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梅雨の合間に [今日の事]

六月を迎え、梅雨も盛り…盛りって言うんかな…。

ベランダに水をやらなくても良いから、ほんまに楽やなあ。


梅雨前

                                    

ベランダ5月.JPG
                                                                                                        現在                                                                       
ベランダ6月.JPG
手前は枝豆。その後ろはゴーヤと紫蘇。紫蘇は何度も収穫しているが、ゴーヤはまだ実が見えない。
真ん中に忘れな草。もうそろそろ終わりかなあ。悲しい。
ゴーヤの後ろにシロツメグサ、雑草?そうね。でも大大大好き。
その隣りにサンチュ。その前に、すみれの鉢が隠れている。
忘れな草の後ろにあるのはかすみ草。小さな株が大きくなった。
サンチュの隣りに三種類の朝顔。その前にアイビーと…
なんだかわからないけど、毎年葉が伸びて白い花が咲く不思議な植物があるんだけど、植えたのも覚えてないし、名前もわからない。秋がくると葉は枯れて、何も植わっていないような鉢になる。でも春がくると芽を出して…。あんまり不思議なので、そのままにしてもう4年。ちゃんと忘れないで芽を出して、葉を伸ばして花を咲かせる。地味な花(笑)でも、ちゃんと生きてる。
その横にはローズマリー。
コスモスも欲しいなあ。
冷たい雨が降る朝は、餌を求めてやって来る雀
エビスタ雀.JPG
見つめられると辛いなあ。でも、もう春を過ぎて夏が近い。がんばれ。小さな雀。養ってくださるのは神様。
春の煙.JPG
もう夏が近いのに、やっぱり静まりの時は小さなルンペンストーブに香を入れてつけてしまう。立ち上る煙に心が揺れる。ふわふわ揺れながら、思い巡らしも深まっていく。
スピードを緩めよう。
待つことを恐れないで信頼しよう。
すべてを受け入れよう。
そう思うよ。

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恐怖の左足 [今日の事]

もう何年も、ずっと正座をすることが出来ない。

しゃがむことも出来ない。

ずっと左の膝がとても痛むし、多分かばって歩くせいで右の股関節さえも痛みだしている。これはもう仕方のないことと諦めていた。


今日。

友人に連れられてある鍼灸整骨院に診療を受けるために出掛けた。随分迷ったし、果たして良くなるのかどうかもわからないのに、お金をかけて治療をしてもらう必要があるのかとも思った。

でも、そこに通っている友人たちが、本当に腕のいい先生だと口を揃えて言うので、一度行ってみようと思ったのだ。


結果。

先生は、私の体全体を見てから、右足を持ち上げ「この右足は何かありましたか?」だって。


実は50年前に捻挫をして、中途半端な治療をした足だった。小学校4年生の時に、体育館で友人とぶつかって転んだ時にひどく捻ってしまい、しばらく立ち上がることが出来なかったほどの痛みを感じた。

小さな町の、小さな診療所で、電気治療をし、湿布と包帯を巻いてもらい、しばらく松葉杖をついて過ごした。治ったのかどうだったのかも忘れていた。その右のくるぶしは、ぷっくりとふくらんでいて、それはもう50年ずっとのことなので、捻挫の後遺症なのか、何をしても治るものではないと諦めていたのだ。


先生は、左の膝が痛むのも、右の腰が痛むのも、その右のくるぶしのせいでかかとが歪んでいて、体重をちゃんと両足で支える事が出来ていないからではないか、と言われた。


なるほど・・・・。

歪んでいるのか。

だからか。

私は雨の道を歩くと、いつも左足だけに泥が跳ねる。そういえば昔、高校の友人が「恐怖の左足・・・だけど、左足に泥を跳ね上げているのは右の足だわ。」と言ったことを思い出した。


