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美味しいね [家族の事]

父の筋力がとても落ちて来て、ベッドから起き上がることが難しくなって来ている。最も病気(レビー小体型認知症)のせいで波があり、割合にスムーズに起き上がる時もあって予想は出来ない。


どちらにしろ筋力が弱くなっていることは事実。自宅の玄関で靴を履いて、一階の駐車場までお迎えに来てくださるデイサービスの車に乗るのが大変であったりする。


そこで、居間の椅子から車椅子に移り、そのまま駐車場まで行くことにする。足も腰も痛むらしく、そのせいでもあるかもしれない。


今朝も、目が覚めてベッドの端に腰掛けるまではするのだが、立って居間に行くのは気が進まない様子。食事も「食べたくない、食べなくても良い。」薬も「飲まなくても良い。」着替えも何もかも「しなくても良い。」そういって横になろうとする。


いつもなら「心臓と喘息の発作が起きると困るから、薬を飲もう。」と促すと渋々でも起き上がるのだが、今日はそうはいかなかった。汗でパジャマが濡れていて、シーツも湿っているので、もう一度そこに寝るというのは避けたかったが、それでも心のどこかで「どうしても起きたくない。寝たいと言うなら仕方がないかなあ。」と思った。


そこでいつものテクニックで看護師さんのふりをした。

「さあ、ベッドを気持ち良く直しますね。ちょっと立っていただけますか?すみませんね〜。その間にシーツも取り替えて気持ちよ〜くして、それからまた寝ましょうか。大丈夫ですよ〜。」

すると、父は黙って立ち上がり(手すりや柱のお世話になりつつ)居間に向かってよろよろとあちこちにつかまりながらゆっくり歩き出した。


どこまでわかっているのかわからない。もしかしたら、全部わかっているのかもしれない。わかっていないかもしれない。それでも、どんな言葉や正統な理屈よりも、優しい感情や明るい表情や丁寧なスキンシップや、父を尊重する心配りや心遣いが父を動かすのは確かなのだ。


いつものように、私は父の乾布摩擦をし着替えさせ、母の用意したグリーンスムージーを飲んでもらい、ヨーグルトと甘酒と黒豆の煮たのを混ぜて食べ、朝食をとって薬を飲んでもらった。


介護していると、いろいろな言葉や身振りに振回されてしまうこともある。それでも、今日で終わりではなく、明日も明後日も、それから先も、ずっと続くことなのだ。いつかのその日を迎える時まで………。

いつも、愉快にたのしく過ごしてもらいたいと思っても、こちらの思うようには行かない。行かなくて当たり前なのだ。それでも良いのだ。


食事をしながら「美味しいね〜。」と言うと、父は改めて私の顔を眺めて「美味しいねー。」と言う。それで充分。


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静まること [家族の事]

