美味しいね [家族の事]
静まること [家族の事]
転会者のインタビュー [家族の事]
転入会者インタビュー 父、母
1)お二人はどんな子どもでしたか?
父:五人兄弟の次男で、兄、姉、自分、弟、妹と丁度真ん中であった。小さい頃は、友達と山や川に行き魚を捕ったりして遊んでいた。家が果樹園だったので、果物の収穫や見張り番等の手伝いをした。おとなしくて本を読むのが好きであった。長距離スキーの選手でもあった。
母:四人兄弟の長女で、弟、妹、年の離れた弟がいた。父の転任に伴い、釧路、帯広、浜頓別、留辺蘂と北海道を転々とした。どこに行っても友達ができ、誰とでもよく遊んだ。素直で明るくて人が大好きで、世界中の人は味方だと思っていた(笑)
2)救いの証しを短く
父:高校一年のとき幼なじみに誘われて初めて教会に行く。教会に行き始めて二ヶ月後にもたれた聖会で、マタイ5章8節「幸いなるかな。心のきよき者。その人は神を見ん。」のみことばで、自分の罪に気づき、悔い改めの祈りをして救い主を信じた。
母:学校の教員をしていた時に、病気で入院していた枕元に、母が聖書を差し入れしてくれた。初めて聖書を読んだ時に、教員をしながらも自分の中にある偽善に気づき、夏期聖会がもたれた時に、黙示録2:10「汝死に至るまで忠実なれ。」のみことばにより、罪の悔い改めをして救いの恵みに与った。
3)ニューコミュニティの印象は?
父、母:初めは、大きくて都会的な教会で、田舎育ちの自分たちは馴れるまでは大変だったが、ベタベタした交わりではないのに、みな優しくて暖かくて、今では居心地が良いと感じる。礼拝に出席している方々が、食い入るようにしてメッセージを聞いている姿が印象的である。アパルームがあるから素晴らしいのだと思う。
4)好きなみことば、与えられたみことば その理由
父:マタイ5:8、3:17、第二コリント5:17(救いのみ言葉)
詩篇のみことば 牧師となって詩篇のみことばに励まされ支えられた。
母:黙示録2:10(救いのみ言葉)毎年、年頭に与えられるみことばを一年の間自分の標語として日々励まされています。
5)クリスチャンの後輩に一言
父、母:「神を知るを喜ぶこと燔祭に勝れり。」ホセア6:6 イエス様をもっともっと深く知ることを求め、喜びとしましょう。イエス様は私たちが思うよりもっと深く、私たちを愛してくださいます。
父のこと [家族の事]
ダイヤモンド婚 [家族の事]
バースデイウィーク [家族の事]
父の書 [家族の事]
家族で [家族の事]
この頃 [家族の事]
滅多に風邪をひいたことがないし、ひいても長引くことはなかった。
疲れもたまっているのだろう。
いっちはこの頃早くからバイトに出掛ける。
夜もおそいので、一緒に夕食を食べることが少なくなった。
たかは早くに起きて朝食を食べ、そしてまた自室に入って一日過ごす。
先日バイトの面接に行って、二三日内には連絡が来る予定。
随分時間をかけて考えて決めたバイト先、決まると良いなあ。
みみは、相変わらず、洗濯掃除炊事担当。
私が忙しくしているので、この頃は夕食も作ってくれる。
助かる。
そんなこんなで過ぎて行く日々である。
ベランダをなんとかしたいが、先立つものがなくそのまま。
小さな森になっている。
小さな森・・・きらいじゃないよ。
祖父のこと [家族の事]
その頃私のお腹には長女がいて、祖父に取っては初の曾孫だった。
結婚して関西に来て、なれない習慣や言葉や、夫の家族の中での生活や新しい教会での奉仕に、緊張の日々で、不安や恐れや戸惑いの中で過ごして一か月後。夫と共に里帰りした。実家には両親と妹と祖父母が住んでいた。
短い滞在を終えて嫁ぎ先に帰る朝、祖父母の部屋に行き、お別れの祈りの時を持った。
祖父は、79歳で信仰を持ってクリスチャンになっていた。
祖母は若い時に信仰を持ったから、お祈りも滑らかだったが、祖父は訥々とつっかえながら考え考え、私のために祈ってくれた。そして、祈りながら涙していた。
私のために涙を流してくれたのか。
そうだとしたら、どうしてだろう。
遠い地に嫁いで行ったからだろうか。
