様々な恐ろしい事件や脅かされるニュースに満ちている世界の中で、小さな優しい涼しい風にほっとしたり、雲の間から差し込む光に頬が緩んだり、道端に咲くありふれた花に足を止めたり、人と人との繋がりに温かさや優しさを見つけて、思わず胸が熱くなったり…。

 目に見ることはできないけれども、何より確かなものに心を寄せる。

いや、目に見えないからこそ確かなものなのかもしれない。その確かなものは、時間や環境や状況では変わることがない。そう、約束は変わらない。

 

 神様の約束と愛と憐れみの中に住んでいるから。

 死も恐れることはない。いのちを与え、そして取られるのは主だから。

 

自覚しないうちに心に積み重なっていく疲れや重荷を、知ってくださって労わってくださる神様に心から感謝する。休息の時を感謝して取ること。手を離す時を恐れないで持つこと。もう一度戻ってくるために。


 「いつも主にあって喜びなさい。」

そして

 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、

  感謝を持ってささげる祈りと願いによって、

  あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

  そうすれば、

  全ての理解を超えた神の平安が、

  あなたがたの心と思いを

  キリスト・イエスにあって守ってくれます。」


 思い煩うことが大好きな(笑)私だけれど、手を離して神様に祈ること、委ねること、声にして知っていただくこと。

 そして、手放した思い煩いを取り戻さないこと。そうでしょ?


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懐かしい本たち [想い出いろいろ]

想定外のことが起こっても、その時に的確に最善と思える対応をしていくこと。

切り替えスイッチと呼ばれたあの「ペリー・ローダン」に憧れていた中学校時代のこと。ローダンシリーズにハマって(まだ第3巻が出たての頃。「No3.ミュータント部隊」という題に惹かれて購入・・・そして・・・)大変な事になったけど、流石に神学校に行く事になってからは追いかける(笑)のを断念した。その時に断念したり、手放したりしたものはそりゃあたくさんある。惜しいと思ったことはないけれど、あんなに夢中になっていたその時代の自分のことをどう思うかっていうと・・・楽しかったなあ。楽しんでいたなあ。いろんな意味で自由の時代かな。


今はもっと夢中になることがあるのだから、その頃のことを懐かしいと思うけれど、「もう一度」とは思わない。


先日も妹と「新人物往来社」の本の話になった。本当に夢中になって購入して読んだなあ。一体何冊持っていただろう。お小遣いのほぼ全てを本に使っていたなあ。記憶力も最高の頃である。その事について話し始めたら、何時間経っても終わらない。


あれみんなどこにいったのかなあ。本も記憶も・・・。

遠い空の彼方かなあ(笑)


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このところの毎日は… [今日の事]

朝晩の気温の差が大きくなってきた。

そういえば朝起きた時に、あまり汗をかいていないなあ、と思ったらもう秋だ。

でも、なかなか秋晴れの日がない。毎日毎日雨が降る。プランターの野菜に水をやる必要がなくて楽をしているけど、なんだかなあ。

ゴーヤが終わり、エゴマもサラダ菜も終わってしまった。(本当は枯らしてしまった。だってー暑かったんだもの……)

空いたところに何かを植えたい。コスモスとか?


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毎日変わることなく父の世話をさせていただいてる。

朝、まずはスムージーを飲む。その後デイサービスに出かける日はアテントを替えて寝衣から洋服に着替える。寝たきりの父を着替えさせるのにも慣れてきたけれど、前ボタンの服は毎回きつくて腕を通すのが難しい。着替えたら車椅子に移乗して居間に行きヨーグルト(母が作ったヨーグルトに甘酒を入れ炊いた黒豆を入れ、その上に玄米フレークを乗せるという高級朝御飯)を食べてもらい、薬を飲んで喘息の吸入をして、髭を剃り顔を拭き、その後頭を拭いて櫛を入れる。

朝ドラは欠かせないので(笑)その時間までには着替えを済まして居間に移れるように頑張る(頑張る目的がなんだか違うような気もするけど…まあいいや)

眼鏡をかけて、今はマスクをしてお出かけの時間がやってくる。

父は大きな人で、車椅子も大きい。移動はなかなか…なかなか大変だ。そして重い。毎回お迎えに来てくださるデイの介護士さんも、車に乗り換えるのはいつも大変だ。でも、たくさんの人がいるところで刺激を受け、楽しいことを見たり聞いたりやって見たり(してるかどうかは怪しい…多分きっといつもほとんど目をつぶったままだろうと思われる)そうしてシャワー浴を介助していただいて帰ってくる。

