えっ!? [今日の事]
びっくりした。
前の投稿から二ヶ月・・・。
ほんっとうに忙しく、やらなくてはならないことがいつも山積みで、追いかけられて過ごしているのに、突然舞い込む対処するべきことやお仕事や孫ちゃんのお世話などに、くるくる舞をしながら過ごした二ヶ月…いやまだまだこれからが本番。
この季節は毎年そうなのだけれど、そんなにキリキリして過ごしたわけではないけれど、よくやってるなあと思うよ、自分。
とりあえず、白内障については今週二ヶ月後検診をして経過良好ということで、次回は1月の診察で終了になった。良かった良かった。とにかく今だに世界が綺麗に見えることに日々感動瞬間瞬間びっくりしている日々である。
ということを書いておこうと思った次第です。
変わらないもの [今日の事]
「夏の牧場」
今日は、教会で「交わり会」を持った。
4年前、コロナが世界を覆う前には「おさんぽの会」と言って、ご高齢の方々を主に対象にした集まりを持っていた。歌を歌ったり、誰かのお話を聞いたり、絵を描いたり、花の寄せ植えをしたり、おいしいお菓子を食べてただただ話をしたり聞いたり、そしておいしい手作りの昼食をいただいて、食後のコーヒーや紅茶をいただいて、讃美歌を自由にリクエストしてみんなで歌った。誰でも参加できる自由な会だった。
コロナのためにそんな集まりを持つことができずに4年目、ようやく収束の声が聞こえてきたこの夏に、教会の厨房が新しく改修工事をすることになり、秋には「おさんぽの会」を持つことが可能になりそう。やったーーー!!
この4月から、その準備という感じで昼食なしの集まりを持つようにしたのが「交わり会」。
今日はコラージュをした。テーマはスタッフとの話から「学生時代の夏の思い出」ご高齢の方が多いので、女学生時代のお話とかしてもらおうという企み。
とても盛り上がって、それぞれ四人組のテーブルは大賑わいだった。
感謝。
あとで色々考えさせられた。
毎回コラージュをすると、分かち合いの中でいつもいろんな気づきを与えられる。
自分の心や周りの人の心、今の状況について、これからの事。
そして、過ぎた日々のこと。
今回は、前に作った私の作品を見たいと言われて、取り出して並べてみた。
初めて作ったのは2009年・・・・14年前か・・・色々あったなあ。
その時の自分の思いや環境や、周りの人々の状況を思い出して感慨深いものがあった。
揺れ動く心、、、。移り変わる状況、、、。
ただ一つ変わらないのは私の神様の愛と憐れみ。
アドベントの季節 [今日の事]
間もなくアドベント第四週を迎える。
今週の土曜日に、教会のピアニストのピアノコンサートを計画していて、昨日はその準備と会場設営を奉仕してくださる方々と一緒にさせていただいた。
案内のポスターやお知らせを貼ったり、マイクや譜面台に飾り付けをしたり、ドリンクコーナーの準備や短い物語をパワーポイントで観ていただくので、その原画を貼って展示したり、それが終わると帰るみなさんを送り出してから、私は今年のクリスマスカードを切ったり貼ったり折ったり、封筒に入れたり(笑)いつもの作業をした。
今週の火曜日に、神戸の北区で250枚の教会だよりを一軒ずつ配ったら、帰る頃に足が痛くなった。たった250枚でこんなことになるなんて年かなあ。少し時間が掛かったので、一緒に配布した6人の方々を待たせてしまった。そんなことも前とは違うと実感すること。それでも、心を合わせて奉仕できることは楽しみと感謝なこと。
来週の土曜日には、この2年持つ事ができなかった対面でのイヴの集いを計画している。
そしていつものようにイヴにお配りするみことばの栞を作成中。今年は300枚。全て違うみことばを聖書から選んで書く。
以前は栞に書く絵も全て手書きだったが、なんと今はカラーコピーという素晴らしいものがあるので、8枚の絵を描いたら、あら不思議(じゃないけど)きれいに印刷ができてあっという間に300枚の栞に絵が描かれる。素晴らしい!
