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元気の元の一つ

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えっ!? [今日の事]

びっくりした。


前の投稿から二ヶ月・・・。


 ほんっとうに忙しく、やらなくてはならないことがいつも山積みで、追いかけられて過ごしているのに、突然舞い込む対処するべきことやお仕事や孫ちゃんのお世話などに、くるくる舞をしながら過ごした二ヶ月…いやまだまだこれからが本番。

 この季節は毎年そうなのだけれど、そんなにキリキリして過ごしたわけではないけれど、よくやってるなあと思うよ、自分。


 とりあえず、白内障については今週二ヶ月後検診をして経過良好ということで、次回は1月の診察で終了になった。良かった良かった。とにかく今だに世界が綺麗に見えることに日々感動瞬間瞬間びっくりしている日々である。


ということを書いておこうと思った次第です。


天使とキャンドル.JPG


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見えすぎるって怖いって。 [その他いろいろ]

昨日 両眼の白内障の日帰り手術を受けた。


私には持病があり、通っている病院の先生から年に一度は眼科に行くように紹介状も頂いていて、近くの眼科に5年ほど通っているが、そこではいつも副院長先生が診てくださっていた。毎年初夏に行って特に問題もなく過ごしていた。

今年、いつものように年に一度の診察に行ったら診てくださったのは院長先生だった。

そして「僕だったら2年前には手術を勧めていたなあ。だいぶ進んでいるね。」と言われ、画像を見せてくれた。そこには本当に見事に白く濁った私の両眼の映像があった。


確かに、ものがはっきりと見えなくなっていて、光が差すと目の前が真っ白になってしまう。そんな状況がずっと続いていたので、いつの間にか見えないことに慣れてしまっていた。

見えないことに慣れるんだね人って。


知人には症状が進んでいて手遅れになって、手術をしても見えないままの人もいる。


怖がりの私にとっては、目の手術と考えただけでとても耐えられない恐れがあったけれど、このまま見えなくなってしまうことも怖い。そして、今している様々な働きも見えないことで支障が起きてきていることも事実。ということで決心した。


お金もかかるし、怖いし、気が進まないけれど・・・。


術中ずっと看護師さんが、ぎゅっとハンカチを握りしめている私の手を、暖かい手で包んでくれていた。ありがたかった。すごく心強かった。私は、ずっと頭の中で大好きな北海道の景色と孫の顔を思い浮かべていた。


夫はこの日から三日間、以前からの予定が入っており東京と仙台に出かけていて、私は病院の予定に合わせた手術日に決めたために付き添いの家族がおらず、日帰り手術なので一人で行って一人で帰ってくるつもりだった。家から歩いて3分。なんとかなるやろと思っていた。

なんとかなったかもしれない。でも、隣町の妹が忙しい中で来てくれて、手術が終わって出て来た私を待合室で待っていてくれた。その姿を見て心からほっとした。やっぱり緊張してたんやな。

歩いて家まで3分。

妹は、手を取って腕を支えて、道の段差に気をつけて一緒に歩いてくれた。

自分を大切にすることの下手くそな私は、ただただ申し訳なくってなんて言って良いのかもわからなかった。すぐに休むようにと言って妹はお土産とお見舞いを渡して帰って行った。

一人でいるのが気楽で大好きな私が、もう少し一緒にいたいと、初めて思った。


それが昨日の出来事。

1日4回忘れずに三種類の目薬をさすこと。2回の抗生物質を飲むこと。4日間は保護メガネを寝るときもつけ続けること、4日目までは毎日、その後一週間ごと、一ヶ月ごとに診察を受ける事。しなくてはならないことと、してはならないことが沢山あり、こりゃ確かに少し前は入院する事態なんだなあと思った。


そして、前から「見えるようになったために動きすぎて体を悪くしてしまう人」のことは聞いて知っていたし、亡くなった祖母は白内障の両眼を手術してその後脳梗塞を起こしてしまい、その後亡くなるまで認知障害をもったままだった。私は狭心症の持病もあるし、妹たちは心配してくれた。申し訳ない・・・。

今回自分が経験してそれがよくわかった。

見えすぎるので、それまでわからなかった家の中の汚れているところ、掃除するべきところ、なおすべきところが見えすぎるのだ。見えすぎるって怖い。

そう

多分人と人との関係もそうかもしれない。

見なくても良いところまで見えすぎてしまう。

見えても気にしなくていいのに、見えすぎてしまって気になって気になって、その「見えすぎて気になる思い」がやがて心の中で悪いものに変わってしまう。

批判や嫌悪や裁きや、排除や無視や怒り 直してやろうとするお節介 余計な矯正


ああ、そうなんだなあ


見えすぎるって怖いなあ。


私はとりあえずトイレとガス台を掃除した。

しなくてもいいのに。

いや、しちゃダメだろ。

術後4日間は、いや少なくとも次の日は安静にしてなくちゃ。

こういうところが私の課題だなあ・・・・。


と反省している今です。

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変わらないもの [今日の事]

夏の牧場.jpg

「夏の牧場」


今日は、教会で「交わり会」を持った。


4年前、コロナが世界を覆う前には「おさんぽの会」と言って、ご高齢の方々を主に対象にした集まりを持っていた。歌を歌ったり、誰かのお話を聞いたり、絵を描いたり、花の寄せ植えをしたり、おいしいお菓子を食べてただただ話をしたり聞いたり、そしておいしい手作りの昼食をいただいて、食後のコーヒーや紅茶をいただいて、讃美歌を自由にリクエストしてみんなで歌った。誰でも参加できる自由な会だった。

コロナのためにそんな集まりを持つことができずに4年目、ようやく収束の声が聞こえてきたこの夏に、教会の厨房が新しく改修工事をすることになり、秋には「おさんぽの会」を持つことが可能になりそう。やったーーー!!