毎回嫌がらずに行ってくれるのは、わがままを言わない父らしいといえばらしいけれど、きっと何か楽しみもあるのだと思いたい。

デイサービスから帰ってくると居間に行き、しばらくそこで過ごすが、すぐにベットに行きたがる。まあ1日中座ったままでいると、疲れるのだろう。できたら夕食までは座っていて、居間で母と食事を取れるといいのだけれど。

今日は頑張ってそのまま食卓に座っていて、一緒に夕食を食べた。両親の分は早い時間に作って持っていくのだが、父の食事の介助は1時間以上かかる。それから着替えて車椅子からベッドに移乗し、着替えて寝支度が終わるともっと時間がかかってしまう。うちでは食事を待っていてもらうか、早めに一緒に作ってしまって食べていてもらうことも多い。とにかく気持ちが焦っていては、すぐに父に気付かれてしまう。それは本当にすごいなあと思うよ。わかるんだよねえ。

全て終わって今日は、少しベッドを起こしておいた。

「お父さん。寝ますか?それともこのまま起こして起きますか?」

もう一度「起こして起きましょうか」

小さく何度もうなづいた。

それで、そのままにしてあとは母に任せて帰ることにした。

今日の夕食はいただいた秋刀魚を焼きました。

うちのぬか漬けはなかなか美味しいよ。父は大好きみたいで嬉しい。


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母の米寿 [家族の事]


九月はいっちとみんみとたかの誕生日の月。

そして、私の母の誕生月でもある。

今年母は88歳になった。米寿である。めでたいことだ。

色々厄介な病を持っている母だが、毎日父の介護を共にしながらも、細々した家事も毎日の生活も守られて過ごせていることに感謝。

相変わらず可愛い母である。一言で可愛いと言っても、実にいろんな意味があるけど…(笑)


母の誕生日を機に関東の妹たちも集まり、お祝いの食事会をした。

一番下の妹が、米寿のお祝いの色は黄色だということで、大きな盛り花を送ってくれた。とっても素敵だ。

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父は起きて一緒に食卓につくことはできなかったが、居間で話し声や笑い声が響いていることを喜んでいた。
考えてみたら、昔から女ばかりの家族の中で、父は寡黙…にならざる得なかった?いや、もともと静かな人だった。実に中身は強い人であるが、普段はいつも穏やかで丁寧で静かな人だ。曲がったことが嫌いで、きちんとしていないことが嫌いで、「まあまあ」ということを納得できず、苦しい思いをしたこともあっただろうと思う。
高校を卒業して、神学校に入り、二十歳すぎで牧師として働き始めた。
世間を知らないという人もいるけれど、多分父は世間を知っても本質は変わらなかっただろうと思う。そういう人だ。
秋晴れの良い日に、車椅子の父と母と、父の好きな小さな花々を見に行けたらいいな、と思う、本当に。

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台風とおはぎ [その他いろいろ]

今朝は涼しい風が吹いている。

確かに季節が移りゆく空の色をしている。

久しぶりの晴れ間に洗濯物をいっぱい干すとなんと気持ちの良いことか。


先週は台風と地震の一週間だった。

台風はよく通るものの、昼間の直撃は初めてかなぁ。


すごい風だったけど、まさか停電になるとは夢にも思わず、誕生日のみんみがおはぎをご所望だったので、小豆を水につけていた。水につけて二時間後、停電ですわ。


まあ昼間だったので、困ったのは冷房と冷蔵庫。冷蔵庫は十時間ぐらいは開けないで置いたらなんとか中身は持つだろうと思った。

でも、冷房が切れたのには参った。もちろん暴風域だから窓は開けられない。

幸いガスは付いていたので暑さのこもる中で小豆を煮なくてはならない。このまま置いておいたら硬くなってしまう。仕方がない。

家族にブーブー言われながら煮る!暑さ倍増[たらーっ(汗)][たらーっ(汗)][たらーっ(汗)]


夜になり停電は解消できず、ろうそくをつける。

台風が来るということで、いっちは会社がとってくれたホテルで二泊の予定で朝から出かけた。たかはなぜか友達と一泊の予定で出かけていた。
なに、二人とも・・・。

でも後で考えると、この暑いのに、水も出ないのに、トイレも使えないのに五人も家の中にいたら大変なことだったかも。


夕方には風も雨もすっかり治ったので、食事は外ですることにした。外に出てみると、うちのある一区域のみの停電で、一つ筋を過ぎると電気がついていた。ほとんどのお店は台風のために臨時休業が多かったのに、一軒だけ空いていたので、早速入って美味しくいただいた。