ということで、今週土曜日のコンサートでのお話の朗読の準備と、来週土曜日のイヴの集いのことと、その日にお配りする栞のみ言葉書きに追われていると言う今日である。
こうして一年が過ぎて行く。少しいつものクリスマスシーズンとは違うけれど、やはりクリスマスはクリスマス。
年の終わりが近づいているからか、クリスマスだからなのか、改めて痛みを覚えながら、一人ひとりのことを思い、心から祈る。母がそうであったように。
一人ひとりに神様の御心がしめされますように。その人生に主がお生まれくださったことを感謝し喜ぶ思いが与えられますように。受けることにまさって与えることを喜ばれた主と同じ様に、私たちも生きる事ができますように。愛は赦すこと。それを教えてくださった主の愛に感謝しつつこの季節を過ごす事ができますように。
月と会話 [今日の事]
相変わらず空を見て歩いている。
今日も・・・。
夕方に買い物に行くと、終わってスーパーを出る頃にはすっかり夕暮れの空。
そして私は必ず月を探してしまう。
そして必ず話しかけてしまう。
変なおばあさん・・・。
「ねえ、そこにいたの。
今日のあなたはどんなんだった?」
ここで少し涙が出てくる、いつも。
大丈夫かな私(笑)
「毎日毎日同じことの繰り返し
このところ心が少し疲れてたよ。
なんとなく今のままじゃだめって
すぐに思ってしまうんだ。
でもね。
今日は、思った。
ああ、これで良いんだ。
こうして1日を愛して過ごして
バタバタ過ごして
今日も明日も
喜んで過ごして
そうしてその日を迎えたら良いんだって。
そう思ったよ。
ありがとう。今日も変わらずそこにいるんだね。」
マスクの中でモゴモゴとそんな風に呟きながら、豚汁の材料を買って帰ってきたよ。
こんな毎日 [今日の事]
1日が過ぎていくのが本当にあっという間だ。
普通そう思うのは忙しくしている人だろう。
でも、私は何もしていないのに時間がどんどん過ぎていく。
何をしているんだろう。
焦りだけが心に残っていく。
朝起きたらすぐに、ベランダのプランターや、父母が残した鉢植えの草に水をやる。これは雨が降らない日は毎朝のこと。
それから、洗濯物を集めて洗濯機を回す。
時間が早ければシャワーをその時に使うが、少し遅れたら後回しにする。
夫がシャワーを使っている間に朝食の支度をする。
15分だけテレビの前に座って朝ドラを見る。
見終わる前に娘は自分の朝食を食べ、お弁当を作って出かけていく。
夫が玄関で祈って送り出す。
ほぼいつも同じ朝食。
朝食を前に一緒にお祈りをしていただく。
その間に洗濯物ができるので干す。
大人三人で生活しているのに、洗濯物は多いんだなあ。
夫は出かけるか、家でそのままパソコンで仕事を始める。
そうすると私は、スマホを手にしてSNSやらLINEやらを見る、見る、見る。
たまに朝からミーティングが入る。出かける時もあるが、今はほとんどリモート会議だ。リモートでも顔は見えるので、一応ちゃんとお化粧する。
会議のない時は、台所の洗い物をして、気がついた所を片付けたりしていると昼食の用意をしなくてはならない時間になる。うちはいつも夫も家で昼食を取るので、二人分作って昼食を食べる。
午後も会議が入る時があるが、やはりリモート会議だから家からは出ない。
3時になると「カーブス」に出かける。
帰りに買い物をして、夕食の材料や朝食の足りないものを買う。
帰ってきたら夕食作り。
娘が7時には帰ってくるので、うちの夕食は7時。
毎日毎日食べる。
あ、当たり前か。
でも、時々本当に思うよ。
人間って毎日毎日食べるよなあ、って。
夕食の後はテレビを見たり、紅茶を飲んだり甘いものを少し食べたりのんびりする。いろんなことを話す。
その後でパソコンに向かってSNSを見たり、仕事の書き物をしたりして、なかなか寝ようという決心はつかず(さあ寝ようって思わないとベッドには行けない体質?気質?性質)ついつい遅くなるけど、次の日の朝のことを考えると寝なくてはならないと思い横になる。が、簡単には寝付かれないので本を読みながら眠たくなったら寝る。
こんな毎日を繰り返していると、何してるんだろうと思う。
本当に何してるんだろう私、と思って情けなくなるよ。
今日は夕方の買い物の帰りに、近所のおじいさんが車椅子に乗って、娘さん?に押してもらって散歩している姿を見かけた。
そうだった。私もまた、夏の夕方風が涼しくなる頃に、よく父を車椅子に乗せて散歩に出た。デイサービスのない日は、そんなふうにして外に出て、川沿いをゆっくり散歩して花を摘んだりしたなあ、と思い出した。そして、もっともっと一緒に散歩してあげられたら良かった、と思った。毎朝早くに散歩していた母とも、一緒に歩けば良かったと思った。ごめんね・・・そう思ったら涙が止まらなくなった。久しぶりに空を見上げながら、泣きながら帰った。
本当にヒヨドリかどうかはわからない件 [今日の事]
少しずつ少しずつ春がやってくる。
ベランダのプランターに新しい花の苗を植え、ローズマリーやペパーミントの苗も植えた。同じように新しいプランターにスナップエンドウの小さな可愛い苗も植えた。ところが!