この4月から、その準備という感じで昼食なしの集まりを持つようにしたのが「交わり会」。

今日はコラージュをした。テーマはスタッフとの話から「学生時代の夏の思い出」ご高齢の方が多いので、女学生時代のお話とかしてもらおうという企み。

とても盛り上がって、それぞれ四人組のテーブルは大賑わいだった。

感謝。

 

あとで色々考えさせられた。

毎回コラージュをすると、分かち合いの中でいつもいろんな気づきを与えられる。

自分の心や周りの人の心、今の状況について、これからの事。

そして、過ぎた日々のこと。

今回は、前に作った私の作品を見たいと言われて、取り出して並べてみた。

初めて作ったのは2009年・・・・14年前か・・・色々あったなあ。

その時の自分の思いや環境や、周りの人々の状況を思い出して感慨深いものがあった。

揺れ動く心、、、。移り変わる状況、、、。



ただ一つ変わらないのは私の神様の愛と憐れみ。



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なるほどだわ [家族の事]

欲しいものは欲しいと言う。

言ったからとて手に入るとは限らない。

入らないから大泣きする。

好きなものは好きと言う。

たまに笑われたりする。

笑われたことがわかると大泣きする。

大事なものは握りしめる。

・・・離さない。

そのまま潰れることもあるから大泣きする。

あるいは取り上げられることだっってあるから大泣きする。

自分の気持ちを大切にする。

大切にしたいけど、時々自分の気持ちもわからない。

自分の気持ちもわからないから泣く。

しみじみ泣く。


なるほどね


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おんなじだね

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なるほどね [家族の事]

欲しいものは欲しいと言う。

好きなものは好きと言う。

大事になものは握りしめる。

・・・離さない。

眠くなったら寝る。

自分の気持ちを大切にする。

なるほどね。

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アンパンマンのシール。
アンパンマンは最強。

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花の思い出 [家族の事]

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深山竜胆は父の好きな花であった。

父は紫色の花が好きで、私は竜胆や桔梗などよく買っては父の家に持っていって飾った。


初夏から秋口まで、高い山の低いところに咲くこの花を、写真にとってはブログに載せたり、引き伸ばして額に入れて飾ったりしていた父は、群生する小さな花が好きなのかなあと思っていたが、姫百合も好きな花だったから、有名で派手な花壇などで育てられる花ではなく、あまり知られていない山などに咲く探さないと見つからないような花が好きだったのかなと思う。

米沢にいて体が元気な時にはよく西吾妻に登ったりして花の写真を撮っていた。

亡くなってから荷物の整理をしたら、山ほどそんな花の写真が出てきて驚いた。


お父さん。山にさく小さな花が本当に好きだったんだなあ。


ちなみに私は、毎年誕生日にいっちがくれる勿忘草が何より好き。

花そのものも好きだけれど、その花には幸せな思い出がいっぱい詰まっている。


父ももしかしたら、そんな思い出があったのかもしれないと思う。

深山竜胆・・・みやまりんどうの思い出・・・。

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風邪の日

久しぶりに風邪をひいた。

先週木曜日、夫が一日具合が悪く後で風邪だったと知った。

どうやらうつったようで、月曜ぐらいから鼻水が止まらず今頃花粉症かな〜なんて思っていたら、火曜になって熱が7.8℃まで上がり、鼻水は止まらず、咳も出て頭と肩が痛くなり体がだるくてしんどくなって早くに休んだ。

次の日水曜日は、大切な集まりがあり、どうしても行きたかったが熱は下がらずご迷惑をおかけすると思い休むことにした。

休むことにした途端気持ちが切れたようにひたすら眠った・・・眠り続けて一日中寝ていた。久しぶりだったなあ。


風邪の日の素敵な理想の過ごし方は、お庭に面した障子越しに陽が入る和室で、お布団をひいて寝る・・・そして、たまに誰かが「大丈夫?」などと言って葛湯や白湯や冷たいタオルなどを持って様子を見にくる・・・って言うのがあるけど、実際は夢のまた夢だ。


誰もいない家で、暗いカーテンを閉めた狭い寝室で、ひたすら眠る。トイレに起きる以外はほぼ眠る。時々よろよろと起きてバナナを食べたり、葛根湯を飲んだりする。


とりあえず今日木曜日は平常運転中。


ベランダに水やり、デボーション、朝食用意、洗濯機回す、朝ドラ見る、洗濯物干す。

部屋の片付け、洗い物、物の移動、提出書類の確認

郵送物の郵送先確認のための電話と準備

(お役所の手続きってどうしてこんなにややこしいのだ?)

送金の準備、今週のミーティングの議事録の確認、自治会の会費集金の準備。

あっクリーニング取りに行かなきゃ。

と言う感じでいつもの1日が始まったです。


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まだ咳とだるさはしぶとく残ってるね。


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変わっていく・・・。 [想い出いろいろ]

今年も総会大会に出席してきた。


「今年も」と書いたけれど、コロナの間3年間は、ほぼ総会と派遣礼拝のみで、静岡にあるホテルの施設を借りて開催されたのだった。


今年は四年ぶりに、神学校のある茨城の施設で懐かしい方々とお顔を合わせて、足掛け四日間のプログラムであった。


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門を入ってすぐに、多くの古い大木が伐採されていることにショックを受けた。

この四年の間に何があったのだ!