帰り道、一本の道を挟んで明るく灯の付いている町と、真っ暗な町がとってもとっても不思議だった。

家に帰ってキャンドル(・・・いや、台風で停電の時はローソクやな)をつけて、何もすることがない。寝るしかない。

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夜中の3時頃、突然電気がついてエアコンがついてテレビがついた。明日までは無理かな、と思っていたのに、この夜中に工事してくださっていたのね…。関電さん。本当に感謝します。

隣の町の妹のところは四日間停電だったそうな。


そんなわけで次の日におはぎ作りました。

…そんなわけ?


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ゴマときな粉は中にあんこが入ってるよ。

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ありのまま [その他いろいろ]

以前に、アスファルトの隙間から芽を出して育った大根を「根性大根」などと呼んでテレビが放送していたことがある。

おそらく日本全国どこでもそういこと植物を見かけることはあるに違いない。

私の住んでいる地域でも、コンクリートやレンガなどの隙間から芽を出す植物はありふれている。


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みていると、根性やないなあ、これは。
根性で芽を出し、葉を伸ばし、花を咲かせているわけではないよ。
そう思う。
種に命があるなら、光を求めて伸びるのは自然。そして、隙間に沿って茎を伸ばし葉を出して、空気と光を求めて花を咲かせる。柔軟に、鷹揚に、自然に、ありのままに、いのちのままに。
そんな風に置かれたところで生きていくことが、自然でありのままで受け入れていける者に、私もなりたいな。

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四日間の休日? [家族の事]

今週は日本全国お盆休みのところが多いが、キリスト教界ではキャンプが目白押しで、夫もファミリーキャンプの御用で13〜16日まで軽井沢に。いっちとみんみとたかは、教団の四年に一度の青年全国大会(まあ青年キャンプのようなもの?)があり13〜16日まで大阪の貝塚にある大阪府立少年自然の家へと出かけて行った。

・・・

ということで、両親の介護とお世話があるとはいえ、なんと4日間も私一人!!

お家で私一人だけの生活!!

え?え?え?

初めてじゃない??


ふふふふふふ。


1日目

台風のせいか風が強く、お昼近くにみんなを送り出した後、家に戻ると誰もいないはずなのに、どこかで物音がする。窓やドアがガタガタ鳴る。これは、本当に怖いです。そして、それと同時に寂しさが押し寄せてくる。誰もいない。家の中に誰もいないのだ。家の中どこに行っても私一人。いやいやいや。当たり前だから。

そこで、冷静になって4日間の計画を立てる。

そうだ、誰もいないのだから、何時に私が何をしようと気にする人はいない。自分のしたいことをしたいときにすればいいんだ。自由だーーー!


私は何をしたい?


・・・部屋の片付け・・・。


とほほ。

ちっとも楽しいことじゃないじゃないの。

でも、この機会じゃないとできないし、きっと気持ちが良くなるよ。


両親の夕食は6時前後なので、夕食作りはいつも通り。

朝も、デイサービスがお休みで出かけない父がいるので、だいたいいつも通り。

でも、私の食事時間も全ての時間が自由だーー!


興奮したせいか、怖いせいか、寂しさのせいかなかなか寝付けず、明け方を迎える。

隙間に様々な書類を作ったりメールを送ったり・・・自分の仕事を片付ける。


2日目

まずたかの部屋の片付けと掃除、みんなのシーツや布団カバーや枕カバーの山ほどの洗濯をする。朝も早よから洗濯機を回す回す。

朝食と昼食は基本冷蔵庫の片付けで済ませる、楽ちん。

午後から玄関の片付けと掃除と飾り付けを変える。

途中で両親の家に来客があり、お接待。本当に感謝な時を過ごすことができた。

そのあと夕食の買い物に行って夕食を作る。

6時過ぎに両親の食事を持っていき、父に食べさせ、薬を飲んでもらって就寝の支度が終わるとだいたい一時間半。

それから家に帰って(家に帰っても誰もいない…帰る時間を気にしなくても大丈夫)自分の食事。それから、玄関の飾り付けのための布を縫う。なんと夜にミシンかけしても誰にも何にも言われない。