ある朝見てみると豆の可愛い黄緑の芽は、跡形もなく(おそらくヒヨドリに食べられて)影も形も無くなっているのだった。
網を買ってこなくてはならない。ヒヨドリを捕まえるためではない(当たり前か)新しい可愛い苗の芽を守るためだ。ヒヨドリには美味しいだろうが、私たちも美味しい豆を楽しみにしているのだ。
ということで、また苗を買いに行こう。守るための網も買おう。
みんみの部屋を完全に片付けた。たかの部屋も、私の勉強部屋として片付けさせてもらった。まだ彼らの遺物(笑)はあるけれど、それは置いておいてあげよう。
変わっていく家族のあり方に、ようやく少し心が追いついてきたのかな。
それでも今日もスマホに残る父と母の笑顔と声を見て時間を過ごした。
忘れてはいけないことと忘れても良いことがある。
そんなことを思いながら、懐かしい声をいつまでも聞いていた。
大丈夫。
涙の夜を過ごしても、朝には感謝の賛美が溢れるから。
1日の終わりに寂しさと不安を覚えても、新しい朝には希望と感謝があるから。
誕生日と待つことと旅のその先のこと [今日の事]
昨日19日、63歳の誕生日を迎えた。
若い頃は60代なんて本当におばあちゃんだと思っていた。
うん。
間違ってはいないなあ。
年とともに確実に老いていく髪質や肌や、身体の変化。
40代の終わりから白髪を染めてきたけれど、50代の途中からもう染めるのをやめた。母の白髪が綺麗だったことや、顔の衰えと髪の色が不釣り合いだったことなどが白髪染めを辞めた理由でもあった。
そのほかに、じっくり詰めて考えを深めていくことの困難な脳・・・ん?これは老いのせいかな?それとも、深く考えることを面倒臭いと思ってしまう習慣がついたせいかな。確かにいろんなところで持久力がなくなったのかと思ったけど、何かを待つことは平気になったなあ。
信号が変わるのを待つこと。
歩くのが遅い人の後ろを歩くこと。あるいは一緒に歩くこと。
長い道のりをひたすら歩くこと。
あ、これは前から平気かも。どんなに長い道も一歩歩けば一歩ずつ短くなっていくと思うと、重い荷物を持っていても辛くなくなるね。
銀行や病院で番号を呼び出されるのを待つこと。
・・・時々待ち過ぎて呼ばれているのに気がつかないことも・・・。
そもそも私の動きも遅くなったし、急に振り向くとほぼ確実にふらつくし。
63歳を愛そう。
この年齢の私を愛そう。
変わっていく私を認めて佳しとしよう。
新しい私を喜んで受け入れよう。
明日になるとまた一日「佳きところ」に向かう旅の道のりが縮まっていく。
なんと感謝なことか。
hallelujah!!
良いことをしてくださる。 [今日の事]
月に一度の診察に行った。
数値は上がりもせず下がりもせず。下がって欲しいと思いながら、下がるような生活をしていないよね、と思い返す。
毎月の診察は、裁判所に出廷するような思いででかけていく。明らかにされる結果におののきながら。
そんなに恐れるのなら、そのような生活を心がけ、守らなくてはならないことを守って過ごせば良いのだ。そうなのだ。そうできないのだ。なぜなのだ?