敷地内のかつての風景は様変わりして、がらんとしたあっけない景色になっていた。

あちこち敷地内を「ええっ!!なんでやねん!」うわっ。無くなってる!」などとツッコミを入れながら会場まで歩く。


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新しい計画があるのだろう。

そう思いたい。

良い計画であって欲しい。

そのビジョンが楽しみと喜びに満ちたものでありますように。


一万二千坪の敷地とはいえ、なだらかな斜面が続いていたり、葦で覆われたかつての池や、蛇が住んでいる広い湿地帯。古びてもう人の住むことのできない多くの宿舎。

どこを見ても思い出に満ち満ちているけれど、あまりにも古くて、手の入れようも無い広いだけの土地・・・。


かつての見事な桜並木も、3本並んだ仲良しの杏の木も、春になると良い香りを漂わせた沈丁花の大木も、遠くから見ても聳え立つ白木蓮の木も、枝いっぱいにピンクの花を咲かせた百日紅の木も、お茶の葉の生垣も、柿の林も栗の林も、豊かな作物を実らせた広い広い畑も、春ごとにおたまじゃくしが泳ぎ、子どもたちがザリガニ釣りに歓声を上げた鯉の泳ぐ池も・・・もう無くなった。遠い遠い昔のことなのだなあ。


時が過ぎるということの残酷さを改めて教えられた。

歳をとるはずだ。


無くなったもの全ては、人の手が懇ろに加えられて保たれてきたものだった。

その人手がなくなった今、どうやっても保つことはできないのだ。


故郷も変わる。

懐かしい土地や物も変わる。

指の間からこぼれ落ちるように時が過ぎていく。

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そして、そうでなければ出来上がらない新しいものが作り上げられていくのだろう。


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何年経っても [想い出いろいろ]

今年の私の誕生日に、いっちが贈ってくれた勿忘草が長いこと咲いている。

小さな株をそれぞれ鉢に植えて、室内に置いて楽しんでいるものはこんな感じ。

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そして、ベランダの日当たりの良いところに、四株まとめて植えてあるのはこんな感じ。
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同じように根を張り、葉を伸ばして蕾をつけて綺麗な花を咲かせた。
同じ株なのに、こんなに姿が違うなんて改めて驚きだ。
どちらも正真正銘の勿忘草。同じ株。
室内で暖かく、陽の光をガラス越しにいっぱいに浴びてのびのびを葉を茂らせ、茎をぐんぐんと伸ばして広々と咲く花。
そして、開花は室内の株に比べるとはるかに遅く、みっしりと詰んだ葉の間からゆっくりこっそり濃い青紫の花を咲かせたベランダの花。
どうしてこんなに違うのかなあ。環境の影響ってすごい。
さて、私がいつも懐かしく思い出す昔々の北の国で、毎年春と夏の境目に田んぼの畦道で見た大好きだった勿忘草はどちらだと思いますか?

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突然の胃の痛み [その他いろいろ]

3月に入りました。

「2月は逃げる。3月は去る。」というけれど、本当にあっという間に2023年も3月を迎えた。いったい私は何をして過ごしたのかなあ。

記憶が全く曖昧である。・・・まあ大体いつもだけれど。(いいのか?)


2月の最後の日曜日に総会を終えて、ほっと一息。

夫と互いに「お疲れ様でした。」と思う。


ところが!その日の夜から急に激しい胃痛が!

激痛とはこのことか!

この痛み!覚えがあるような。


大好きだった蕗の薹が突然食べられなくなった時だ。

蕗の薹の天ぷらが出て一口食べた後に、激しい胃痛と気持ち悪さとで非常に苦しんだ。

その時は、突然で何が起こったのかわからなかったけれど、後で調べたらアレルギーを起こしていたらしい。いやアレルギーを起こしたのだった。えーーー?大好きでよく食べていたのに!ある日突然それは起こったのだった。そして、もうあの春らしい苦味のある美味しい蕗の薹を食べることはできなくなってしまった・・・しくしく。


今回は思い当たることが全くない。

全くないけれど、同じ痛みと苦しみ。もうお腹が破裂するかのような痛み。

何かに当たった?

それとも・・・

・・・・食べ過ぎ?

いやいや・・・・

・・・・やっぱ食べ過ぎ?

う〜〜〜〜ん。

確かに、総会を日時に終えて、気が緩んでちょっと食べ過ぎたけど・・・。


結局その夜からの胃痛は治ることなく、月曜も一日何も口にできず、痛みも治まることなくただただ死んだように寝ていた。痛みと闘いながら・・・。

火曜はようやく起き上がったけれど、胃の不調は今日も続いている。


夫が用意してくれたお粥を食べ食べ過ごした。

下したり戻したりはなかったし、ただただ胃?お腹が激しく痛かったのだった。

はあ・・・なんだったのかなあ。


火曜から関西はとても暖かくなって、昨日は少し外を歩いた。

いつも自転車でたーって走る道を、てくてくよろよろ歩いた。

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相変わらず空を見上げて歩いたり、木を見たり、花を見たり。

暖かくて春の花が咲き始めていることに気がついた。

鳥たちが囀っている。空を見上げると鳥だらけだ。

ヒヨドリや雀や鳩や、カラスももちろん。

この辺はそのほかいろんな種類の野鳥が飛んでくる。

姿が見えないのに、高いところで聞いたことのない声が聞こえる。

遠くまで響くその囀りを聴いていると胸が震える。

名前を知りたいと思うけれど、知らなくてもいいとも思う。

ただ聴いていると不思議な切ない気持ちになる。


今日は夕方から天気が崩れるらしい。

それもいいか。暖かいから。


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後姿 [家族の事]

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忘れないこと [家族の事]

今年も1月17日を迎えた。



暗闇の中で鳴り響いた轟音と人々の叫び声と、朝から鳴り止まないサイレンと、気がつかないうちに空にはヘリコプターが次々に飛んでいく。その音とサイレンの音が世界に満ちていた。


あれから28年・・・。


神戸のストリートピアノを1日に次々と回って、慰めの曲を引いてくださったT・Kさん。朝からどうしようかと少し悩んだけれど、決心して出かけた。集まっていた方々はその歌を聴きながらみんな涙だった。


そして今日、いっちからいつもの誕生日のプレゼントが届いた。

「勿忘草」

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私が育った北海道の田んぼ道に、春になると咲いていた大好きな大好きな小さな青い花。

もう何年になるか・・・誕生日を迎える頃に、いっちが忘れることなく送り続けてくれる。


「忘れな草」の意味が、一つではなく次々に増えていく。ありがとう、いっち。

涙が心を慰めてくれるなんて、本当に知らなかったよ。


忘れない・・・。



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一月の誕生日 [家族の事]

今日は孫の一歳の誕生日。

三年前に亡くなった両親にとっては初ひ孫。

まさかみんみが、結婚して!出産して!母になろうとは!