それまで一緒に過ごしていたのに、いなくなった寂しさだろうか。
それとも、知らない土地、知らない家族、知らない教会での生活を心配してのことだろうか。
その祈りの言葉をはっきりと覚えている。
たぶん、祖父は祈りに耳を傾けてくださる神様に、初孫である私の人生をお委ねすることの幸いに、涙したのではないだろうか。どんな力あるものより、豊かさより、権力より、知恵より「信頼出来る方」真実に愛を持って「引き受けてくださる方」に「守ってください。」と祈ることの出来る幸い。
朝ごとに祈るごとに祖父は涙していたと言う。
「こんな私のために・・・」と救い主の前にひれ伏して祈っていたと言う。
短いクリスチャン生活であったけれど、祖父は神様と本当の深い交わりを持っていたのだ。そのことをただ感謝し、心から嬉しく思う。
たとえそうでなくても [家族の事]
それにしても、彼自身がsnsに書き込みをしたので、多くの人に心配をかけ、また祈っていただいた。手の骨折でたった二日の入院なのにお騒がせして申し訳ない。不自由を覚えることや、みんなに祈っていただいたことなど、彼にとっていろいろ思い巡らし、考える材料が与えられたようだ。
見えるところがどうであっても、現実がどうであっても、黒い雲がたれ込めていても、たとえ嵐の中であっても・・・その中に主が共にいてくださるなら平安。
本当に、かけがえのない救い主が私の右の手を握っていてくださることを、どれだけ私は知っているだろうか。こんな出来事の中で改めて思う。
「たとえそうでなくても」あなた以外の誰を頼るでしょう。
財や知恵や力や名誉
貧しさや愚かさや剣や辱め
どんなものもあなたに代わるものはありません。
「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来る者も、力ある者も
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から
私たちを引き離すことはできません。」 ローマ書9:38、39
翼の下に [家族の事]
次の日の早朝、いつものようにバイトに出掛ける途中、眠気のせいで公園のフェンスに引っかかって自転車で転んだ。そして、左の頬と左手を強打。
左手は色が変わり腫れ上がっていた。
保険証の入った財布をなくしたのですぐに病院には行かなかった。
そのうち、東京に出掛けたりバイトがあったりで忙しく過ごした。
左手には湿布をしていたが、腫れが引いても痛みがなくならない。
とうとう保険証を再発行してもらい、今日病院に行ってレントゲンを撮った。
骨折していた。そして、今日診てもらった病院で紹介状を書いてもらい、明日違う大きな病院で手術する事になった。
たかの手術のために準備をしていた夫が、携帯を落として液晶にひどいひび割れが出来てしまった。修理に3万以上もかかると言う。修理に出すのはあきらめて、画面にシートを張って取りあえず使い続ける事になった。たかはなんだか自分に責任があるように思えて気持ちが重い。
たかの財布は相変わらず見つからない。
警察に届けてはいるけれど、見つかる可能性は薄い。
東京に行くために下ろしたばかりの大金(笑)
保険証、銀行のカード(ストップして再発行してもらった)大金をチャージしたICOCAのカード、バンド演奏の交通費としてもらったプリペイドカード。そしてなにより、高校に入学してから、一生懸命マクドでバイトして買ったお気に入りの財布。
全部なくなってしまった。
財布を落とし
骨折し
手術をする。
バイトは代わってもらわなくてはならず
演奏等のスケジュールも変更せざるを得ない
しばらくお金もない生活
それでも神様は最善という事が出来るか?たか。
第一のことを第一にして行こう。
それでもあなたを信じますと告白しよう。
大丈夫。大丈夫。
私たちのすべての日々に、主は共にいてくださる。
夜の家族の祈り会でみんなで心を合わせて祈る事が出来る感謝。
手を離す [家族の事]
同じく今日、まもなく自宅療養に入る前に必要な手術を受けられる方がおられる。
手術を受けられる方も、それを見守る家族もどんな思いでおられるだろう。