父の薬が増えて、一錠半から二錠になった。

レビー小体型認知症の診断を受けて、二年半。

幸い幻視の大きな影響もなく、ただ更に筋肉の萎縮が見られる。


山歩きが好きで、山野草が好きで

写真を撮っては額にいれ

部屋中に飾り、またブログにアップしていた父が

歩くことに困難を覚え、足腰の痛みを訴え

家の中を歩くことさえ難しくなって行く。


先日車椅子での散歩の途中

公園に咲いていた可愛い山吹の花を一輪とって

父に渡すと「ああ、かわいいねえ。」と言って

家に持ち帰った。


数日前から、ベッドに起き上がって足を下ろし

座ったままで黙って静かにしている姿を見るようになった。


母が心配して

「お父さん、トイレなの?腰が痛いの?」

声をかける。


すると父は

「祈っているの。」

とか、またある時は

「神様に呼ばれたんだ。」

と答えるという。


今までになかったことだった。


昨日はお風呂に入ってもらう日で

その前に私が散歩に誘うと

「行かなくても良い。」と言って

立とうとしない。

無理強いしてもなあ・・・と思って

そのまま見ていると、

起き上がってベッドの端に座る。


トイレに行くのかと思っていたが一向に立ち上がろうとしない。

しばらく見ていたが、そのままの姿勢でいる。


私は、黙って父と並んで隣りに座った。


そうして、黙って父の隣りに静かに座っていると

なんだか胸が熱くなり

涙が静かに流れて止まらなくなった。


お父さん。


神様はなんて優しいのでしょう。

神様はどれほどお父さんを愛しておられるのでしょう。

この静まりの時に、満ちあふれている神様の愛と恵みに

言葉はいらない。


毎日父の介護をしながら

介護をしている私の方が

大きな慰めと癒しと、霊の介護を頂いている。


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年老いて、認知症になり

何もできなくなったと人は言うかもしれない。


でも、本当は

何もできなくなった時ほど

その人の価値が表れるのだろう。

その人の真実が現れるのだろう。


何もできなくなった時ほど

神様の愛が表れるのだろう。

神様の御恵み深さが現されるのだろう。


そう思ったよ。


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転会者のインタビュー [家族の事]

今年のイヤーブックに、私たちの教会に転会した両親のインタビューが掲載される。

まあ、インタビューしたのは私だけど・・・。


というわけで、ちょこっと先にここに掲載。


      

 転入会者インタビュー  父、母

1)お二人はどんな子どもでしたか?

父:五人兄弟の次男で、兄、姉、自分、弟、妹と丁度真ん中であった。小さい頃は、友達と山や川に行き魚を捕ったりして遊んでいた。家が果樹園だったので、果物の収穫や見張り番等の手伝いをした。おとなしくて本を読むのが好きであった。長距離スキーの選手でもあった。

母:四人兄弟の長女で、弟、妹、年の離れた弟がいた。父の転任に伴い、釧路、帯広、浜頓別、留辺蘂と北海道を転々とした。どこに行っても友達ができ、誰とでもよく遊んだ。素直で明るくて人が大好きで、世界中の人は味方だと思っていた(笑)

2)救いの証しを短く

父:高校一年のとき幼なじみに誘われて初めて教会に行く。教会に行き始めて二ヶ月後にもたれた聖会で、マタイ5章8節「幸いなるかな。心のきよき者。その人は神を見ん。」のみことばで、自分の罪に気づき、悔い改めの祈りをして救い主を信じた。

母:学校の教員をしていた時に、病気で入院していた枕元に、母が聖書を差し入れしてくれた。初めて聖書を読んだ時に、教員をしながらも自分の中にある偽善に気づき、夏期聖会がもたれた時に、黙示録2:10「汝死に至るまで忠実なれ。」のみことばにより、罪の悔い改めをして救いの恵みに与った。

3)ニューコミュニティの印象は?

父、母:初めは、大きくて都会的な教会で、田舎育ちの自分たちは馴れるまでは大変だったが、ベタベタした交わりではないのに、みな優しくて暖かくて、今では居心地が良いと感じる。礼拝に出席している方々が、食い入るようにしてメッセージを聞いている姿が印象的である。アパルームがあるから素晴らしいのだと思う。

4)好きなみことば、与えられたみことば その理由

父:マタイ5:8、3:17、第二コリント5:17(救いのみ言葉)

詩篇のみことば 牧師となって詩篇のみことばに励まされ支えられた。

母:黙示録2:10(救いのみ言葉)毎年、年頭に与えられるみことばを一年の間自分の標語として日々励まされています。

5)クリスチャンの後輩に一言

父、母:「神を知るを喜ぶこと燔祭に勝れり。」ホセア6:6  イエス様をもっともっと深く知ることを求め、喜びとしましょう。イエス様は私たちが思うよりもっと深く、私たちを愛してくださいます。

 

 

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父のこと [家族の事]

父がレビー小体型認知症を発症し、診断が出て薬を処方されて一年が過ぎた。
思い返してみると、これまでの数年間に出ていた症状の全てが、この病いを示していた。悪夢、幻視、視覚のゆがみ、筋肉のこわばり、歩行の不自然、認知のまだらなどなど。