ということで、私の家族関係では一月に誕生日を迎えるのは孫を入れて5人目となった。

父と私と妹二人と孫。


寒い寒い冬の日に生まれたそれぞれ。

棚を整理していたら、私の育児日記が出てきた。主婦の友社から発行された「赤ちゃん読本」である。母が亡くなったときに本棚から出てきたもので、今から65年前のものということになる。

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初めは父が細かい字で書いてあり、退院して家に帰ってからは母の字で記録がついている。一週間ごとに書き込むページになっており、どんなふうに成長していったかが本当に詳しく書かれている。流石に初めての赤ちゃんである。母は28歳、父は25歳であった。

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一歳の誕生日の二日後に妹が生まれており、さらに二歳二ヶ月で2番目の妹がうまれているので、日記は一歳少し前頃から飛び飛びになり、最後の記載は二歳二ヶ月である。

記載は、私が仙台の母方のおばに預けられ、さらにそこから父の実家に預けられる記事で終わっている。

私医は全く覚えがないが、仙台に預けられてしばらくは夜になると「お母ちゃん」と言って泣いていたとか、父の実家ではしばらく「おばちゃん」と言って泣いていたとか、哀れな話を聞いたものだ(笑)


最後の最後まで母は「かわいそうだった。」と、思い出しては涙を流していた。

私は「こんなに幸せに育ったんだからちっとも可哀想じゃないよ。」と答えていた。


そんな事を思いながら、一歳を迎える孫を見ている。

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アドベントの季節 [今日の事]

 間もなくアドベント第四週を迎える。


 今週の土曜日に、教会のピアニストのピアノコンサートを計画していて、昨日はその準備と会場設営を奉仕してくださる方々と一緒にさせていただいた。

案内のポスターやお知らせを貼ったり、マイクや譜面台に飾り付けをしたり、ドリンクコーナーの準備や短い物語をパワーポイントで観ていただくので、その原画を貼って展示したり、それが終わると帰るみなさんを送り出してから、私は今年のクリスマスカードを切ったり貼ったり折ったり、封筒に入れたり(笑)いつもの作業をした。


 今週の火曜日に、神戸の北区で250枚の教会だよりを一軒ずつ配ったら、帰る頃に足が痛くなった。たった250枚でこんなことになるなんて年かなあ。少し時間が掛かったので、一緒に配布した6人の方々を待たせてしまった。そんなことも前とは違うと実感すること。それでも、心を合わせて奉仕できることは楽しみと感謝なこと。


 来週の土曜日には、この2年持つ事ができなかった対面でのイヴの集いを計画している。 

そしていつものようにイヴにお配りするみことばの栞を作成中。今年は300枚。全て違うみことばを聖書から選んで書く。

以前は栞に書く絵も全て手書きだったが、なんと今はカラーコピーという素晴らしいものがあるので、8枚の絵を描いたら、あら不思議(じゃないけど)きれいに印刷ができてあっという間に300枚の栞に絵が描かれる。素晴らしい!

ということで、今週土曜日のコンサートでのお話の朗読の準備と、来週土曜日のイヴの集いのことと、その日にお配りする栞のみ言葉書きに追われていると言う今日である。




 こうして一年が過ぎて行く。少しいつものクリスマスシーズンとは違うけれど、やはりクリスマスはクリスマス。

年の終わりが近づいているからか、クリスマスだからなのか、改めて痛みを覚えながら、一人ひとりのことを思い、心から祈る。母がそうであったように。


 一人ひとりに神様の御心がしめされますように。その人生に主がお生まれくださったことを感謝し喜ぶ思いが与えられますように。受けることにまさって与えることを喜ばれた主と同じ様に、私たちも生きる事ができますように。愛は赦すこと。それを教えてくださった主の愛に感謝しつつこの季節を過ごす事ができますように。


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これでいいのか [仕事の事]

と言うわけで全く忙しい日々を送っている。


もうブログを開けても何を書いていいものやら。


しなくてはならないパソコン仕事が山になっている。

行かなくてはならないところがたくさんある。

行ってしなくてはならないことが次から次に起こってくる。


もちろんその前に考えなくてはならないことは途切れがない。


相変わらず助けを求めることが下手くそだ。


こうして日々が過ぎていく。


大好きなコスモス

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秋が来た〜

ゆっくりと行きつ戻りつ秋が来た。

ある日空気が涼しくなり、朝起きた時に何かを掛けていないと寒いと思うようになった。そう、夏の間私は、いつも何も掛けないで寝ていた。以前はそれでも身体中に汗をかいて気持ちが悪かった。でも、今はそんな変な汗のかきかたをしなくなったなあ。どうしてかな。

持病の数値がこのところとても良い。それもあるかも。


いつものことだけれど、夏が終わると途端に秋とクリスマスの準備や催し物で大変な忙しさになる。一つひとつ乗り越えながら日を過ごす。


頭も使うし手も使うし身体も使う。


いや、どちらかというと身体を使うことは少なくて、デスクワークがほとんどだ。

でも手を動かす前(実際に作業にかかる前)に、頭の中で完成図を想像して組み立てて、頭の中で試行錯誤して、頭の中で何度も何度も手順を確かめて目標に至る道を探すことに時間がかかる。おかげで、夜中に目が覚めると自然にその流れが蘇って、何度も何度も手順を確かめて、やり直し考え直しやり直し・・・眠れなくなるという日々を送るのが今の季節だなあ。