もう50年も経っている古傷が治るのだろうか。


ゆがみを直し、鍼と灸とマッサージを受けテーピングしてもらって立ってみると、足の裏の感覚が変わっていた。びっくり。


しばらく続けてみようと思う。

診療代はなんと1000円。

続けてみようと思ったよ。


治ると良いな。

正座が出来ると良いな。

たくさん歩いても足が痛くならないと良いな。

・・・走れると良いな。(今は走ることが出来ない)

いや、普通に歩けると良いな。

                                                                        

子どもの木.jpg
                                    
どんなに古い傷であっても、ちゃんと癒されていなければ、体全体に痛みを及ぼすものなのだ。ゆがみは、気がつかないうちに慢性になり、そのためにしっかりと立つことさえ出来なくなる。
                                                     
私の心はどうだろう。                                                              
解決出来ていない古傷はないだろうか。そのために、ゆがみが生じているというのに気付くことが出来ずに、あちこちに痛みや苦痛を覚えているのではないだろうか。
人生の棚卸しを勇敢に、しかし細やかにするべき時が来ているのかもしれない。ただただみ言葉によって・・・。
癒しを求めて・・・。


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何の虫だろう [今日の事]


春が過ぎていく。

春蒔きの種をいくつかプランターに蒔いた。

秋咲きのコスモス。紫蘇、苦瓜、茶豆、朝顔。

日当りも良いし、水はけも良い。

直播きでも大丈夫と思って蒔いた。


ところが、コスモスの可愛い芽が出るそばから消えていく。

いくつもいくつも消えていく。


うちのベランダはヒヨドリも来るし雀も来る。そこで、鳥よけのネットを張った。しかし、何の効果もない。とうとうたった一つ残った可愛い芽が消えた。

消えたというのは、大げさな表現ではなく、夕方に開いた新芽を確認したのに、翌朝早く見てみると、何もなかったことになって黒い土だけが「シン」としている。

虫だ。

どうしたらよいのかわからない。

どんな虫なのかもわからない。

誰か教えて。

古い土をよみがえらせる再生土を使い、深く掘り返して肥料をやり、十分乾かしてから種を蒔いたつもりだが、あかんかったらしい。

残念です。


今度は苗を買って来よう。


忘れな草は相変わらず元気に咲いている。心が和みます。                                                 

庭のわすれな草.JPG
下ばかり見ていると、目の前の出来事に心が捕われて、時を過ごすことが辛くなる。右往左往しながら、追い立てられるように過ごしている。時には目を上げて天を仰ごう。そうしよう。
                                                                          
靄の中の富士山.JPG

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お出かけは・・・ [今日の事]

昨日はとても良いお天気で、暑くはないけれど気持ちのよい風が吹くお出かけ日和の一日だった。

教会のご高齢の方々の集まり「おさんぽの会」では、一年に一度の外出日で、昨年は淡路島に行ったのだが、今年は万博公園に出掛けた。


万博公園1.JPG


チューリップとポピーが満開。歩くのが苦手な方はニフレルに行った。

私は母と一緒に過ごしたので、ほとんど歩かず、移動しては休み、トイレに行っては休みで、楽して過ごした。

それでも疲れて、今日は一日からだが怠い。

遊びにいくのにも、次の日の疲れを考えなくてはならない年になりましたなあ。

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優しい雪 [今日の事]

一月も終わりにさしかかり、関西も気温が低くなり雪の予報が出た。

私のすんでいる町は、台風の予報の時も、嵐の予報の時も地域が外れているのかどうなのか、台風の被害もなく嵐も来ないことが多い。とても穏やかで静かな天候の日が続く。

でも、さすがに昨日も今日も雪が降っている。

いつものへなへなと舞う小雪ではなく、水分の少ない大きなふわふわした雪が、どんどん降ってくる。北国のように強く降り続くことはないけれど、弱くなったり強くなったりしながら降っている。


北国と違うのは、家の中が寒いことかな。

暖房は普通のエアコンしかないし、設定温度を上げても温かくならない。灯油のストーブも置いていたこともあったけれど、冬もまあまあ暖かいので、使うことはほぼなかったように記憶している。