薬を処方してもらって、半年、昨年秋からは半錠増えたが、よく効いていると思う。それでも、少しずつ進んでいるのは確かなのだ。

はっきりしている時の胸が痛くなるような謙遜の姿は、父の生きて来た人生の全てをあらわしている。決しておとなしいだけの人ではないし、頑固できかん気なところもある。けれど、数々の病いを得て、父は神様によって本当に謙遜な人とされたのだと思わされる。家では母に対して、デイサービスではかかわる方々に対して、父がいつもおぼつかない口で「ありがとう。」「すみませんね。」と繰り返すことは、決して当たり前のことではない。

一人暮らしをしている末の妹が、神奈川の家に帰る日に、父はとても具合が良かった。よくわかり声も出ていて、受け答えもしっかりしていた。

父「いくつになったの?」
妹「もう46だよ。」
父「すごいね。ひとりなの?」
妹「そう。」
父「お祈りできなくてごめんね。」

父にはいろんな思いがあるのだと思うが、それらを上手く言葉にすることがもう出来なくなっている。父の「出来ないお祈り」には、上手く言葉にできないと言うことと、かなわない祈りと言うこと、自分の(父が感じている)不甲斐なさ…そして、何より末っ子の妹に対する深い愛があらわされていて、そこに居たみんなが涙した。

帰り際上の妹が「私たちが帰っちゃうと母が寂しくなるね。」と言うと、父は玄関から出て行こうとする妹達をハグした後、見送る母をハグした。

父を見ていると、愛すると言うことが、言葉だけではないと言うこと、愛すると言うことの素晴らしさが、深い謙遜にあらわされると言うことを静かに教えられる。

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父は来週84歳の誕生日を迎える。


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ダイヤモンド婚 [家族の事]

今日10月14日は、両親の結婚60周年の記念の日であった。
1956年10月14日が、結婚の日だ。
鎌倉と神奈川の妹達が帰ってきて、家族6人で食事に出掛けた。

父はレビー小体型認知症を発症して約二年。
薬はよく効いているが、やはり病状は少しずつ進んでいる。

耳も悪く目も悪く、鼻も利かない。
そして、長い間喘息に苦しんだため、声もあまりでない。

それでも、黙って女ばかり5人の賑やかなおしゃべりを眺めていた。

2時間半ほど、プログラムまで作っての会食だったが、予想通りぐだぐだで(笑)初めから予定通りになんかいきゃしない。特別なお祝いの言葉も、改まった感謝の言葉もなく、その代わり懐かしい話や、笑い話や思い出話に愉快に花が咲いた。

まあ、いいか。

締めの感謝の祈りを父!がして、一同感謝と感動で散会となった。

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バースデイウィーク [家族の事]

先週はうちの子どもたちのバースデイウィークだった。
3人とも9月生まれで、帝王切開での出産だったので、お医者さんは日にちを揃えようか?なんて笑い話をしていた。長女は5日、次女は6日。そして長男は10日だ。

成人した子どもたちが3人も同居しているのもなかなか大変だが、それぞれ仕事の時間も違い、帰りも遅くて夕食を揃って一緒に食べることなんてほぼ無いに等しい。日曜日は毎週、青年たちが教会主事の家で夕食を共にして交わりの時をもつ習慣になっているので、休みの日も一緒に食べることはない。

ようやく5人の時間があう今週金曜日に3人の誕生会(多分ケーキを食べるくらいだけど)をすることになり、今からどんな風にお祝いと感謝の時を持とうかと考え中。それぞれ区切りの年と言うわけでもないし、特別記念の年と言うわけでもないけれど・・・。

9月10月は本当に忙しい月で、バタバタして過ごしてしまう。
ちょっとのとき、楽しく愉快な時間が持てたらいいな。


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父の書 [家族の事]

 父は20代の頃奉仕していた教会で、告別式の板書をしなくてはならず、うまくない自分の字にとても恥ずかしい思いをしたそうだ。その時から書道を習うようになった。小さい頃、私たち姉妹はよく父の硯の墨をする手伝いをした。北海道で過ごしていた頃のことである。遠い地におられる書道の先生に、お手本を頂いては書いて送り、採点してもらってはまた書くということを繰り返していた。

 私たち家族は父の字が本当に大好きだ。父の師匠だった安納近先生に本当によく似ている。優しくておおらかで柔らかで美しい字だ。

 レビー小体型認知症を発病して、父は硯の墨を擦って筆を持つことをしなくなった。いや、字や文章を書くことがほとんど出来なくなった。私たちはそう思っていた。

 でも、今年に入って母がお店で筆ペンを見つけ、子どもの落書き帳を買ってきた。そして、父の前に置いたのだった。そうしたら・・・・!