そうして一つ一つが完成に向かっていく。

中秋の名月


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おかえり・いってらっしゃい [家族の事]

8月に入り、長い出張だったみーの旦那様も無事に本社勤務に戻り、次の現場までの間は確実に家で過ごすことができるということで、ほぼ2ヶ月我が家で過ごしたみーとこっちゃんは、新しい家に再び帰っていき、3人での生活が始まった。

私は、帰って行った後の部屋がそのままであると、なんとも寂しく悲しく心落ち着かないので、帰っていったすぐ後に全てを片付けて元の通りに直す。何もなかったかのように痕跡すらも消してしまったその部屋に、東京からようやく夏の休みを取ったたかが帰ってきた。

9月はいっちもみーもたかも誕生日を迎える。3人とも帝王切開だったので、同じ9月に予定日がわかったとき、産婦人科の先生は「いつにする?(手術のこと)同じ日にする?揃える?」と聞いた。う〜〜〜〜ん。

結果的に5日6日10日となった3人の誕生日である。

ちなみに美知子(亡くなった私の母)の誕生日もやはり9月である。また、夫の弟も9月。

1月と並んで9月はお誕生日のラッシュ月である。


そこで、4日の日曜日の夜に、帰ってきたたかと、みーの旦那さん大くんとも一緒に家族のお誕生日食事会をした。お馴染みのイタリアンレストランを予約して、わいわいと総勢7人(8ヶ月になったこっちゃんも入れて)楽しくお食事会であった。「お誕生おめでとう!」「お帰りなさい!」「お疲れ様!」という挨拶が入り乱れた。私はZOOMでの集まりが6時半からあって、残念ながら序盤で抜けて帰ったのだった。楽しくお食事をして帰ってきたらしいが、夫はほとんど食べなかったという(笑)若者4人に美味しい食事を堪能してもらってよかったよ。


そして、たった3日間だけ家で過ごしたたかは、名残惜しそうに東京に帰っていった。帰ってから「もっとゆっくりできたらよかった」というメッセージが送られてきたけど、帰りたいと思ってもらえる家で本当によかった、嬉しいと思った。


家族の在り方が変わっていく。さらに変わっていくだろう。

当たり前のことだ。けれども、年齢を重ねていくと、その変化に心がついていきにくいということを経験する。いろいろな思いが心の中に渦巻いて、良い思いばかりではない、心配や不安や寂しさや少しの悲しみなどがはっきりとした言葉にならずに心の中に重く残ってしまう。


私もまた父や母に同じような思いを与えながら今ここにいるのだなあと思う。


さらに父や母も、その父母にやはり同じような思いを残してその一生を送ったのだなと思う。


「そうなってみないとわからない。」

よく言われるけれど、本当にその通りだ。そして思った。わからなくていい。そう、わからなくてもいいんだ。そうなって初めて思い至ることの中にこそ、愛や慈しみや憐れみや優しさがある。感謝がある。


ありがとう・・・という思いと言葉があるんだ。


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線路は続くよどこまでも

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えっ!? [その他いろいろ]

昨年からだったか。

いつからだったかはっきり覚えてはいないのだけれど、左の股関節が朝起きた時からコツッコツッと変な音がするようになった。すぐに聞こえなくなるのだが、変な違和感が残った。

買い物の後、癖でいつも右肩に重い荷物を背負ってしまうのだが、その後どうにも左の腰や股関節周りや太ももが痛んで、普通に歩くのにも難儀するようになっていた。


6月初めに雨が降り続いて、それでも買い物には行かなくてはならず、かなり重い買い物袋を例によって右肩に背負って家まで1キロ半ほど歩いて帰った。その後、しばらく股関節の激痛に苦しんだ。足を引かなくては歩けないほどになり、夜寝ている間も痛みで目が覚めるほどだった。あまりに痛み続けるので、病院嫌いの私も流石に整形外科に行くことを決心。駅の近くの病院へ行った。レントゲンを撮ってもらって見たところ、確かに年相応に軟骨が減っているのは分かったのだけれど、その痛みの原因はわからない。お医者さんはすぐに近くの大きな病院のMRIを予約してくれた。骨の中が壊死しているのかもしれないとのことだった。怖いっ!

次の日MRIを撮ってその結果が最初にいった病院に報告されたらしく、次の週の初めに来るようにとのことだった。

結果は異常なし・・・・。

お医者さんはしばらく唸った後「まあ良かったですね。」と言った。そうね。壊死してはいなかったね。異常なしだったね。この激しい痛みの他は・・・。ということで三種類の痛み止めの薬が出たのだった。それで終わり…。

けれども痛みは続き、とうとう階段が一歩ずつしか登れなくなり、歩く時も左足を引きずらなくては歩けなくなってきた。夜寝ている間の左股関節と太ももと腰の痛みは耐え難いほどだった。


そして私は決心したのだっ!

あそこに行くしかない。

いやもっと早くに行けばよかったんだ、多分、いやきっと。

なんとかなるかもしれない・・かもしれない・・・。


ということで行ってきました。

T鍼灸治療院!!奇跡の手を持つT先生のところに!

先生は例のごとく廊下の向こうで、待合の椅子から立ち上がって歩く私をじっとみていた。

足を引きずりひょこひょこと傾き「痛い・・・」と小さく言いながら歩く私を。


このシュチュエーション覚えがある。

もう4年ほど前自転車で転んで歩けなくなり、今回とは違う整形外科でレントゲンを撮って骨に異常がないということで湿布薬を出された後すぐに、T先生のところに行った時も、先生は同じように、娘に助けられながら待合の椅子からよろよろと立ち上がって診察室に向かう私を、廊下の向こうでみていた。

そして言った。「右足首の捻挫と左太ももの肉離れと、後はぎっくり腰ですね。」

その時も数回の治療ですっかり直ったのだった。


今回は、まず鏡の前で肩幅に足を開いて立ち、右手を平行にあげて先生が上から押す。

大丈夫。

次に左手も同じようにする。

痛いっ!痛くて耐えられない。

次に右の足に重心を置く。

大丈夫。

左足に重心をおこうとするのだが痛くて左側には傾くこともできない。


診察台の上で、先生は私の左の足を曲げて、左へふらふらふら…と2回揺らした。

その間10秒ほど。

それから「もう一度鏡の前に立ってみてください」と言われて診察台から降りて、廊下の鏡の前へ・・・あれっ!私、いま普通に歩いてる!!?痛くない!?えっ?