でも、年とともに(住人の年齢)部屋の中の“しん”とした冷たさに凍える。


雪が舞っていても陽は明るく差しているので、洗濯機のスイッチを入れてしまった。どうする……。


雪の朝.jpg

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今日のこと [今日の事]


千絵ちゃんのバラ2.JPG

誕生日のお祝いにいただいた手作りのバラの花の額

全部で60個 

一つ一つが私の過ごした年月だ。悩みの日もあれば感謝の日や喜びの日もあった。それぞれが、過ぎ去ってみるとこのように一つの花として、私の人生の中で咲いているのかな。


誕生日花.JPG
お祝いに送って下さった花束
シックで深みのある花の色は、年齢にふさわしいね。こんな豪華なお花をいただくことはないですね。本当に嬉しいです。
今日は、父の85歳の誕生日。
そう私は父の25歳の時に生まれた長女なのだ。考えてみると、若い父であったのだなあ。ということで、いつものように色紙をプレゼント。父の愛誦聖句であるマタイの福音書3章17節を、文語体で書いた。
父85の色紙.JPG
                                                                                                         
私の誕生日の二日前に小さな聖書研究会の集まりがあった。年度始めということで、いつものようにコラージュをした。それぞれの思いが込められた作品となった。アイデアをこらしたもの、素直にそのままの思いを込めたもの、分かち合いの時も深く思い巡らす時となった。                                   
LGのコラージュ.JPG
                  


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ちょっと一息 [今日の事]

今日は、メンバーの方々にお渡しするクリスマスカードを作成。こういう単純作業は、頭の中でいろいろ考えを巡らしたりあれこれ想像したりできるので、好き。100枚出来上がり。


その後、隣りの教会に差し上げる栞を作成。こちらは160枚。


ついでに、うちの分も作成中。たぶん240枚中50枚は出来たかも。これは途中でものすごく眠くなる。すっごく眠くなる。本当に眠くなる。そういう時はちょっとだけ他のことをして目を覚ます。


その後、明日の聖書学び会のテキストを作る。一生懸命必死になってパソコンに向かう……ちょっと忘れてたから……一生懸命……大丈夫〜大丈夫〜。


その合間にしたこと。昼食をとる。ベランダの洗濯物を裏返す(寒くてなかなか乾かない)。父のお迎え。洗い物。4階のお義母さんがおリンゴを持ってきて下さる。訪問者(「聖書を学びませんか?」という方々)。ちょっと休憩としてのゆず蜂蜜作り。夕食の足りないものの買い物をメモ。メールを見る。メールに返信する。会議のアジェンダの確認。カレンダーに書き込み…と確認。いきなり!ペン立ての整理。書けないボールペンの芯を取り替える。取り替え式じゃないのを捨てる。さようなら。机の上の片付け。


途中本当のちょっと一息。

ちょっと休憩.JPG
このストーブ型のお香置きは、大好きな大好きな「美瑛の丘のおもちゃ屋さん」で見つけてとりこになってしまっていただいたもの。北海道で育った私にとっては、懐かしい故郷の、今はない、懐かしい家の小さなストーブ(昔はルンペンストーブ等と言った)そのもの。好きなコーン型のお香を入れて蓋をすると、煙突から煙がでると言うもの。
煙を見ながらぼーっとしていると、本当に幸せ。10分あまりの幸せに浸り、煙がでなくなったら現実に戻って仕事を続ける。
お供はほうじ茶(四杯は飲んだかな)と、いっちのキャンドル(減ったら困るのですぐ消す)。
こんな感じで一日の昼間の時間が過ぎて行く。

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作品でっす(笑) [今日の事]

今日は月一回のご高齢の方々の交わり会「おさんぽの会」だった。

急に寒くなったせいか体調を崩した方もあり、出席者は多くはなかったけれど、相変わらず毎回あちこちで大爆笑の渦。


今日は、クリスマスの愛餐会の時に「おさんぽの会」で発表する紙芝居の塗り絵をした。絵や文字は苦手の方もあるけれど、反対にとっても好きな方もあり、まあ時々苦手なことをするのも良いかなと思って、毎年の恒例になっている。