わかっている。わかっているけどやめられないのね。
疲れた時の甘い一口が・・・。
今日は嬉しい報告があった。
母の祈りが実を結ぶような。
御心がなりますように。
夜は更けて新しい朝がくるのだ。
たとえそうでなくても、願い続けよう。私の思いではなく、ただ最善をなしてくださる主を信じて。
そう、一番良いことをしてくださる良い方を信じて。
四月の終わり [今日の事]
今日で四月も終わる。
このような春は初めてだけれど、町の街路樹はハナミズキの花を咲かせ、あちこちに春の花が咲いている。もうはやツバメがきているとの知らせも耳に入る。
娘たちは仕事が休みになり、先の見えないことに不安を覚えながらも毎日を家の中で過ごしている。
息子は一人東京で、やはり仕事が休みになり、家賃の支払いの心配をしながらも、家には帰らず東京にとどまることを選んで過ごしている。どうしているのだろう。
淡々と為すべきことをしながら日々を過ごしているが、心の中には焦りや不安がないと言えば嘘になる。それでも…それでも、この日も神様が生きておられることと、良きことをなして下さると信じて、物事の良い面を見ようと心に決めている。
「いつもほがらかに すこやかに過ごせるように。
最悪の時にも感謝すべきものがあることを悟ることが出来るように。
心を尽くし思いを尽くし力を尽くして主を愛することと
自分と同じように隣人を愛する日々を送ることが出来るように。」
朝ごとに祈りながら、この時を大切にし、すべてのことには神様が与えてくださっている意味があることを知っているのだから、失望しないで期待を持って歩めるように祈ろう。
当たり前だと思っていたことが当たり前ではないこと
昨日のように今日があり、そして明日があるとは限らないこと
1日に終わりがあるように、私の人生にも終わりの時があり、いのちも時もすべては憐れみ深い神様の御手の中にあるということ
主にあってはすべてが最善であるという真実を、味わいながらこの時を過ごそう。
門はいつも開かれているのだから。
イースターの一日 [今日の事]
今日はイースター。
本来ならヨットハーバの近くの公園で、野外礼拝をし、子どもたちとエッグハントをして教会に帰ってきて朝御飯をいただき、進級式やら分級を持って、イースター礼拝を捧げる予定だった。
(ちなみに、イースターの朝ごはんは、もう何年も同じで、何種類もの手作りおにぎりと、20種類ほどの具の入った美味しい豚汁である)
ところが、今年は新型コロナウイルスのために、野外礼拝も朝食も子どもたちの進級式も、もちろん合同のイースター礼拝も持つことは出来なかった。
それぞれの家庭で、ある方はネット配信される礼拝堂で奉仕者だけで行われる礼拝を見ながらともに礼拝し、ある方はネット配信を受け取ることができず、配布されている礼拝の聖書箇所を見ながら、個人的な礼拝を捧げる。
忘れられないイースターになった。
私たちは礼拝が終わると、こまごました用を済ませて帰宅した。
「なんだか元旦みたいだね」と夫は言った。
本当に。
礼拝を捧げて、そのお昼には家にいるなんて、一年でも元旦にしかありえないことだ。
いっちとみんみは、豚汁がなかったことを残念がり、私は今日のために練習していた聖歌隊の賛美がなかったことがとても残念ではあるけれど、十分な練習ができていなかったこともあり、複雑な思いながらも少しホッとしながら午後の時を過ごした。
今日は、夜決められた時間に、東京のたかとラインで繋がり、ともに祈りの時を持つことができた。たかは、仕事先の書店がしばらく閉店になり、収入が半分になるだろうからと、今月の家賃が払えなくなるだろうと心配していた。それでも、今日はスーパーで少しの野菜を買って、食費の節約に頑張っている。
神様。祈ります。
「いと高き方の隠れ場に住む者
その人は 全能者の陰に宿る。
・・・・・・・・・
主は、ご自分の羽であなたをおおい
あなたはその翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。」
今日の一日 [今日の事]
今年の誕生日にいっちが買ってくれたマーガレットが、すごい勢いで蕾を生み出しては咲き始めている。
明るいピンクの花びらだ。
私は自分で勿忘草を買って植えた。ちっさい花だらけのベランダで、一つ一つのプランターを覗き込んでは満足している。
この頃、物忘れや勘違いが多くなり、13年前に両親が引越ししてきた時に、父が自分の状態を不安に思い、認知症外来に連れて行ってくれと言ったことを思い出した。