同じように右と左に腕を伸ばし、先生が上から押す。

えっ!痛くない。

右と左にしの重心を置く。

えっ!!

出来る!

痛くない!!

どういうこと!!??


もう笑いが止まらない。

たった10秒!どういうこと!?


もう一度診察台に戻り、鍼とお灸をしてもらう。

その後先生は右の足首のマッサージ?を丹念にしてくださった。

ん?右の足首?

痛いのは左の股関節なんですけど?


その足首は今から50年以上前に肉離れを起こし、町の小さななんでも屋外科病院?で電気治療をしてもらって全く治らなかった過去があり、腫れていてうまく曲がらないままこの歳になった因縁の足首である。


とにかく、治療が終わり帰りはスタスタと歩いて帰ったのだが、その後3回の施術をしていただき、ほとんどすっかり痛みが引いて、寝ている時の痛みについては全く!嘘のようになくなった。階段も登れるし普通に歩ける。そして、先生から右を庇って左に重心が入っているので、股関節の神経と筋に傷みがあるようだとを言われた。歩き方を少し意識的に変えること、重心を片方にだけ載せないようにということを言われて、後一回で治療は終わる。左の股関節の痛みには、右の足首の腫れも関係しているようだった。なんと・・・。


今回最初の治療のとき、たった10秒ほどで痛みも傾きも治った後、先生と一緒に笑いすぎて最後は涙が出てきた。嬉しかったのと、レントゲンとMRIに払った高い治療費を思って・・・。


やれやれです。


早く行けばよかった。

T鍼灸治療院。

でも、よかった・・・。

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孫のこと [家族の事]

7月の初めから、みんみと孫がうちで一緒に生活することになった。

お婿さんが2ヶ月にわたる長期の出張になり、引っ越したばかりのまだ片付かない新居で生活するよりも、その間実家に帰った方が6ヶ月を迎える孫のためにも、みんみのためにも良いだろうとのこと。

リビングの隣にある和室六畳での生活が始まった。今日でちょうど1ヶ月。


小さい人がいると本当に全ての大人の生活は、彼女が中心になるのだなあと実感する。

毎朝起きるとまずすぐにこっちゃん(孫)の顔を見にくる伯母(いっち!)

どんな時もこっちゃんの顔を眺めて時を過ごしてしまう祖父母(私たちのこと!)


ベビーバスでのお風呂から、大人のお風呂に入るようになり、離乳食が始まり、いつの間にか寝返りも上手になり(その割には元に戻れず泣き声をあげる)声をあげて笑い、周りの大人が何をしているのかをじっと見つめる。教会では人見知りがあり、また慣れてくると愛想笑い?もする。


少しずつ少しずつできることが増え、少しずつ少しずつ大きくなっていく。

真剣な眼差しと、愛を信頼して見つめるその目に胸が迫る。


こんなふうに私も、あなたを見つめたい。

こんなふうに素直に必要を求めたい。

こんなふうに心からの笑顔をあなたに見てほしい。

こんなふうにあなたに向かって思い切り声をあげて喜びや悲しみを表したい。

こんなふうに全てに安らいであなたの御手に委ねて休みたい。

このおさなごのように。


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暑い毎日 [その他いろいろ]

時間が過ぎていくのは早い。

毎日があっという間に過ぎて行くなあ。


このところずっと昔のブログを見返していた。随分忙しく過ごしているのに、毎日のようにブログを書いているのを見て、忙しい方がきちんとしているなあと思った。

その頃と今とでは「忙しい」の質が変わったのかもしれないな、と思う。


梅雨の時期を過ぎて、いきなり夏真っ盛りに入ったような気温が続いている。北海道で育ったけれど、生まれは岡山県の当時の真庭郡。生まれた時に暑い気候に対処できるように汗腺やその他が整ったのかな、と考える。

父は山形県、母は北海道。どう考えても北国仕様のはずだけど。


岡山県、北海道、茨城県、山形県 そしてまた茨城県、横浜に一年、そしてそれからずっと兵庫県。あちこちで過ごしたけれど、やはり幼年期から過ごした北海道が一番懐かしく慕わしい。夏でも寒くて長袖を着て、夏の初めはストーブをつける日があったりする、そんな気候が好きだ。冬のキンと硬い寒さも、少しずつ解れて行く行ったり来たりの春も、いきなり全ての花が咲き始める初夏も、本当に好きだ。


と言うわけで、北の国を思いながら、今日も何もしなくても流れる汗を拭いながら1日を始める。しなくてはならないことが1日にぎゅっと詰まっているけれど、以前に比べると本当に自由だなあと思う。

忙しかったあの頃は、いつも何かを心配して胸が痛かった。そんな毎日が続くと、だんだん感覚も麻痺してきて、とにかく前の事をする、次に待っている事をする、その繰り返しの毎日になっていたと改めて思う。

今は?