今回は、二人一組になって一枚の絵を仕上げるシステム。これなら、完成しなくても良いから、お話に花が咲いても良いし、楽しく過ごせるかな?と思って…。

 

それぞれ自己紹介をして(初参加の方がおられたので)お口の体操をして(北原白秋「五十音」を読む)二人で組んでもらって、10枚の絵の中から好きなものを選んでもらって書き始める…いや、塗り始める。


いやーーーーーーーーー

個性溢れる作品ばかり。

素晴らしい!


初めに「はみ出しても良いし、好きな色を塗って下さい。きちんとしなくても大丈夫、楽しんで塗って下さい。」とご案内。でも、もう人の話なんか聞いちゃいない。皆さんとても真面目で、きちんと塗らなくてはと思って初めはとても緊張気味。そのうち、お話が楽しく進み、あちこちでいい雰囲気だった。


お食事の時間になると、丸テーブルを囲んでスタッフの心づくしの御馳走が並び、あちこちで歓声が上がる。楽しかったーーー。いつも、食事の時に大笑いが起きる。一人で住んでおられる方もおられるので、一ヶ月に一回でも大人数でわいわいと食べる食事はやっぱりおいしいと言われる。

良かった。



作品でっす(笑)


まだ未完成。これから仕上げます。


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今出来ることは一つ [今日の事]

秋の大きな集まりを無事に終えて、少しぼーっとしてる……間もなく、その反省会やフォロー委員会や、報告をまとめたり等の後処理に苦心している。かつて安心しちゃってぼーっとして、次年度を迎える時に大苦戦したことがある。


まあ、何でも十分に反省し、次のために準備しておくことは大切なこと。

教訓を教訓として生かさなくちゃね。


それでも、この頃は「てーげーてーげー」になって来て、きちんとすることばかりが良いことではないのだと、ようやくにして悟るようになった。


少しの余裕があることが、次の時に自由な選択や工夫を生むってこともある。一人でしていることではなく、チームでしているということも大切にしなくてはならないこと。神様がして下さるという原理原則を損なわないこと。


あれもこれも同時進行が山盛りの中で「良くやってるよ」と独り言。

山盛り仕事の自転車操業状態は仕方ないとしても(だってねえ、それだけじゃなくて家事もあるし、家族の世話もあるし、突発的出来事もあるしねえ)「焦らず慌てず諦めず」が家訓の家に嫁いで来たのだから……嫁いで??死語??いやいや。だからね。だからよ。


身体は一つ、心を込めて今出来ることも一つ。

一つひとつ・・・だね。


天使.JPG


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言葉。 [今日の事]

言葉を重ねても重ねても、虚しいだけの時がある。

なんだかかえってうさんくさくなったり。

一生懸命話しても、伝わらない時もある。

初めから心が閉じているんだね。


私たちの耳は心にあるんだね。


だから拙い言葉でもちゃんと聞こえる。

よくわかる。


お上手な言葉でも通り過ぎて行く。

わからない。


もうね。言葉なんかなくてもいいやって思う時もあるよ。



でもね、言わないとわからない時もあるんだよね。

言わなくてもわかってもらえるのはもう奇跡だね。

奇跡だけど、確かにあるね。


私たちの心ってすごい。



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今日の静まり [今日の事]