 今父は、時々だがお手本を見ながら静かに筆を走らせている。字は弱く時に形が崩れている。けれど、やはり美しい。多くの標語を書き、多くの書を人に送り、また多くの看板を書いた父であるが、静かに子どもの落書き帳に御言葉を書く姿を見ていると、胸が熱くなる。父がお手本にしているのは、何十年来師匠として慕ってきた安納先生の書かれた第一コリント13章のみ言葉だ。世界にたった一つの、父のためのお手本である。

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 今父は、自分のために筆を持ち、何度も何度も同じ御言葉を、落書き帳に書いているように見えるけれど、やっぱりそれはいつも神様のために書き、神様に捧げるものなんですね。
そう、今もそうなのだ。

 数年前に尋ねた父の故郷の、小さなカレーショップに、父が書いた額が掲げてあった。多分書いたのは今から40年ほど前のこと。まだ40代の父の字だ。クリスチャンではないマスターが、店内の一番良い所に掲げてくれたのだった。


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家族で [家族の事]

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。

 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 
 主は、あなたのすべての咎を赦し
 あなたのすべての病いをいやし、
 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは鷲のように、新しくなる。」詩篇103:1~5

富士山.JPG 

今年も関東から二人の妹たちが両親の家にやってきた。
両親の家にやってきた・・・帰省とは言いにくいのは、今、両親が住んでいるところは、私たちにとっては故郷ではなく、彼女たちにとっては住んだこともない土地だからだ。

かつて両親が住んでいたところには、なかなか家族全員が集まることは難しく、冠婚葬祭のたびに「次はいつかねぇ・・・」などと辛い思いを少し覚えながら話していた。それを思うと、今の家は、家族が集まりやすくなり、年に4、5回は一緒に食事をしたり祈ったりすることができるようになったのだから、本当に感謝なことだと思う。

今回も海の日を真ん中にやってきた妹と、隣町の妹と一緒に、両親の家で6人が揃ってともに祈りのときをもった。お互いのために祈ることはもちろんだったが、それぞれが神様に感謝した。

それは、こんなふうに家族全員で、共に同じ神様を見上げ、同じ思いで感謝し、同じ思いで互いのために祈るということが、当たり前のことではないということに改めて驚きつつ教えられたこと。

そして、神様のなさることはすべて最善であって、すべてが時にかなって麗しいと、心から信じ思えたことだった。

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それは、これまでの歩みだけではなく、これから私たちが歩むすべての道もそうであるということ。そのことを感謝と深い痛みとともに主の前に告白した。

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帰って行く妹たちを見送りながら、こうして一日一日が神様の御手の中で過ぎていく、ありきたりの日々の中に、深い慈しみとあわれみと、神様の最善と麗しさが満ちている、そう思った。




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春 雨 誕生日 [家族の事]

暖かい春の雨

今日は夫の誕生日だった。
こんな春の日に生まれたんだね。
おめでとう。

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この頃 [家族の事]

夫の風邪が長引いている。
滅多に風邪をひいたことがないし、ひいても長引くことはなかった。
疲れもたまっているのだろう。

いっちはこの頃早くからバイトに出掛ける。
夜もおそいので、一緒に夕食を食べることが少なくなった。

たかは早くに起きて朝食を食べ、そしてまた自室に入って一日過ごす。
先日バイトの面接に行って、二三日内には連絡が来る予定。
随分時間をかけて考えて決めたバイト先、決まると良いなあ。