見たいテレビもないので、食事が終わると玄関の飾り付けの続きをして終わらせる。

合間に、ある集まりの発送準備の書類作り。

あと気になるところは電話台と電子レンジの棚。

構想を練って眠る。

流石に昨夜寝られなかったので、早くに眠りにつくことができた。


3日目

明日はみんなが帰ってくる。

あれ?意外と早いな・・・。

ずっと前から気になっていた私の書類棚と使っていない机の上の片付けに着手。着手してすぐ山ほどの書類を前に「これ、始めたはいいけど終わるんかい?」と自問。始めたら終わらせなくちゃ。結局途中残り物のおにぎりを食べたくらいで、夕方までに頑張って片付ける。うん、いい感じ。

6時過ぎ、今日は両親のところで夕食を食べることになっている。両親のところに行き準備をして、先に母といただき、そのあとで父に食べてもらう。父の食事は介助がいるので、一緒に食べることはできないでのある。父の就寝の支度をして家に帰り、部屋の掃除をして3日目が終わる。


4日目

この日は父のデイサービスの日。8時40分にお迎えの車がくるので、7時過ぎから出かける準備をする。無事送り出したら、10時からのミーティングのために教会へ。お昼過ぎまでいろんな話をして、3時過ぎ家に帰ると、ちょうどいっちとみんみとたかが帰ってくる。お疲れ様。

夫は金沢周りで帰る予定が、大雨のために北陸線が普通になり、帰宅は1日延期になったという。夕方買い物に行って、今日も6時過ぎ両親の食事を持って行く。介助して食べてもらって、就寝の支度をして寝ていただき、家に帰ってみんなの食事の支度。いっち達は疲れたのかぐっすり寝ていた。8時過ぎにみんなで夕食。


こんな感じで私のおやすみの日々は過ぎて行った。


そしていつもの生活が戻ってくる。


たった4日だったけど、自由な時間と自由な思いつきの行動ができて、これはいっちが「一人暮らしがしたい」と言うのも良くわかる、と思ったのだった。


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わからなくても仕方がない [今日の事]

昨日から少し強い風が吹いている。

だからと言って気温が下がったわけではないけれど、少し外出するのが楽になった気がする。

昨日は、10月にもたれる地域の女性の集いのための祈り会。月に一回持たれるのだが、昨日が4回目だった。

その後で、うちの教会のメンバーで参加した方々6人と、近くの隠れ家風のレストランでランチ。


ランチ!すっごく久振り?と思ったら、火曜のお昼に、妹と母と一緒にランチしたんだった。父がデイサービスで、夫は千葉県にお出かけ。いつもは妹と母が病院帰りにランチしているのだが、昨日は私も参加させてもらったのだった。忘れるの早いな。


どちらも、お部屋や景色や建物の感想から始まって食事の品定め、味のこと盛り付けのこと、使われている食器のことから様々なことをおしゃべりに次ぐおしゃべりだ。


昨日も、あっという間に時間が過ぎていき、ようやく腰をあげてそれぞれ散開した。


当たり障りのない話で対立することはない。意見が違っても、それはそれと割り切ることは難しいことではない。


でも、親しくなり、交わりが濃くなってくると、きっと意見の違いや考え方や感性の違いが対立を生んだりするんだろうな。




理解してもらえると思ったら大間違いなんだな。

うん。

自分が何のためにその話をするのか、何を聞いて欲しいのか、どう理解して欲しいのかを説明せずにわかってもらえると思ったら大間違いなんだよね。

でも、そんなこといちいち説明する?

わかってくれると思うでしょうが。

それが、わからないんだなあ。



すみません。

今朝は夫と少し言い争い。

その影響です。


入り口は色々。でも、きっと行く先は工夫次第で変わるんだよね。



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釧路・あやめが原


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こんな私が [想い出いろいろ]

60年間生きてきて、一番辛かった時はいつだっただろう。


あの時も、この時も、立ち上がることなんかできないと思った。

明日に進むことが辛くて苦しくて、このまま生きて行くことに意味を見出せない時もあった。

心の傷から流れるのは、失望の暗闇と怒りと落胆と渦巻く自分を責める思い。

世界のどんなものもそれを癒すことなんてできないと思っていた。

いつまで・・・いつまで続くんだろうと、心をかがめながら吹き荒れる嵐をやり過ごそうとしていた日々。

                                    




そんな出来事があったのに、その後どうやって過ごして、今こんな風に笑ったり楽しんだり喜んだりしながら日々を過ごせているんだろう。



時々、思い出しては胸が痛むときや涙が溢れる時もあるけれど、それでも、消す事など出来ないそれらの出来事の一つひとつが、こんなに愛しく感謝に変えられるなんて・・・・あの時しゃがみこんで苦しみながら時を過ごしていた私に教えてあげたい。