神様が見ておられるように自分を見ることが、どんなに難しいことか。



自分で見ている自分は、まったく鼻持ちならない存在だ。


失敗ばかりで、何をやっても中途半端。

怠け者で、意地悪で、誘惑に弱く、意志も弱い。

知識はもっているが底が浅いから役には立たない。

不器用でその場しのぎの働きばかり。

許すこと愛することに乏しいので、うわべだけの自分の姿に悲しみがつのる。

考えなしに始めては、終わりまで続けることができない。

あ、それが中途半端と言うこと。

こうして年をとって行くのかと思うと、ひたすら回りの人々に申し訳ない限りだ。


そして、落ち込んだり、沈んだりすることさえ高慢や自信過剰から来ているのだと思えば、ありのままの自分を改めて見つめてはため息が出るばかり。


細々したことで日を重ね時を重ねて

やがて最後の時に私は何を思うんだろう。



IMG_0274.JPGJPG.JPG
神様の愛を知らなかったら、生きては行けない。

神様が私をどう見ていてくださっているのか

お声を聞くことはできないけれども

今お聞きすることはできないけれども

み言葉は生きていて力がある。


「しかし、主は

『わたしの恵みは、あなたに十分である。

 と言うのは、わたしの力は

 弱さのうちに完全に現れるからである。』

 と言われたのです。

 ですから、私は、

 キリストの力が私をおおうために

 むしろ大いに喜んで

 私の弱さを誇りましょう。」

 第二コリント12:9


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初夏 [今日の事]

桜が終わり

ツツジが終わり

さつきが花盛り・・・と思ったら

あっという間に紫陽花の季節


うちのベランダのサラダ菜も

こんもりと山になり

にがうりは長い蔓を伸ばして

小さな花をつけ始めた


いつまでたっても

りっぱな葉を茂らせるだけだったブロッコリー

ようやく株の奥に

小さな蕾ができて来た




毎日することは山積みで

しかも一つ一つがとても小さなこと

いや

小さなことだけれど

大切なこと


からだと心に

小さな疲れが積み上がって行く



でも、昨日、教区の集まりの中で

「受ける資格のない私への真実の赦し」を得ているということの

測り知れない恵みを改めて感謝


喜びの小さな涙を流すことで

からだと心がほぐれて行く


そういうことの繰り返し


頭の中にはいつも

20以上の(数えてみた)考え事が渦巻いて

あれもこれもと

優先順位や困難さや重さを量りながら

(みんなそうなんだよね)

一日を過ごす


買い物帰りの空と雲

見上げる遠くの山


時折吹きすぎる風の中の懐かしい匂い

ツバメのひなの黄色いくちばし


そんなものに慰められている


夏の牧場.jpg



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今日のこと? [今日の事]

何度か書き込んだが、やっぱりやめて消してしまったのが数回。

「私に答えて下さい。主よ。私に答えて下さい。」第一列王記18:37

毎日の忙しさを、慌ただしさを、戸惑いや悩みや、
過ぎ去って行く思いの数々を、たくさんの感謝を、
どこにでもいる当たり前の普通のたった一人の、独り言を
わざわざここに書く必要が?

そう思い始めたら、もう書けないね。


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今日のこと [今日の事]

今日から通常通りの日曜日。
9時半に奏楽者のリハーサル。
10時から成人分級。
私は「初めての方と聖研を始める方々への学び」の分級を担当。

今日は、午後からクリスマス飾り付けの最終片付け。
そして、明日の新年聖会の準備。
ホールのテーブルの配置もいろいろ考える。
お客様にお出しする果物やお菓子や
お弁当お茶の確認。
あちこちの掃除。(私はお掃除が苦手なので、苦もなくさっさと掃除機を出して部屋中奇麗にかけてくれる方々には、毎回ほれぼれする。すごいなあ。)

夫は今日から関東教区の新年聖会の御用で、夕方飛行機で出掛ける予定だが、風邪のような症状が出て一旦家へ帰った。祈らされる。

明日の聖会では、午前にトランペットの特別賛美、午後は聖歌隊の賛美を予定しているので、準備の後で聖歌隊のリハーサルをした。賛美はとても素晴らしい。でも、私の指揮は頼りなく不十分なので、心の中では非常に申し訳なく重荷だ。もっと、音楽的にも信仰的にも強められたい。そう思う反面、聖歌隊のメンバーが楽しく喜んで賛美している姿を見るだけで、心から嬉しい。
とにかく明日は神様への賛美を心から捧げられますように。