みみは、相変わらず、洗濯掃除炊事担当。
私が忙しくしているので、この頃は夕食も作ってくれる。
助かる。

そんなこんなで過ぎて行く日々である。

ベランダをなんとかしたいが、先立つものがなくそのまま。
小さな森になっている。
小さな森・・・きらいじゃないよ。

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祖父のこと [家族の事]

母方の祖父が亡くなったのは、私が結婚して半年後の受難週のことだった。

 その頃私のお腹には長女がいて、祖父に取っては初の曾孫だった。
結婚して関西に来て、なれない習慣や言葉や、夫の家族の中での生活や新しい教会での奉仕に、緊張の日々で、不安や恐れや戸惑いの中で過ごして一か月後。夫と共に里帰りした。実家には両親と妹と祖父母が住んでいた。

 短い滞在を終えて嫁ぎ先に帰る朝、祖父母の部屋に行き、お別れの祈りの時を持った。
祖父は、79歳で信仰を持ってクリスチャンになっていた。
祖母は若い時に信仰を持ったから、お祈りも滑らかだったが、祖父は訥々とつっかえながら考え考え、私のために祈ってくれた。そして、祈りながら涙していた。

私のために涙を流してくれたのか。
そうだとしたら、どうしてだろう。
遠い地に嫁いで行ったからだろうか。
それまで一緒に過ごしていたのに、いなくなった寂しさだろうか。
それとも、知らない土地、知らない家族、知らない教会での生活を心配してのことだろうか。

その祈りの言葉をはっきりと覚えている。

たぶん、祖父は祈りに耳を傾けてくださる神様に、初孫である私の人生をお委ねすることの幸いに、涙したのではないだろうか。どんな力あるものより、豊かさより、権力より、知恵より「信頼出来る方」真実に愛を持って「引き受けてくださる方」に「守ってください。」と祈ることの出来る幸い。

朝ごとに祈るごとに祖父は涙していたと言う。
「こんな私のために・・・」と救い主の前にひれ伏して祈っていたと言う。

短いクリスチャン生活であったけれど、祖父は神様と本当の深い交わりを持っていたのだ。そのことをただ感謝し、心から嬉しく思う。


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たとえそうでなくても [家族の事]

たかの手術は無事に終わり、全身麻酔だったがめまいや吐き気もなく目覚めることが出来た。骨は斜めに折れていたので、繋ぐために長めのボルトがはいったが、取り出さずそのままでも良いそうで一安心。明日傷を診て、化膿やその他の心配がなければ退院の予定。

それにしても、彼自身がsnsに書き込みをしたので、多くの人に心配をかけ、また祈っていただいた。手の骨折でたった二日の入院なのにお騒がせして申し訳ない。不自由を覚えることや、みんなに祈っていただいたことなど、彼にとっていろいろ思い巡らし、考える材料が与えられたようだ。

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見えるところがどうであっても、現実がどうであっても、黒い雲がたれ込めていても、たとえ嵐の中であっても・・・その中に主が共にいてくださるなら平安。
本当に、かけがえのない救い主が私の右の手を握っていてくださることを、どれだけ私は知っているだろうか。こんな出来事の中で改めて思う。

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「たとえそうでなくても」あなた以外の誰を頼るでしょう。
財や知恵や力や名誉
貧しさや愚かさや剣や辱め
どんなものもあなたに代わるものはありません。

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「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
 今あるものも、後に来る者も、力ある者も
 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
 私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から
 私たちを引き離すことはできません。」 ローマ書9:38、39


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翼の下に [家族の事]

先週の月曜、友人と夕食に出掛けたたかは財布をなくした。

次の日の早朝、いつものようにバイトに出掛ける途中、眠気のせいで公園のフェンスに引っかかって自転車で転んだ。そして、左の頬と左手を強打。
左手は色が変わり腫れ上がっていた。

保険証の入った財布をなくしたのですぐに病院には行かなかった。
そのうち、東京に出掛けたりバイトがあったりで忙しく過ごした。
左手には湿布をしていたが、腫れが引いても痛みがなくならない。
とうとう保険証を再発行してもらい、今日病院に行ってレントゲンを撮った。

