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祖父母のこと [家族の事]

 母方の祖父は奈良で生まれた。祖父の父親の名前は「奈良一」……うん、わかりやすいな。祖父は、十代で、北海道の寺子屋の先生として開拓に加わった父親に連れられて、上川あたりに住むようになった。奈良一さんは学識深く、本当になんでもできる人であったと私の母は思い出話に話してくれた。

 一方早くに亡くなった母親は、座ってゆっくりしている姿を見たことがないというくらいの働き者だったらしい。食事も、仕事の合間に一人、お勝手で膝をついてかきこむようにして食べていた記憶があると話していた。


ポプラの雪道.jpg

 過酷な北海道の冬をいくつか越して、父親や妹や弟たちと生活する基盤を固めるために祖父は三井物産に就職した。奈良一おじいさんは道楽者で放蕩者でもあったらしく、のちに年老いたその奈良一おじいさんを祖父が引き取った時には、兄弟親戚の人たちが「信じられない。あのおじいさんを引き取るとは、あり得ないことだ。」と言ったとか言わなかったとか。それくらい、祖父は父親に苦労し、また苦労している母親の姿を見て来たのだろう。祖父は父親を好きでいたとは思えない。

 祖母と結婚して、勤めも忙しくなり、祖父は北海道中を転勤して回った。釧路(ここで私の母が生まれた)帯広、樺太、浜頓別、そして最後に留辺蘂。出張が多く、たまにしか帰ってこない夫を見て近所の人たちが、祖母のことを正式な妻ではないと噂していたらしい。祖母は渚滑の出身で、若い頃にミス渚滑と言われたほどの美人で、天然の明るい面白い祖母だった。

この祖母が救世軍の教会で信仰を持ち、私たち家族もまたクリスチャンへと導かれたのだ。

 祖父母は年老いて、住み慣れた北海道を離れ、埼玉の叔父のところに住んでいたが、やがて山形県米沢市に住んでいた長女である母の元に住むようになり、そこで最後を迎えた。

 病で手術を受けた後、祖父は突然亡くなった、残された祖母は寂しさが募り、無理をして北海道の家族を訪問することにした。初めての飛行機の旅であった。空の上から懐かしい北海道を見ながら、祖母は声を出して泣いたと言う。


 祖父母のことを思い出すとき、私の心には「故郷」と言う言葉が思い浮かぶ。ありふれた言葉だと思うけれど、生まれ育ったところ、懐かしいところ、家族、遠くにあって思うもの…。人それぞれ、色々だろうけれど。


雪と鹿.jpg


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