長女はいつものように青年達と夕食。
今日は久しぶりに主事宅へ。
息子は尼崎のバンド仲間のところに出掛け、夕食はいらないそう。
夫は出掛け、夕食は私と次女だけ。

今日も無事守られて主日を過ごした。
感謝。

福寿草.jpg



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もう三日目? [今日の事]

今年は元旦が日曜日だったためか、お正月気分が日常に埋没し、普通に二日から娘は出勤、三日目の今日からは息子も仕事へ。

もちろん夫は、駅伝を見た後は昨日も今日もご出勤。
なんてことないいつもと同じような一週間の始まりだったような・・・。

二日かけて作ったお節も、一日でなくなり(今年は従来の買うお節をやめて、アンケートを取ってみんなの好きなものだけを作ることにした。それでも三重のお重が一杯に・・・いや、それなのに・・・)、来週から始まる分級の準備と、今年この教会でもたれる新年の聖会の準備に気もそぞろな日々。

ランチョンのチケット送付も今週中にしなくてはならず、なんだか調子が変だぞ?

みんな首や肩や腰や膝(これは私)やあちこちの調子が悪く始まった一年。出来ることと出来ないことと、しなくても良いこととしなくてはならないことを考え、思い巡らしながら生きて行こうということ?

五十代最後の一年を、どきどきわくわく(びくびくそわそわ)しながら始めている。

富士山.JPG

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紅葉と森への道 [今日の事]

今週月曜日は、三田チャペルのK子さんが教えてくださるシュトレン作りの会に出席。
クリスマスを待ち望むアドベントにふさわしい集まり。

三田チャペルメンバー以外の初めての方が多く参加されて、お知り合いになることができたのも感謝。私も初めてお会いする方々で、良い交わりができた。
お昼は、K子さんN子さんA子さんTさんがご用意くださったコストコのクロワッサンと、シチューとサラダを頂きながら楽しくおしゃべり。そして、焼き上がったシュトレンを一本ずつお持ち帰り。一週間前に作ってくださっていたKさんのシュトレンをお味見して、その間に私はクリスマスのお話をさせていただいて帰ってきた。
行きも帰りも義妹の車に乗せてもらい、往復3時間ほどずっとおしゃべりしながら楽しく過ごせたこともとても嬉しかった。

火曜は、風邪のせいでふらふらしていたし、咳もあったのだけれど、がんばって歯医者さんへ。ひと月に1回だから休まれへん。でも、よく磨けているからと時間も一ヶ月後。良かった。

今日は、六年前に天に召されたKさん、三田のA子さんのお父様の記念会だった。
子ども達も大きく成長していて、仲の良いご家族の和やかで暖かで愉快なお交わりに入れていただき、良い時を持つことができた。感謝。

少しずつ冬が近づいてくる。
その、少しずつが少しずつ早くなってくる(笑)
少し気持ちが焦ったり、不安になったりする季節だ。

そんな季節に神様が与えてくださるのは、冬に備える木々の色鮮やかさだ。
ほんとうに、神様ありがとう。

三田の紅葉.JPG

地面の紅葉.JPG

そして、時は明日に繋がって行く。

森に入る道.JPG

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ほっと息をついて [今日の事]

心から安心して「大丈夫!」って言える場所がありますか?

そういう時が、途切れなく続いていく人生を歩みたい。
誰もがそう思っている。

そういうの楽天家?って言うの?


私は心配性の母に多大な影響を受け、小さな子どもの頃から無類の心配性であった。そう、何を見ても何を聞いても、どんなときにもどんな所でも、すべてのことが心配の種。

いつも「何かが起こる!?」「これは駄目になる!」と身構えて、取りあえずあれやこれやの対策を考えながら日々を過ごす。そりゃあ肩も凝るし頭も痛い。

家にいると、目につくものすべてが心配。

外に出ると、あの車がこちらに突っ込んできたら…とか、今自転車が倒れてそこにトラックが…とか、街路樹がいきなり倒れてきたら…とか、曲がり角を曲がったらナイフを持った男が…とか、工事現場は何時も上から何かが落ちてくる心配で眉間にしわが寄る。