いや、そうじゃない。

教えなくて良い。知らなくて良かった。

あの暗黒の中を苦しみながら通って良かった。

もし、そうじゃなかったら・・・もし苦しまなかったら・・・もし明日を生きることさえ受け入れられないほどの痛みの中を通らなかったら・・・。


私は、私の人生の本当の意味と喜びを知ることができなかった。

もしそうではなかったら、私は、あり得ないことに、自分がどんなに愛されて愛おしまれて、かけがえのないものとして生かされているかを知らなかった。

苦しみと痛みの大きさを覆いつくす愛があることも知らなかった。

怒りや傷や自責の思いが、深ければ深いほど、そんな私が赦されて愛されているということの驚くべき奇跡を悟ることはなかった。


折に触れて、あの頃のことごとを思い出す。

いつも新しく強く深く胸を満たす思い。

それは



 私が神の子とされた

 罪人の私が

 


主よ。

こんな私が・・・。



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鐘を鳴らすのは私 [仕事の事]

 7月30日から8月1日までの三日間、茨城県にある神学校でもたれた夏のワークキャンプに出かけてきた。

 毎年夏に入る頃にもたれるこのキャンプは、一万二千坪ある神学校の敷地の整備(と言っても、ほぼ畑と林と原っぱだ・・・)と、これから夏の間もたれる様々な団体のキャンプが使う宿舎の清掃と、ワークキャンプ参加者の食事などのお世話が主なお仕事。

 私は一度も参加したことがない。もう若くないし、いまは父の介護もあるので、参加したいと思いつつ毎年諦めていた。でも今年は、鎌倉の妹が父のために来てくれたり、ショートステイを利用することにして思い切って参加した。

 神学生時代、学びとともに私たち神学生がする大きな仕事が、まさに敷地の整備や宿舎の掃除だったので、あまりにも懐かしく心が弾んで楽しみに楽しみにして出かけた。


 1日目の午後から、草刈機で草を刈る後から、熊手や竹ぼうきで草を集め、一輪車に山ほど積んで、畑の横で焼くために集めていく。半端ない暑さと日差しの中で、麦わら帽子をかぶり、タオルを首から下げ、背中には水筒を入れた小さな布のリュックをしょって、手には長い日焼け防止の手袋??をして、一心に熊手で草を集めていると、もう今から40年近く前の若かった頃を思い出した。

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 刈ったままの草をそのままにしておくと、下の草が枯れたり、湿気でカビが生えたり虫が大量発生したり・・・。大変だけど、草を集めて焼いていくことには、私たちの心の整理の仕方をも考えさせられて、本当に感謝な時を過ごした。こんな風に単純作業だけれど、体を思い切り動かしながら、心の中では自由に思い巡らす時が与えられることを、本当に本当に願っていた。

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 朝、昼、晩と厨房で多いときは30人くらいの食事作りのお手伝いをしながら、こういうこと本当に好きだなあ、と思った。

 一番嬉しかったのは、食事を知らせる鐘を鳴らすのをさせてもらったことかな(笑)毎回毎回「◯◯先生〜!鐘を鳴らして〜!」と言われて、喜んで鐘が下がっているところまで行って、紐を引き鐘を鳴らした。神学生時代も、こうして紐を引いて鐘を鳴らした。その頃は、食事の時間、授業の始まり、様々なときに鐘が鳴った。先輩や先生方から「鐘が鳴ったら即行動」と言われていたあの頃、従順であることを大切にしていたなあ。今はどうだろう・・・。

 最終日には、草を焼いた後の灰を、深くほった穴に一輪車で運び入れて終了となった。

 筋肉痛や腰と膝の痛みが心配だったけれど、夜に温かいお湯にしっかり浸かり、夜はゆっくり休んで、三日間どこも痛むことなく、心地よい疲れのみで、心には満足感と喜びが溢れて過ごした。


 今回は理事会がもたれるということで、夫に連れて言ってもらっての参加だった。食事で会うたびに心配そうに私を見ている夫に、感謝しつつ三日の間本当に自分のやりたいことを、やりたい通りに自由にすることができて、本当に最高の三日間だった。ありがとう!