歳をとってできなくなることも多いし、しなくても良いことはあえてしない選択もできるようになったけれど、心配性の気質はあまり変わっていないかも。

とにかく私のスタンダードはWWJD

そのような人生を送りたい、失敗だらけでも、うまくいかないことがあっても、心はいつもそこにありたい。そう願う。

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生きて行く道はまっすぐではないけれど、そこのところは真っ直ぐ行きたいのだ。
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いつも心の戻るところ、いつもそこにあって憩うところ、いつも目を覚まさせてくれるところ、いつも慰めを与えられるところ、いつも初めの思いを取り戻すところ、いつも私が誰かを教えてくれるところ、いつも・・・・。

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故郷 [家族の事]

5月15日日曜日に、父母の納骨式を無事に終えることができた。

5月らしい気持ちの良い天気だった。

墓地の横にある桜の木には、花はもうなかったけれど、地面には散った花びらがまだ残っていた。

父の故郷に住んでいる叔母も体が悪いのにきてくれて、従兄弟達も東京、仙台からきてくれた。従兄弟達も久しぶりに会うのだと言っていた。


これで一つの区切りがついたとも言えるな。


父がデザインして建てたお墓に、父と母の愛した人たちとともに納骨することができて本当によかった。

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この旅の間には思うところもいろいろあったが、とにかく一つの区切りであることは間違いがないな。なんとも言えない想いではあるけれど。

もう一つ、やはり30年両親が過ごした土地は、ある意味で故郷でもあるのかなと思った。実際考えてみたら、私はその土地に3年ほどしか住んではいない。それでも、折りあるごとに帰る家としてその家庭はあったのだから。


懐かしい景色、懐かしい食べ物、懐かしい人たち。

行ってみたいところは多かったけれど、今回は次回のために少し行かずに残しておいた。懐かしく胸の痛む場所はいくつもあるけれど・・・。またの機会を楽しみにしよう。


雪の跡を残す山を見上げていると、すぐそばに父や母がいるような気がする。

そんなことを思った旅であった。

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2009/9/9の記事 [その他いろいろ]

何にでも、すぐに反応して答えを出してしまう社会。


ボタンを押したら、それだけで結果が出てくる。しかも迅速に。

入力したら、欲しいものが得られる、すぐに。

一つの言葉だけで、たちまち結論を出してしまう人間関係。

うわべの現象で判断して、切り替えスイッチのように変わる生き方。

強くて賢くて、早くて大きくて高いことを良しとする世界。


実は、浅くて冷たくて軽くて危うい生き方が社会を覆っている。
「思い巡らすこと」が、まるで鈍く野暮で、今の世界の生き方に適応できていないように思われる。

でも、もしかしたら、起こっている事柄は、全く反対の意味を持っているのかもしれないと、思い巡らすことができなかったら、なんて私たちの生き方は人を傷つけ、信頼を壊し、愛を冷えさせるだろう。


人はその言葉の中に本心が隠れているのだろうと思う。
それは、現れた通りの言葉ではない。
むしろ、その言葉には全く現れていない裏側に、本当に言いたいことが隠されていることがある。

怒りの後ろにある寂しさや不安、無関心の裏に隠れている憤りや迷い。

人の内側にあるものは本当に弱くて悲しい。
でも、だからこそ神様の愛と力が必要で、その弱さの中にこそ現されるはず。


恐れないで、時を留めて思い巡らすことをしたい。
滞ることや障害にぶつかることや反対に遭うことやうまくいかない時には「セラ」

数えよ、ひとつひとつ。与えられている恵みを。
考えよ、とくと。愛されている事実を。
信じよ、全く。下には永遠の御腕があることを。


 


 


 


こんなことを2009年9月に考えたんだね。


昔のブログを読んでいて自分に教えられたよ。


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帰るところがあるよ [家族の事]

まもなく5月を迎えようとしている。

花々は咲き、空は青い。

そして、父母が召されてまる2年が経とうとしている。

ずっと前のことだったような、ついこの間のことだったような気がする。


今年の5月には、父母が最後に仕えていた米沢の教会の墓地に、父母の分骨を納骨していただく予定だ。コロナのために今になってしまった。

四姉妹でどこかに出かけるのは、多分初めて。

さらに、神奈川の妹の家に置いてある遺骨を持っての家族旅行だ。


相変わらず道を歩いている時に、花を見ても空を見ても、鳥を見ても木々を見ても呼びかけている。「お父さん。花が咲いたよ。この花好きだったね。」「お母さん、今日は晴れているよ。朝の散歩が気持ちいいだろうね。」そして、この頃になって聞いておきたかったことを思い出すことが多い。

 

もう2年

まだ2年


考えてみたら、みんみが結婚してこっちゃんが生まれて、この2年の間に二人の家族がいなくなり、二人の家族が与えられたんだなあ。


時が過ぎて世界が変わっても

変わらない愛する人たちのいる帰るところがあるよ。


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この頃のこと [家族の事]

みー家族がコロナに感染した。


お婿さんが会社の帰りに一緒に食事をした上司の方が陽性だったことが後で分かった。

分かった時には38度の熱が出ていて、病院で陽性とわかった。

みーと2ヶ月の孫は、「みなし陽性」ということであったが、三日後にみーがやはり38度の熱を出した。陽性であった。こんなふうに感染は起こるのだということを、目の当たりに見た。自宅隔離ということで、三人の家族は自宅でこもっての生活になった。

隔離中に3ヶ月を迎えた孫も共に・・・。

とにかく子どもに感染せずに済むようにひたすら祈った。

友人のお孫さんが7ヶ月で、家族で感染してからやはり感染して40度の熱を出したという話も聞いた。

みーのところは一緒に狭いアパートに住んでいるのだし、母乳だし・・・。

一週間が過ぎ、二週間も過ぎた。

こっちゃん(孫)は毎日元気に過ごしたらしい。

ラインの写真と動画が送られてくる。

まだ3ヶ月ということも良い方に働いたかもしれない。自分で移動することもないし、自分から何かを触ることもないし、母乳をやるときも抱く時も十分に消毒して気を付ける毎日。外に出ることが出来ないので、食料はドアの外に届ける。しばらくは顔を合わせて会うこともない日々だった。