回復のために祈らされている。
16年前に大きな手術を受けた。
その春中学に入学する長女が、夫と共にエレベーターの前まで、手術室に向かう私のストレッチャーを見送ってくれた。つないだ彼女の手がずっと震えていたと、後で夫に聞いた。
その入院の間、余りの傷みと苦しさの中で神様に祈った。
「主よ。どうぞ、子ども達にはこの傷みと苦しみを生涯お与えにならないでください。私が、今、子ども達の分の苦しみと傷みを痛みますので。」
今思うとなんと自分勝手な祈りかと思う。
でも神様はその祈りの中で、私に答えてくださった。
「いや、お前の痛みや苦しみでは足りない。
お前ではなく、わたしが。
このわたしが、一人ひとりのために、その代わりに苦しみ痛むのだ。
それで充分ではないか。」
涙の中で悔い改めた。
子ども達を愛しているのは、この私だけではないのだ。
イエス様が、命をかけて愛していてくださっているのだ。
その人生は、主のみ手の中にあるのだ。私がそうであるように…。
自分のものであると思っていたものから、一つ手を離したときだった。
鷲のように [家族の事]
いつものスーパーに入っていくと、通路のベンチに見慣れた人影が……。
母の買い物が終わるのを待っている父だった。
この頃は老人性健忘症が随分進んだ感じのする父だが、並んで腰掛けた私に、おもむろに杖と水筒を渡すと「すぐそこのトイレに行って来る。」と言って立っていった。
あれ?
私がそこで父と会ったのは本当に偶然!
驚かそうと声も掛けずに横に座ったのに、父は約束して待ち合わせていたように非常に滑らかに私に杖と水筒を渡したのだった。
トイレから帰った父と、訥々と話をしながら、買い物に行った母を待つ。
こう言う時間が本当に幸いな時間と言うのだろうと思った。
戻って来た母と連れ立って家に戻る後ろ姿を、しばらく見ていた。
以前は背の高い父は足も速く、一緒に歩くと言うより、母を置いてどんどん先に行ってしまうことが多かったように思うが、この頃は足も腰も弱くなり、筋力も落ちて、母のうしろをゆっくりと杖を頼りに歩いていく。
老いを悲しいと思うか。
そう、かつての姿と比べてみると、老いていく姿は悲しく見えるかもしれない。
でも、これが人のあるべき姿なのだと胸に刻み込むようにして両親を見送った。
毎日毎瞬私たちは老いと死に向かって進んでいるのだ。
忘れてはいけない。
そして、備えはどうだろうか。
「おなかすいた〜」 [家族の事]
一人ひとりの身体の具合
今日のお天気や気温
好きなもの嫌いなもの、それぞれ
(どうして兄弟で同じもの食べて育ったのに、好き嫌いが違うんだろう??)
昨日食べたもの、今朝食べたもの
今日の夕食の献立のこと
明日の食事の予定
一人ひとりに合った量のこと
そして今冷蔵庫に入っているもの(笑)
出来上がる時間(料理にかかる時間)のこと
そんなことが頭の中をぐるぐるぐるぐる。
お腹一杯になって満足している家族の顔を見て満足している。
料理は、愛する家族のためにしているときが一番幸せ。
近況ですが。 [家族の事]
ある地区の担当として、集まりのチラシ、チケット配布から購入手続き、集金、人数確認、申し込みなどの作業を、二ヶ月余りにわたってする。大きなお金がかかっているし、どれ一つ間違っても大事になるので、気の休まることがない。
三年前始めて担当した時に、人数確認とチケット代支払いに食い違いがあり、顔面蒼白心臓漠々頭真っ白になった。恐ろしい出来事(笑)だったなあ。もちろん、記憶、記録間違いで解決したけれど。
同時に書記の働きをになわされている。どうしてそのようなことになったのか、成り行きがよくわからないのだが、そう言うことになったのだ。これ又責任重大で、議事録を作成するって、こんなに神経使ったっけ?いろんな集まりや組織の書記をして来たけど、全く違う意味でしんどい。
とにかく、とりあえず終わった。
今回はいつもの倍以上の参加者で、最後の最後まで気をもんだ。
でも、無事終了。
乏しい知力体力を使い果たして、昨日はぐったりであった。
ところが、夜になってたかが「喉が痛い。前と一緒の感じ」と言い出した。