ついでに留守の家も心配で、泥棒や火事や、誰かが尋ねてきているのに留守で申し訳ない事になったら(爆笑)とか。

とにかく心配の種は尽きないのだ。

だから、道ばたでこんなの見つけると、心の堅く縮まったものが、すっとほどけてほっと息をつく。「ああ、大丈夫。どうなってもいいじゃないか。あなたがいてくださるのだから。」と自分に言い聞かせるのだ。

道ばたのハート.JPG



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父の手 [今日の事]

「これはわれらの神の深いあわれみによる。」

毎日の生活が、慌ただしく過ぎて行く。
昨日は、教区の牧師会が私たちの教会でもたれた。
数々の報告がされ、多くの議題が協議された。
いつになく遅い時間までかかってしまった。

熱くなったり、笑ったりしながら、様々な意見や提案が飛び交った。

深い問題にふれ、時間がなくて次の機会に回さざるを得ないものもあったように感じる。いや、やはり次の機会でも、同じように検討事項として次に送るかも…。
時間をかけて意見を交換し、交わりを深めて行けたら良いのになぁ。

今日は大阪で会議。
二つの会議を続けて持つ予定。
私は書記なので、どちらも記録しなくてはならない。
ということで、PCを持って行く。
書類と一緒に持つと、けっこう重い荷物になる。
…気も重い…。

なかなか疲れも取れず、心配の種も尽きない。

この頃、朝明けに胸が痛む事が多く、時々「ああこのまま…かもしれないなあ。」と思う時がある。夕べは、普通に寝ていたのに急に鼓動が早くなり飛び起きた。心にかかっている事があると、気の小さい私はすぐに症状が出てしまうのかも。

季節がらの事かもしれないけれど。

それでも、神様の憐れみの中にいる。
その事を、実感し感謝する事ができると言うのも、大きなあわれみと恵みだと思う。どこにいても、どんなときにも、どんなことがあっても「わたしがともにいる。それで充分ではないか。」と言われる主が共にいてくださる。

父の手を見ながら、深く思わされた。

父の手.JPG

大丈夫。なんとかなるさー。

さあ、出掛けよう。


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八月も過ぎていく [今日の事]

八月はお休みの月〜〜〜!!わーーい!!

とか思っていたけれど、もう三分の一を過ぎて気づいた。
(え〜〜 いまさら〜〜)
八月は前半期の後片付け、後始末と、嵐のような後半期のための準備と支度の月なのだった。

白樺の流れ.jpg

時が過ぎていく中で、つくづくと加齢を感じ、あちこち(このあちこちは、自分の心や体のこと)に老いていく自分を見させられ、決して落ち込みはしないけれど、どこか覚悟を決めさせられる。

いいじゃないか、年はとるもの。
出来なくなることやわからないことや、あきらめることが増えていく。
いいじゃないか、老いていくもの。
見守るだけのことや、送り出すことや、祈るだけのことが増えていく。

今年の夏も過ぎていく。
いろいろな思い出のこもりすぎた秋がくる。

緑の屋根.JPG

ゆっくり思い巡らし思い巡らし、涙を流したり、思い出に微笑んだりする時間が、いつかは与えられるのだろう。きっと。

願わくは、そんな時間が出来たときには、すべての思い出が遠く霞の彼方に行ってしまっていないことを祈ろうっと。


足跡ふたつ.jpg


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今日のバイブルノート [今日の事]


「キリストは、肉において生きておられたとき、
 激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、
 御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、
 その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
 
 キリストは御子であるにもかかわらず、
 多くの苦しみによって従順を学ばれました。
 
 そして完全な者となられたので、
 御自分に従順であるすべての人々に対して、
 永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような
 大祭司と呼ばれたのです。」ヘブル5:7~10

リンゴ畑の道.jpg


 新共同訳で読んでみたら、新しい感動があった。

 深く静かに、時間をかけて思い巡らしたい。
 愛するイエス様のことを・・・・・。



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