幸い父が心配していたアルツハイマーではなかったし、医師が「自分で認知症外来に行きたいという人はアルツハイマー型認知症ではない」といわれた。
しかし、父の心配はつのり、もう一つの病院に行って調べた結果、レビー小体型認知症という診断が出たのだった。
たった一年でも、人は変わってしまう。健康状態も環境も、生活も。
両親の一年を思い返し、たった一年しか経っていないのだと改めて驚く。
それでも、一年は一日一日の積み重ね。
今日の一日が、どの一日とも違う、今日だけの一日なんだな。
先週、頭痛と吐き気(実際にマーライオンのように吐いて、みんみがとても驚いた笑私も驚いた)で三日ほど寝込んだ。熱もなく、咳やその他の症状はなかったが、悪寒がしてとにかく頭が痛かった。悪夢が続き、ああ、私は頭がおかしくなるのだなあ・・・と思ったほどだった。ようやく二日目に食べたおかゆを全てもどしてしまったので、三日目にようやく起き上がった時に体重を測ったら、三キロ減っていた。
三日で三キロかあ、などと思った。
原因もわからずそのままだけれど、年を重ねていくってことはそういうことなんだなと思った。不調の時もある、無理はしないし出来ないし。
それでも一日は、この一日だけ。
ベランダの花を見、空を見上げ、家族の中で一日を過ごし、こまごましたことを一つ一つ片付けながら、明日のことを心配せずに、物忘れがひどくなり、勘違いに悩み苦しみながらこの一日を過ごしていこうと思う、よ。
日々のこと [今日の事]
昨日は19時からのミーティングがあったので、早めに夕食の支度をしようと思っていたが、なぜかしなくてはならない事が多くあって、買い物に出かけるのが遅くなってしまった。
実は、昼過ぎから大根を煮ていたので、おでんにした。
なぜ大根を煮ていたかと言うと、夫の体の調子が悪かったからだ。
ストレスと忙しさのせいだと思うが、十分休む事のできない日々が続いていいる。負っている重荷を思うと、私なんかはどうする事も出来ないと思って、落胆する事も多いけれど、せめて美味しいものを食べてもらおうと思っても、彼は疲れが胃腸に出るので、なんでもいいとはいかないのだ。
とにかく遅くに買い物に出たら、なんと雨が降っていた。
細かい氷のように冷たい雨だった。それでも、本当に細かい雨だったので、自転車で出かけた。
クリーニングにシャツを出し、100均で探していた小物入れを見つけて購入し、
スーパーに行き買い物をした。その短い間に雨は上がり、夜空には晴れ間が見えていた。もうすでにミーティングの準備をしなくてはならない時間になっていたので、慌てて家に向かって自転車を漕いでいた時、ふと顔を上げて空を見ると、綺麗な月が出ていた。金曜が満月だったから、18夜の月だ。頭を回して西の空を見ると、金星。
慌ただしい時を過ごしていても、空を見上げるといつもと変わらない美しい月や星や雲がある。それで良い。それが良い。
今日は貴重な晴れの日。
大物の洗濯をして、細々とした重要な(重要な細々とした事って・・・)仕事を片付けている。いつもの変わりない1日だ。
気持ちは沈んでいるが、しなくてはならない事があると言うことは感謝なことではあるのだなあ。
昨日ベランダにツグミの仲間のシロハラ(妹の旦那さんに教えてもらった。彼は野鳥の会のメンバーなのだ)がきてくれた。ひとしきりベランダをウロウロして、プランターの陰をかぎまわり、ずいぶん長い間留まっていた。餌は見つかったのかな。
その日その日の食べ物をそれなりに探し出して宿りに戻って行く鳥たちも、晴れの日も雨の日も、寒い日も暑い日も、変わらない憐れみと愛と恵みの守りの手の中にあることを知っている。知っている?そう、知っている。
私は?
知らなくてはならないことさえも知っていないと思わされている。
前に・・・前に進んでいかなくてはならない。
晴れの日 [今日の事]
今日はぴかぴかのお天気だった。
昨日も一昨日も、なぜか一日中自転車で走り回っていた。とは言っても、月曜は父が家にいたので、出かけては戻りを繰り返したのだが…。
昨日は、父の昼食の薬を、デイサービスの持ち物の中に入れるのを忘れて、お届けに行った。一旦帰ってから、郵便物を出しに行ったり、家賃を払いに行ったり、買い物に行ったり…。まとめて行けば良いのに、思い出すのが遅いんだよね。
今日は、ハウスクリーニングが来て、浴室とエアコンが綺麗になった。嬉しい。そのあと往診のお医者さんが来られ、合わせてケアマネージャーが来られて一月の打ち合わせ。その合間に、浴室の壊れている換気扇の工事の打ち合わせの電話や、父の介護用品の点検日の確認の電話やらが続いた。なかなかに慌ただしい1日だった。