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通院終了 [今日の事]

奇跡の(笑)鍼灸整骨院に通い、1ヶ月がすぎた。

1回目から全く痛みが変わり、先生の理に適った説明も本当に一つ一つが納得で、先生の説明、その通りに良くなっていく足腰に毎回びっくり。

そして、今日。

長い間歩いても痛みを感じなくなったこと、そもそも痛かったことを忘れていること。両足をついたときに、今までの感じとは全く違う接地感覚であること。この頃よく歩くようにしていることなどを話したら、先生は、歪みの矯正は完全ではないけれど、ほとんど正常に近いことで、また何かあったらおいでください…と終了を言われた。

すごい!治療終了だよ!


本当に素晴らしい体験をしたら、多くの人に知らせたい。

私は、ここの鍼灸整骨院のことをあちこちで話す。本当に本当に素晴らしいことが、私の体に起こったから。


ということで、妹が行くことになり、やはり何十年と悩み続けていた腰痛と足の痛みがどこから来ているかがはっきりわかり、その治療を始めたら1回目の施術で、ひどいむくみと痛みがなくなってしまったのを見た!!

上がらなかった足が上がり、むくみがなくなり!!立ったり座ったりが苦痛だったのに、それがスムーズになり!!

すごくない?!


そこで、今度は87歳の母のむくみと貧血の話をした。骨髄異形成症候群という病気ではあるのだけれど、その先生は、薬の効き具合もむくみも、食事と腸の活動によると言われた。そうなの!その通りなの!母はずっとずっと排便の不調に苦しんで来た。そこで、今度は母がお世話になることになった。良かった。        


治りますように。

良くなりますように。

元気が出ますように。

楽になりますように。

                                         
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長いお別れ [家族の事]

文春文庫:中島京子「長いお別れ」を一気に読み終わった。

エピソードの一つひとつに思い当たるものがあり、また経験したものがあり、そして、父の現状とは比べ物にならないほど大変な介護の現状を知らされたり…。


心の中を探られて、自分はどうだろうと省みて苦しい思いも味わった。


でも、何より何より、何よりも、改めて、記憶と分別を失って行く自分自身にどれほど父は苦しみ悩んだだろうと思わされて辛かった。


引き込まれて読み進んだが、最後の最後にミスター・グラントと崇の会話に、涙が止まらなかった。そうか。亡くなったのか。そうだ、亡くなるのだ。いつか。いつか。わからないけれど、確実にその日はやってくるのだ。


父は、私たちに長いお別れ『Long good-by」を教えてくれているのだと思い当たった。

少しずつ少しずつ記憶を失い、ゆっくりとゆっくりと私たちの世界から遠ざかって行く。それでも、このなかに記されているように、何かを忘れてわからなくなってしまっても、父は父以外の誰かに変わってしまったわけではない。


幼い時の覚えている元気で前向きで意欲的な父も、思春期の苦しみの時に語ってくれた思慮深く尊敬していた父も、大人になって一人前に扱ってくれて嬉しかったあの時の愛情深い父も、結婚式の時に「宝物だよ」と言ってくれた父も、歳老いて引退して近くに越して来て、心細さや不安を口にするようになった父も。


全ての父が今の父の中にあるのだ。


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不思議な空 [仕事の事]

「ああすれば良かった」とか「こうすれば良かった」

全てがおわってから反省する事、思い返しては悔やむ事多し。

でも、全ては主の御手の中に。


仰ぐはただ主のみ。

                                                                             
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ひろみちゃん [家族の事]

大阪の地震からもうすぐ一週間。西宮も5弱の揺れで、棚からものが落ちたりした。私と夫は、所用で日曜からでかけており、その土地の朝のニュースで地震を知った。

家で留守番をしていたいっちとみんみは、飛び起きて3階の私の両親を見にってくれたそうだ。割れた硝子を片付けたり、一緒に時間を過ごして夕食も一緒に食べたそうだ。ありがとう。


阪神淡路大震災のとき、いっちは7歳。みんみは5歳、たかは3歳だった。教会が避難所になり、近所の人や教会の人たちと避難生活を送った。全国から、さらに世界中からボランティアが来て滞在した。本当に感謝だった。驚いたのは、当時まだボランティアが定着していなかった日本人は、みな着替えのみで来てくれたのだが、外国人のボランティアの方々は、寝袋持参、食料持参、その上ボランティア活動の計画書と付近の地図を持って来て、すべての活動を自主的にしてくださった。


そんな中、たぶん一番ダメージを受けていたのはみんみだった。30分ごとに腹痛を訴え、落ち着かず、しばし仕事やボランティアの世話の手を止めて、みんみを抱き上げて過ごしたものだ。