ようやく隔離が解けるということで会いに行った。

二週間の間家にこもり、静かな環境も変わらず両親の顔しか見ないで過ごしたこっちゃんは、まだ3ヶ月なのに、私の顔を見てしばらく無表情でじっと私を見つめてから、おもむろに顔いっぱいで泣いた。やれやれ。

明日は久しぶりに外に出て、我が家にやってくるらしい。

泣くやろうなあ。

まあ、泣いてもいいか。

会えることに心から感謝。


知床3.JPG


今、いろんな状況にある方々のことを思うと胸が痛い。

愛する存在と会えないままの方や、痛みの中にある方、先の見えない状況でただただ祈りの中にある方々、紛争や争いの中にある家族、その小さな子どもたち、どちらの国の人々も、やはり痛みの中にあるだろう。願う祈りも思う通りにはならない現状や、思いがけない喪失と取り戻せない時間に苦しむ方々。


レントの時を過ごし、受難週にみことばと黙想と静かな痛みと思い巡らしの中を通り、私たちはイースターの朝を迎えた。


行き着くところはどこにあるのか。

この暗い困難な世界を、どう見るのか。

変えることができるのか。


それでも私たちは心から上を見上げる。

最善を知っておられる方に目を向ける。

痛みと喪失と暗闇と沈黙を経て、輝く朝に蘇られた方に。

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春の大会 [仕事の事]

春はいつも「羽鳥」から始まった。


コロナ禍のために一昨年から集まることが出来なくなって、ホテルなどの施設を用いての集まりに代わって3年になる。


あの朝日に輝く林の中の小さな祈祷室

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坂を登って降りていく集まりへの道
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古い床の軋む懐かしい講堂はもうない。
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北は北海道から、南は宮崎から、ともに集い祈り語り合い、新しく派遣されるために集まる。その集まりを慕わしく思い出す。
いつかもう一度、あの頃のように集まることはできるのだろうか。
今年、ホテルのカンファレンスルームで新しい一年が始まった。

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古い日曜学校の歌集 [想い出いろいろ]

私の手元に一冊の歌集がある。

今から50年前に父が作った日曜学校(教会学校)の歌集である。

その当時どれくらいプリントの技術が家庭に普及していたか知らないが、絵も楽譜も綺麗にプリントしてある。切り貼りした後が薄く写っているので、きっと何らかのコピー機を使ったのだろう。家(教会)にそんなものはなかったはずだ。どこかで借りたのだろうか。

ガリ版で週報などを作っていたのは知っているし、私も原稿を作ったり擦ったりした経験がある。

でもそれではない。

一枚ずつ折り曲げてホッチキスで留め、表紙は糊付けしている。

とにかく、もう表紙もボロボロのその歌集が懐かしく愛おしく、まだ30代だった父が、新しく教会開拓を始めた町で、希望を持って作ったのであろう想いが迫る一冊だ。

一曲づつ口ずさむと、あの古い小さな一軒家の教会と、和室をつなげた礼拝堂を思い出す。

まだ中学生になったばかりの私は何にもわからず、両親の祈りも願いも、また希望も理解していなかった。

どのくらいの子どもたちが集まっていたのか覚えていない。いやそれどころか、どんな風に集まりが持てていたのかも覚えていない。

なんてこった!そういえば、習字教室をされていた信徒さんの所の子どもさんたちが来ていたかな。信徒さんの子どもたちも集まっていたのかもしれない。

 

裏表紙に住所と学校名と、氏名が旧姓で、拙い中学一年生の私の字で書いてある。


もうその住所にその家は建っていない。

何年も前に更地になって、その後しばらくして新しい綺麗な家が建っているのを、いつか夫とその地を訪ねた時に見た。

家の前の庭にそびえていた三本の大きな杉の木も切り倒されていてない。周りの家々もすっかり変わっていた。

父の開拓した教会は、転任になった父の後にきてくださった若い女性の牧師先生によってその場所から離れて新しく建てられ、さらに建てられ、あの小さな古びた家の教会は、大きな素敵な美しい、青い空に十字架の輝く素晴らしい教会になった。

そして、あの頃を知っている人たちも、多くは天国に帰って行かれた。そう父も母も。


手元に残った歌集を見ながら、時の流れとともに変わっていくことと、どんなに時代が変わっても変わらないこととを思い巡らしている。


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月と会話 [今日の事]

相変わらず空を見て歩いている。

今日も・・・。

夕方に買い物に行くと、終わってスーパーを出る頃にはすっかり夕暮れの空。

そして私は必ず月を探してしまう。

そして必ず話しかけてしまう。

変なおばあさん・・・。

「ねえ、そこにいたの。

今日のあなたはどんなんだった?」


ここで少し涙が出てくる、いつも。

大丈夫かな私(笑)


「毎日毎日同じことの繰り返し

このところ心が少し疲れてたよ。

なんとなく今のままじゃだめって

すぐに思ってしまうんだ。

でもね。

今日は、思った。

ああ、これで良いんだ。

こうして1日を愛して過ごして

バタバタ過ごして

今日も明日も

喜んで過ごして

そうしてその日を迎えたら良いんだって。

そう思ったよ。

ありがとう。今日も変わらずそこにいるんだね。」


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マスクの中でモゴモゴとそんな風に呟きながら、豚汁の材料を買って帰ってきたよ。

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みかん7個 [家族の事]

ただいまみかん7個分
みかん7個分.jpg
 

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電線の向こう側 [想い出いろいろ]


泉ベランダ.jpg


妹のマンションのベランダからの眺め。

空も竹林も大好き。

そして電線。


昔々に聞いた話だけど・・・

明治の時代、ようやく田舎にも電話が通って、電柱に電話線が張られたそうな。

受話器の向こうから、遠い街に住む息子の声が聞こえる不思議。

おばあちゃんは、息子に食べさせたいものを風呂敷に包んで、そっと電話線にぶら下げた。

という話。


そういう話を思い出すから、青空に横切る電線は嫌いじゃない。

その向こうにつながる人を想うから。

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