朝から色々あって父の寝間着とタオルケットを洗濯しなくてはならなくなり、大物、厚物なのでお天気が良かったのは本当に嬉しかった。
その合間にキッチンのレンジフードを綺麗に掃除する。金曜日に母が一時帰宅するので、なんとか間に合わせたかったのだ。
夕食の買い物をし、家に帰って食事を作り家族を一緒に食べる。父の食事はその後だ。なかなか目覚めて咀嚼し飲み込むことが難しくなっているので、目が醒める時間を見定めるのが大切。
一日の食事のカロリーを計算する。まあ、動かないで1日寝ているし、どれくらいの量が必要なのかわからないのだが、誤嚥性肺炎で入院して、初めの4、5日間絶食絶飲(もちろん点滴はしていたけれど)で過ごした父はそれでも少し痩せた。
なんとか体力を維持してほしいなあ。
今日はクリスマスソングをBGMにして夕食を食べてもらった。さくさく噛んで飲み込む父に「ありがとう」と声をかける。食べられるということはなんと感謝なことだろう。食べている父を見られる私はなんて幸せなんだろう。
寝支度を終えて電気を消し「おやすみなさい」と挨拶をする。明日はデイサービス。多くの人たちの中で、たくさんの楽しい刺激を受けて、愉快に過ごしてほしい。父は、何もわからないように見えるがきっとわかっている。
接する人の心を。
その愛を。
神様の憐れみを。
生かされている意味と人生の目的を。
移り変わるベランダ [今日の事]
今年初めの誕生日にいっちがくれた勿忘草の苗は、あっという間に大きくなって満開の花盛りを見せて、春の終わりとともに枯れていった。
その頃に、ゴーヤと紫蘇とスイートバジルを植え、ついでにわけぎを大量に植えた。ゴーヤも紫蘇もバジルもすくすくと育ち、わけぎは何度も根元から収穫して楽しんだ。さらに、わけぎが終わった頃に二本の胡瓜の苗をいただき、一番大きなプランターに植えた。こちらも、ゴーヤとともにネットを這い上って育ったのだが。
今年はもう梅雨に入り、それぞれがわやや。
紫蘇はいつものように虫にやられて、葉がレース状態。
ゴーヤは初めこそ勢いがあったのだが、次第にほそぼそとなり、花はつくのに一向に実が生らない。全く生らない。びっくりするほど生らない。
胡瓜の方はというと、大きな葉がたくさん出て、蔓が伸び、次々花が咲くが、こちらも一向に実がならない。肥やしをやっても、実がならなかったのだが、ついに一個!ちゃんと!胡瓜が!実った!大喜びで、出かけている夫に見てもらってから収穫しようと待っていた。
ところがである。
昨日は夜に至っても大風が吹いた。吹き荒れた。
今朝、ベランダに出て胡瓜を見てみるとないっ!!大きくなって立派な胡瓜だったのに、どこにもないっ!
家族みんなに聞いたが、誰も知らないという。
みんみは「大風で飛ばされたんじゃない?駐車場に落ちてるかも。」などという。
そんなことある?
家の中から呆然ときゅうりを見ていたら、大きなカラスがやってきて、繁々と胡瓜を観ている。カラス??いやいや。まさか。
今わかっていること。
幻だったかもしれないが、育った胡瓜はもうない。一個もない。ということ。
!疲れた! [今日の事]
自分が還暦を迎えるときのことなんて、想像もしていなかった。
♩村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん♫
なんて、何の違和感もなく歌ってたしね。
そうよ。
まさか自分がその年になって、「おじいさんっ!!!?」と思うなんて想像もしなかったですよ!
自分にとっては60を過ぎたとしても、今日は昨日の続きなのよ。
とは言え、あちこちに不都合も出てくる。
記憶は衰える。
体力も衰える。
できていたことができなくなる。
無意識でしていることに驚く。(え?これやったの誰?てな感じ)
全ての人が経験していることなんだなと思う。
全ての年齢を重ねている人々が経験しているんだよ。言わないけど。
そのことをどのように受け止めていくか。
そこだよね。
もしかしたら、何かの症状が起きている兆候なのかもしれない。
も始まっているのかもしれない。(うわー)
年齢を重ねていって、自分がどうなるのかなんて誰にも予想はつかない。
今できていることが明日もできるとは誰も保証ができない。
自分でも思って安心していてはいけない。
ああ、全てを柔らかく柔軟にありのままに受け入れていくことができますように。
それでも神様の恵みは私に充分であると感謝することができますように。
あとで、この文章が恵みの証になりますように。
これからの人生がどのようであっても神様の恵みは充分!