このとき、ある方が手作りの高価なお人形をたくさん持って来てくださった。震災にあった子どもたちのためにと捧げてくださったのだ。そこで、近くの幼稚園に寄贈させていただいたのだが、その方のご厚意でみんみに一体下さった。

ひろみちゃん

ひろみちゃん.JPG
今回の地震の後で、いっちが気がついたら、みんみはひろみちゃんを抱いて寝ていたそうだ。思い出したのかなあ。あのころ、よくひろみちゃんを抱いて泣いていたみんみ。怖かったね。


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梅雨の合間に [今日の事]

六月を迎え、梅雨も盛り…盛りって言うんかな…。

ベランダに水をやらなくても良いから、ほんまに楽やなあ。


梅雨前

                                    

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手前は枝豆。その後ろはゴーヤと紫蘇。紫蘇は何度も収穫しているが、ゴーヤはまだ実が見えない。
真ん中に忘れな草。もうそろそろ終わりかなあ。悲しい。
ゴーヤの後ろにシロツメグサ、雑草?そうね。でも大大大好き。
その隣りにサンチュ。その前に、すみれの鉢が隠れている。
忘れな草の後ろにあるのはかすみ草。小さな株が大きくなった。
サンチュの隣りに三種類の朝顔。その前にアイビーと…
なんだかわからないけど、毎年葉が伸びて白い花が咲く不思議な植物があるんだけど、植えたのも覚えてないし、名前もわからない。秋がくると葉は枯れて、何も植わっていないような鉢になる。でも春がくると芽を出して…。あんまり不思議なので、そのままにしてもう4年。ちゃんと忘れないで芽を出して、葉を伸ばして花を咲かせる。地味な花(笑)でも、ちゃんと生きてる。
その横にはローズマリー。
コスモスも欲しいなあ。
冷たい雨が降る朝は、餌を求めてやって来る雀
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見つめられると辛いなあ。でも、もう春を過ぎて夏が近い。がんばれ。小さな雀。養ってくださるのは神様。
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もう夏が近いのに、やっぱり静まりの時は小さなルンペンストーブに香を入れてつけてしまう。立ち上る煙に心が揺れる。ふわふわ揺れながら、思い巡らしも深まっていく。
スピードを緩めよう。
待つことを恐れないで信頼しよう。
すべてを受け入れよう。
そう思うよ。

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恐怖の左足 [今日の事]

もう何年も、ずっと正座をすることが出来ない。

しゃがむことも出来ない。

ずっと左の膝がとても痛むし、多分かばって歩くせいで右の股関節さえも痛みだしている。これはもう仕方のないことと諦めていた。


今日。

友人に連れられてある鍼灸整骨院に診療を受けるために出掛けた。随分迷ったし、果たして良くなるのかどうかもわからないのに、お金をかけて治療をしてもらう必要があるのかとも思った。

でも、そこに通っている友人たちが、本当に腕のいい先生だと口を揃えて言うので、一度行ってみようと思ったのだ。


結果。

先生は、私の体全体を見てから、右足を持ち上げ「この右足は何かありましたか?」だって。


実は50年前に捻挫をして、中途半端な治療をした足だった。小学校4年生の時に、体育館で友人とぶつかって転んだ時にひどく捻ってしまい、しばらく立ち上がることが出来なかったほどの痛みを感じた。

小さな町の、小さな診療所で、電気治療をし、湿布と包帯を巻いてもらい、しばらく松葉杖をついて過ごした。治ったのかどうだったのかも忘れていた。その右のくるぶしは、ぷっくりとふくらんでいて、それはもう50年ずっとのことなので、捻挫の後遺症なのか、何をしても治るものではないと諦めていたのだ。


先生は、左の膝が痛むのも、右の腰が痛むのも、その右のくるぶしのせいでかかとが歪んでいて、体重をちゃんと両足で支える事が出来ていないからではないか、と言われた。


なるほど・・・・。

歪んでいるのか。

だからか。

私は雨の道を歩くと、いつも左足だけに泥が跳ねる。そういえば昔、高校の友人が「恐怖の左足・・・だけど、左足に泥を跳ね上げているのは右の足だわ。」と言ったことを思い出した。


もう50年も経っている古傷が治るのだろうか。


ゆがみを直し、鍼と灸とマッサージを受けテーピングしてもらって立ってみると、足の裏の感覚が変わっていた。びっくり。


しばらく続けてみようと思う。

診療代はなんと1000円。

続けてみようと思ったよ。


治ると良いな。

正座が出来ると良いな。

たくさん歩いても足が痛くならないと良いな。

・・・走れると良いな。(今は走ることが出来ない)