骨折していた。そして、今日診てもらった病院で紹介状を書いてもらい、明日違う大きな病院で手術する事になった。
たかの手術のために準備をしていた夫が、携帯を落として液晶にひどいひび割れが出来てしまった。修理に3万以上もかかると言う。修理に出すのはあきらめて、画面にシートを張って取りあえず使い続ける事になった。たかはなんだか自分に責任があるように思えて気持ちが重い。

たかの財布は相変わらず見つからない。
警察に届けてはいるけれど、見つかる可能性は薄い。

東京に行くために下ろしたばかりの大金(笑)
保険証、銀行のカード(ストップして再発行してもらった)大金をチャージしたICOCAのカード、バンド演奏の交通費としてもらったプリペイドカード。そしてなにより、高校に入学してから、一生懸命マクドでバイトして買ったお気に入りの財布。
全部なくなってしまった。

財布を落とし
骨折し
手術をする。
バイトは代わってもらわなくてはならず
演奏等のスケジュールも変更せざるを得ない
しばらくお金もない生活

それでも神様は最善という事が出来るか?たか。

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第一のことを第一にして行こう。
それでもあなたを信じますと告白しよう。
大丈夫。大丈夫。
私たちのすべての日々に、主は共にいてくださる。

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夜の家族の祈り会でみんなで心を合わせて祈る事が出来る感謝。

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手を離す [家族の事]

今日は二時から大きな手術をする方がおられる。
同じく今日、まもなく自宅療養に入る前に必要な手術を受けられる方がおられる。
手術を受けられる方も、それを見守る家族もどんな思いでおられるだろう。
回復のために祈らされている。

16年前に大きな手術を受けた。
その春中学に入学する長女が、夫と共にエレベーターの前まで、手術室に向かう私のストレッチャーを見送ってくれた。つないだ彼女の手がずっと震えていたと、後で夫に聞いた。

その入院の間、余りの傷みと苦しさの中で神様に祈った。

「主よ。どうぞ、子ども達にはこの傷みと苦しみを生涯お与えにならないでください。私が、今、子ども達の分の苦しみと傷みを痛みますので。」

今思うとなんと自分勝手な祈りかと思う。

でも神様はその祈りの中で、私に答えてくださった。

「いや、お前の痛みや苦しみでは足りない。
お前ではなく、わたしが。
このわたしが、一人ひとりのために、その代わりに苦しみ痛むのだ。
それで充分ではないか。」
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涙の中で悔い改めた。

子ども達を愛しているのは、この私だけではないのだ。
イエス様が、命をかけて愛していてくださっているのだ。
その人生は、主のみ手の中にあるのだ。私がそうであるように…。

自分のものであると思っていたものから、一つ手を離したときだった。
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鷲のように [家族の事]

今日の夕方いつものように買い物に出た。
いつものスーパーに入っていくと、通路のベンチに見慣れた人影が……。
母の買い物が終わるのを待っている父だった。
この頃は老人性健忘症が随分進んだ感じのする父だが、並んで腰掛けた私に、おもむろに杖と水筒を渡すと「すぐそこのトイレに行って来る。」と言って立っていった。

あれ?
私がそこで父と会ったのは本当に偶然!
驚かそうと声も掛けずに横に座ったのに、父は約束して待ち合わせていたように非常に滑らかに私に杖と水筒を渡したのだった。

トイレから帰った父と、訥々と話をしながら、買い物に行った母を待つ。
こう言う時間が本当に幸いな時間と言うのだろうと思った。
戻って来た母と連れ立って家に戻る後ろ姿を、しばらく見ていた。

以前は背の高い父は足も速く、一緒に歩くと言うより、母を置いてどんどん先に行ってしまうことが多かったように思うが、この頃は足も腰も弱くなり、筋力も落ちて、母のうしろをゆっくりと杖を頼りに歩いていく。

老いを悲しいと思うか。

そう、かつての姿と比べてみると、老いていく姿は悲しく見えるかもしれない。
でも、これが人のあるべき姿なのだと胸に刻み込むようにして両親を見送った。

毎日毎瞬私たちは老いと死に向かって進んでいるのだ。
忘れてはいけない。
そして、備えはどうだろうか。

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「おなかすいた〜」 [家族の事]