春なのにね、いや春だから。 [今日の事]
春がやってきた、大量の杉の花粉とともに。
街路樹は花芽を膨らませ、草には蕾がついて、もう花を咲かせている雪柳などを見かける。朝陽は柔らかに照り、気温は上がり、杉の雌花を膨らませ、風は温かくそよぎ花粉を遠くまで飛ばし、さらに撒き散らす。
こんなん書いてるだけでくしゃみが止まらない。
目も耳も鼻も痒いし痛い。
季節は巡り、過たずに飽きもせずに繰り返す。
人間ドックで引っかかり、2月の終わりに大腸内視鏡検査を受け、ポリープ二個の切除手術を受けた。
今日結果を聞きに行った来て、先生に「どうしてポリープができるんでしょう」とお聞きしたら「さあわかりませんねえ。どうしてガンができるのか、という問いの答えと同じくらいわかりませんねえ。」と少し物騒なお返事だった。
「うんと気をつけて生活していても体を悪くする人もいれば、暴飲暴食いい加減に生きていても元気で長生きする人もいるしねえ。神様に聞いて見ないとわかりませんねえ。」
…そうでっか。
…究極のお答えでした。
そして、今度は胃カメラを飲むことになった。
やれやれ。
還暦を過ぎると途端にあちこちにガタがくる。
そういうもんなの?
初めて経験する還暦だからわかんない。
…当たり前か…
とりあえず、歩けて、美味しく食事ができて、賛美が歌えて、お祈りができて、老眼だけど聖書が読めて…
感謝しましょう。そうしましょう。
紫蘇と蜜蜂と雨と [今日の事]
ベランダの紫蘇の花に、ミツバチが次々とやってくる。
紫蘇の花の蜂蜜はどんな味なのかなあ。
現在うちのベランダに咲いているのは紫蘇の花だけ。
この10月は一年で一番忙しく慌ただしく悩ましい感謝な月なのだ。一年をかけて準備する大きな大きな集まりが、今年も思いがけず2日続きになり、そりゃあもう……。もう…何だろう。
とにかく、終わった。事後処理がまだまだ残っているけれど。
ベランダを忘れて、忙しく過ごしていたけど、適当に雨が降ってくれて良かったよ。感謝。出かけるのに雨は厄介だけど、ベランダには本当に恵みの雨だね。
私は雨が好き。
雨の音も、雨の匂いも、雨が降っている景色も、雨の中を歩くのも。
雨は遠い昔の思い出と一緒にやってくる。
どうしてかなあ。
ゆっくりと雨の景色を眺めながら過ごしたいなあ。
ゆっくりと
ゆっくりと
雨の音を聞きながら。
あれ?
私疲れているのかも。
このところの毎日は… [今日の事]
朝晩の気温の差が大きくなってきた。
そういえば朝起きた時に、あまり汗をかいていないなあ、と思ったらもう秋だ。
でも、なかなか秋晴れの日がない。毎日毎日雨が降る。プランターの野菜に水をやる必要がなくて楽をしているけど、なんだかなあ。
ゴーヤが終わり、エゴマもサラダ菜も終わってしまった。(本当は枯らしてしまった。だってー暑かったんだもの……)
空いたところに何かを植えたい。コスモスとか?
毎日変わることなく父の世話をさせていただいてる。
朝、まずはスムージーを飲む。その後デイサービスに出かける日はアテントを替えて寝衣から洋服に着替える。寝たきりの父を着替えさせるのにも慣れてきたけれど、前ボタンの服は毎回きつくて腕を通すのが難しい。着替えたら車椅子に移乗して居間に行きヨーグルト(母が作ったヨーグルトに甘酒を入れ炊いた黒豆を入れ、その上に玄米フレークを乗せるという高級朝御飯)を食べてもらい、薬を飲んで喘息の吸入をして、髭を剃り顔を拭き、その後頭を拭いて櫛を入れる。
朝ドラは欠かせないので(笑)その時間までには着替えを済まして居間に移れるように頑張る(頑張る目的がなんだか違うような気もするけど…まあいいや)
眼鏡をかけて、今はマスクをしてお出かけの時間がやってくる。
父は大きな人で、車椅子も大きい。移動はなかなか…なかなか大変だ。そして重い。毎回お迎えに来てくださるデイの介護士さんも、車に乗り換えるのはいつも大変だ。でも、たくさんの人がいるところで刺激を受け、楽しいことを見たり聞いたりやって見たり(してるかどうかは怪しい…多分きっといつもほとんど目をつぶったままだろうと思われる)そうしてシャワー浴を介助していただいて帰ってくる。
毎回嫌がらずに行ってくれるのは、わがままを言わない父らしいといえばらしいけれど、きっと何か楽しみもあるのだと思いたい。
デイサービスから帰ってくると居間に行き、しばらくそこで過ごすが、すぐにベットに行きたがる。まあ1日中座ったままでいると、疲れるのだろう。できたら夕食までは座っていて、居間で母と食事を取れるといいのだけれど。