いや、普通に歩けると良いな。

                                                                        

子どもの木.jpg
                                    
どんなに古い傷であっても、ちゃんと癒されていなければ、体全体に痛みを及ぼすものなのだ。ゆがみは、気がつかないうちに慢性になり、そのためにしっかりと立つことさえ出来なくなる。
                                                     
私の心はどうだろう。                                                              
解決出来ていない古傷はないだろうか。そのために、ゆがみが生じているというのに気付くことが出来ずに、あちこちに痛みや苦痛を覚えているのではないだろうか。
人生の棚卸しを勇敢に、しかし細やかにするべき時が来ているのかもしれない。ただただみ言葉によって・・・。
癒しを求めて・・・。


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60周年 [仕事の事]

6月の最後の日曜日は、私の所属している教会の60周年記念礼拝。そう。私の生まれた年、1958年の6月に、最初の礼拝がもたれたので、私と同じ年なのだ。


それで、初代教会のように、ともに礼拝を捧げ、パンを裂き、交わりを持ち…と、愛餐会を計画しているのだけれど、初めて礼拝堂で愛餐会をもとうと考えている。もちろん、反対の方もおられる。

長い間古い教会堂時代、礼拝堂が礼拝の場であり、交わりの場であり、食事の場であり、祝会の場であった私たちの教会は、新しく建築される教会の礼拝堂は、礼拝だけのために用いられるものとして設計され建てられたのでした。それから36年。

さあ、どうする・・・。

歴史は変わるのだろうか・・・。


ともあれ、礼拝堂入り口から講壇まで敷いてある緋毛氈が汚れないようにと、養生シートを捜している。1,1メートルの12メートルだ。

ネットで捜していたら、このブログのバーにまで、その養生シートの広告が出るようになった。

怖い時代だなあ。

いろんな情報は流れていくんだなあ。

                                                                         
♡が四つ.JPG

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五月だから [家族の事]

母の日に、いっちがプレゼントしてくれたのは、大好きな六花亭のお菓子。喜んで食べ過ぎないようにしなくちゃ、と思っていたけれど、あっという間に無くなりました。

美味しかった〜〜〜。

いっち!ありがとう![ハートたち(複数ハート)][るんるん][るんるん][るんるん][ハートたち(複数ハート)]

                                                                        
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五月に入り、暖かな風が吹き、雨もまた冷たい春の雨では無くなったようだ。そこで、虫に食われて全滅状態のベランダに、苗を買って来て植えた。
ゴーヤ、紫蘇、枝豆、サラダ菜、朝顔・・・。
虫除けをまいて、後は充分水をやって太陽を待つ。
狭いベランダだけど、いのちが育っていくのを見るのは本当に嬉しく楽しい。雀もやってくるけど、もう暖かな季節だから、パンのおこぼれはもうやらないよ。
                                    
五月ベランダ.JPG
                                                                        そういうわけで、ベランダに出るのが楽しみになった。

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何の虫だろう [今日の事]


春が過ぎていく。

春蒔きの種をいくつかプランターに蒔いた。

秋咲きのコスモス。紫蘇、苦瓜、茶豆、朝顔。

日当りも良いし、水はけも良い。

直播きでも大丈夫と思って蒔いた。


ところが、コスモスの可愛い芽が出るそばから消えていく。

いくつもいくつも消えていく。


うちのベランダはヒヨドリも来るし雀も来る。そこで、鳥よけのネットを張った。しかし、何の効果もない。とうとうたった一つ残った可愛い芽が消えた。

消えたというのは、大げさな表現ではなく、夕方に開いた新芽を確認したのに、翌朝早く見てみると、何もなかったことになって黒い土だけが「シン」としている。

虫だ。

どうしたらよいのかわからない。

どんな虫なのかもわからない。

誰か教えて。

古い土をよみがえらせる再生土を使い、深く掘り返して肥料をやり、十分乾かしてから種を蒔いたつもりだが、あかんかったらしい。

残念です。


今度は苗を買って来よう。


忘れな草は相変わらず元気に咲いている。心が和みます。                                                 

庭のわすれな草.JPG
下ばかり見ていると、目の前の出来事に心が捕われて、時を過ごすことが辛くなる。右往左往しながら、追い立てられるように過ごしている。時には目を上げて天を仰ごう。そうしよう。
                                                                          
靄の中の富士山.JPG

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