毎日毎日、家族のお腹を満たすことを考えていると、本当にお母さんて「食堂のおばちゃん」なのって思う。いやいや、でも、やっぱり違うよね。

一人ひとりの身体の具合
今日のお天気や気温
好きなもの嫌いなもの、それぞれ
(どうして兄弟で同じもの食べて育ったのに、好き嫌いが違うんだろう??)
昨日食べたもの、今朝食べたもの
今日の夕食の献立のこと
明日の食事の予定
一人ひとりに合った量のこと
そして今冷蔵庫に入っているもの(笑)
出来上がる時間(料理にかかる時間)のこと
そんなことが頭の中をぐるぐるぐるぐる。

お腹一杯になって満足している家族の顔を見て満足している。

料理は、愛する家族のためにしているときが一番幸せ。

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近況ですが。 [家族の事]

半年に一度の大きな集まりが終わった。
ある地区の担当として、集まりのチラシ、チケット配布から購入手続き、集金、人数確認、申し込みなどの作業を、二ヶ月余りにわたってする。大きなお金がかかっているし、どれ一つ間違っても大事になるので、気の休まることがない。
三年前始めて担当した時に、人数確認とチケット代支払いに食い違いがあり、顔面蒼白心臓漠々頭真っ白になった。恐ろしい出来事(笑)だったなあ。もちろん、記憶、記録間違いで解決したけれど。
同時に書記の働きをになわされている。どうしてそのようなことになったのか、成り行きがよくわからないのだが、そう言うことになったのだ。これ又責任重大で、議事録を作成するって、こんなに神経使ったっけ?いろんな集まりや組織の書記をして来たけど、全く違う意味でしんどい。
とにかく、とりあえず終わった。
今回はいつもの倍以上の参加者で、最後の最後まで気をもんだ。
でも、無事終了。

乏しい知力体力を使い果たして、昨日はぐったりであった。
ところが、夜になってたかが「喉が痛い。前と一緒の感じ」と言い出した。
熱を測ると37.3°……。こーれーはー。
結局何も食べられすに一日過ごしていたらしい。
今日は朝から又おじいちゃん先生のところに行く。そして、治りきっていないことがわかり、改めてお薬をいただき、ついでに診察室で点滴をしていただく。

いっちは今週一杯東京代々木の施設での全国集会に出席中で、土曜に帰って来たら、来週は春季学校でまた一週間出かける。体調がとっても心配。
みんみも、昨年piccaをやめてから、ずっと体調が良くない。ここに来て顔の湿疹もよく出ている。

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なんだか春が近づいている気配に、わくわくするが、同時にみんなの身体のあちこちに、何ともだるくてしんどい何かが積もっているような感じがするよ。

愛するみんなが守られ支えられますように、ひたすら祈らされる。
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扁桃腺炎 [家族の事]

先週末からたかが喉を腫らし、熱も出て、痛みの為に唾さえ飲み込めない状態になった。

ホームドクターのおじいちゃん先生の病院に行くと、扁桃腺が炎症をおこしていて、膿んでひどい状態だと言う。
抗生剤と炎症止め等4種類の薬が出て、ひたすら寝ては熱を測り、ポカリスエットを飲んでは薬を飲み、さらに寝て過ごした。
ただでさえ細いからだが、五日ほども何も食べられす、ますます細くなった。
今日血液検査の結果を聞きに行った。
白血球の状態が非常時だという(笑)通常3900~9800位の数値のところ、19800であった。
更に好中球の数値は平常35,0~73,0%,のところ81,0%。
なるほど、非常時、非常事態だ。

数値の説明を聞きながら、私達の身体はこんなふうに、自分の身体を守るように、ウイルスや細菌と戦うようにと神様の不思議な御手によって創造されているのだなあと改めて思った。