今日は頑張ってそのまま食卓に座っていて、一緒に夕食を食べた。両親の分は早い時間に作って持っていくのだが、父の食事の介助は1時間以上かかる。それから着替えて車椅子からベッドに移乗し、着替えて寝支度が終わるともっと時間がかかってしまう。うちでは食事を待っていてもらうか、早めに一緒に作ってしまって食べていてもらうことも多い。とにかく気持ちが焦っていては、すぐに父に気付かれてしまう。それは本当にすごいなあと思うよ。わかるんだよねえ。
全て終わって今日は、少しベッドを起こしておいた。
「お父さん。寝ますか?それともこのまま起こして起きますか?」
もう一度「起こして起きましょうか」
小さく何度もうなづいた。
それで、そのままにしてあとは母に任せて帰ることにした。
今日の夕食はいただいた秋刀魚を焼きました。
うちのぬか漬けはなかなか美味しいよ。父は大好きみたいで嬉しい。
わからなくても仕方がない [今日の事]
昨日から少し強い風が吹いている。
だからと言って気温が下がったわけではないけれど、少し外出するのが楽になった気がする。
昨日は、10月にもたれる地域の女性の集いのための祈り会。月に一回持たれるのだが、昨日が4回目だった。
その後で、うちの教会のメンバーで参加した方々6人と、近くの隠れ家風のレストランでランチ。
ランチ!すっごく久振り?と思ったら、火曜のお昼に、妹と母と一緒にランチしたんだった。父がデイサービスで、夫は千葉県にお出かけ。いつもは妹と母が病院帰りにランチしているのだが、昨日は私も参加させてもらったのだった。忘れるの早いな。
どちらも、お部屋や景色や建物の感想から始まって食事の品定め、味のこと盛り付けのこと、使われている食器のことから様々なことをおしゃべりに次ぐおしゃべりだ。
昨日も、あっという間に時間が過ぎていき、ようやく腰をあげてそれぞれ散開した。
当たり障りのない話で対立することはない。意見が違っても、それはそれと割り切ることは難しいことではない。
でも、親しくなり、交わりが濃くなってくると、きっと意見の違いや考え方や感性の違いが対立を生んだりするんだろうな。
理解してもらえると思ったら大間違いなんだな。
うん。
自分が何のためにその話をするのか、何を聞いて欲しいのか、どう理解して欲しいのかを説明せずにわかってもらえると思ったら大間違いなんだよね。
でも、そんなこといちいち説明する?
わかってくれると思うでしょうが。
それが、わからないんだなあ。
すみません。
今朝は夫と少し言い争い。
その影響です。
入り口は色々。でも、きっと行く先は工夫次第で変わるんだよね。
釧路・あやめが原
通院終了 [今日の事]
奇跡の(笑)鍼灸整骨院に通い、1ヶ月がすぎた。
1回目から全く痛みが変わり、先生の理に適った説明も本当に一つ一つが納得で、先生の説明、その通りに良くなっていく足腰に毎回びっくり。
そして、今日。
長い間歩いても痛みを感じなくなったこと、そもそも痛かったことを忘れていること。両足をついたときに、今までの感じとは全く違う接地感覚であること。この頃よく歩くようにしていることなどを話したら、先生は、歪みの矯正は完全ではないけれど、ほとんど正常に近いことで、また何かあったらおいでください…と終了を言われた。
すごい!治療終了だよ!
本当に素晴らしい体験をしたら、多くの人に知らせたい。
私は、ここの鍼灸整骨院のことをあちこちで話す。本当に本当に素晴らしいことが、私の体に起こったから。
ということで、妹が行くことになり、やはり何十年と悩み続けていた腰痛と足の痛みがどこから来ているかがはっきりわかり、その治療を始めたら1回目の施術で、ひどいむくみと痛みがなくなってしまったのを見た!!
上がらなかった足が上がり、むくみがなくなり!!立ったり座ったりが苦痛だったのに、それがスムーズになり!!
すごくない?!
そこで、今度は87歳の母のむくみと貧血の話をした。骨髄異形成症候群という病気ではあるのだけれど、その先生は、薬の効き具合もむくみも、食事と腸の活動によると言われた。そうなの!その通りなの!母はずっとずっと排便の不調に苦しんで来た。そこで、今度は母がお世話になることになった。良かった。
治りますように。
良くなりますように。
元気が出ますように。
楽になりますように。