これ以上ひどいと耳鼻科で切開してもらわにゃならんとおじいちゃん先生が言うので、たかと私は顔を青くした。しかし、次の瞬間先生は点滴をした方が良いな、といってすぐに準備をさせた。あれよあれよという間に、奥の部屋に(四畳半の畳のお部屋)布団が敷かれ、たかはそこに寝かされた。
そして、抗生剤とブドウ糖の点滴をしていただいた。

実は、普通点滴を受ける診察室のベッドには、先客がおられたので、たぶん看護師さんの控え室と言うか着替え部屋と言うか荷物置き部屋と言うか、とにかくそう言う部屋に寝かされたのであった。
なんだか、懐かしいような不思議な面白いことで、青白い顔をして寝ているたかをよそに、私は部屋のあちこちを眺めてはいろいろ考えたり思い巡らしたり…。
そうして無事に点滴を終えて帰って来たのだった。

昨日くらいから少し喉の調子も良くなっていたので、今日は点滴をしていただいたおかげか、昼食にはうどんを食べることが出来た。

本人曰く、お腹が空いて夕べは寝られなかったそうだが、喉の痛みがひどくて、とても何かを食べられるとは思えず辛かった。ということだった。
五日ぶりの鍋焼きうどんはさぞかし美味しかったでしょうね。

明日にはさらに元気になるだろう。
祈らされた五日間だった。
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新しい洗濯機 [家族の事]

うちの洗濯機が宇宙人のような音を出すようになってしばらく経つ。

14年以上5人の家族の洗濯物を奇麗にし続けてくれた。
まだ小学生中学生だった子どもたちの給食着や体操服。

多い時で一日三回。
夜の間にたまったものを朝一番に洗濯。
出かける前にシャワーを浴びたみんなの寝間着や下着でもう1回。
天気のいい日はシーツやカーテンの大物でもう一回。

でも、いつからか脱水中にガタガタガタッ!!!と思い切り大きな音を立てて身体を揺らし、脱水が止まる時には宇宙人が首を絞められたような(聞いたことないけど)ギギギギーーーーーッ!!!!というとを出すようになった。
脱水もいまいちだし、汚れもなかなか取れない。
もう限界かなと思った。

それで新しい洗濯機を8回払いで購入。
新しい機能や乾燥機など入らない。
ごく単純でシンプルな今までの洗濯機と同じタイプの安いもの(笑)

ベランダに洗濯物を干すのが好きだし。からっと乾いた洗濯物を取り込むのは、お日様の匂いがして幸せだと思うし、北国育ちの私にとっては本当に嬉しいことなので。

昔神学校で、大きな集まりの後の百人分くらいのシーツやタオルを、屋外に張り巡らした紐にひたすら干して行くのが楽しかった。
学院洗濯もの.JPG

ただ一つ。
今までの洗濯機は終了すると短い音楽がなったのだが、新しい洗濯機は無愛想で無機質なビーッビーッビーッと言う音が鳴ると言うところがどうも気に入らな。気に入らないというか、同じような音があちこちで鳴るのでとまどう。


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やっぱり愛だ。 [家族の事]

料理を作るということは、同時進行でいくつものことをしなくてはならないということ。

しかも、それは出来上がりの時間を予想して、熱いものは直前に、さめても良いものは先に作る。

頭の中で、出来上がりと手順とをこねくり回しながら、躊躇なく取捨選択して仕事を進めていくということ。あらかじめレシピが出来ているなら簡単だ。それにそって作業を進めれば良い。でも、大概の主婦は今冷蔵庫にあるもので、そのときその時にレシピを作り上げて行く。失敗作もあるけど、素晴らしい出来で感激の時もある。でも、悲しいかなそういう時に限って、二度と同じものを作ることが出来なかったりする(笑)

それでも良いと思っている。
生活するということはそういうことだ。
生きているということはそういうことだ。
綱渡りのようで、計画的な仕事だ。
毎日毎日…毎日毎日だ。

でも、考えてみたら主婦の仕事をちゃんとしようとすると、どれもみんなそうなんだよなあ。

それでも、毎日同じことを繰り返すことが出来るのは
そして、もっと良いものをと思うことが出来るのは

やっぱり愛だよね。
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