熱を測ると37.3°……。こーれーはー。
結局何も食べられすに一日過ごしていたらしい。
今日は朝から又おじいちゃん先生のところに行く。そして、治りきっていないことがわかり、改めてお薬をいただき、ついでに診察室で点滴をしていただく。
いっちは今週一杯東京代々木の施設での全国集会に出席中で、土曜に帰って来たら、来週は春季学校でまた一週間出かける。体調がとっても心配。
みんみも、昨年piccaをやめてから、ずっと体調が良くない。ここに来て顔の湿疹もよく出ている。
なんだか春が近づいている気配に、わくわくするが、同時にみんなの身体のあちこちに、何ともだるくてしんどい何かが積もっているような感じがするよ。
愛するみんなが守られ支えられますように、ひたすら祈らされる。
扁桃腺炎 [家族の事]
ホームドクターのおじいちゃん先生の病院に行くと、扁桃腺が炎症をおこしていて、膿んでひどい状態だと言う。
抗生剤と炎症止め等4種類の薬が出て、ひたすら寝ては熱を測り、ポカリスエットを飲んでは薬を飲み、さらに寝て過ごした。
ただでさえ細いからだが、五日ほども何も食べられす、ますます細くなった。
今日血液検査の結果を聞きに行った。
白血球の状態が非常時だという(笑)通常3900~9800位の数値のところ、19800であった。
更に好中球の数値は平常35,0~73,0%,のところ81,0%。
なるほど、非常時、非常事態だ。
数値の説明を聞きながら、私達の身体はこんなふうに、自分の身体を守るように、ウイルスや細菌と戦うようにと神様の不思議な御手によって創造されているのだなあと改めて思った。
これ以上ひどいと耳鼻科で切開してもらわにゃならんとおじいちゃん先生が言うので、たかと私は顔を青くした。しかし、次の瞬間先生は点滴をした方が良いな、といってすぐに準備をさせた。あれよあれよという間に、奥の部屋に(四畳半の畳のお部屋)布団が敷かれ、たかはそこに寝かされた。
そして、抗生剤とブドウ糖の点滴をしていただいた。
実は、普通点滴を受ける診察室のベッドには、先客がおられたので、たぶん看護師さんの控え室と言うか着替え部屋と言うか荷物置き部屋と言うか、とにかくそう言う部屋に寝かされたのであった。
なんだか、懐かしいような不思議な面白いことで、青白い顔をして寝ているたかをよそに、私は部屋のあちこちを眺めてはいろいろ考えたり思い巡らしたり…。
そうして無事に点滴を終えて帰って来たのだった。
昨日くらいから少し喉の調子も良くなっていたので、今日は点滴をしていただいたおかげか、昼食にはうどんを食べることが出来た。
本人曰く、お腹が空いて夕べは寝られなかったそうだが、喉の痛みがひどくて、とても何かを食べられるとは思えず辛かった。ということだった。
五日ぶりの鍋焼きうどんはさぞかし美味しかったでしょうね。
明日にはさらに元気になるだろう。
祈らされた五日間だった。
新しい洗濯機 [家族の事]
14年以上5人の家族の洗濯物を奇麗にし続けてくれた。
まだ小学生中学生だった子どもたちの給食着や体操服。
多い時で一日三回。
夜の間にたまったものを朝一番に洗濯。
出かける前にシャワーを浴びたみんなの寝間着や下着でもう1回。
天気のいい日はシーツやカーテンの大物でもう一回。
でも、いつからか脱水中にガタガタガタッ!!!と思い切り大きな音を立てて身体を揺らし、脱水が止まる時には宇宙人が首を絞められたような(聞いたことないけど)ギギギギーーーーーッ!!!!というとを出すようになった。
脱水もいまいちだし、汚れもなかなか取れない。
もう限界かなと思った。
それで新しい洗濯機を8回払いで購入。
新しい機能や乾燥機など入らない。
ごく単純でシンプルな今までの洗濯機と同じタイプの安いもの(笑)
ベランダに洗濯物を干すのが好きだし。からっと乾いた洗濯物を取り込むのは、お日様の匂いがして幸せだと思うし、北国育ちの私にとっては本当に嬉しいことなので。
昔神学校で、大きな集まりの後の百人分くらいのシーツやタオルを、屋外に張り巡らした紐にひたすら干して行くのが楽しかった。
ただ一つ。
今までの洗濯機は終了すると短い音楽がなったのだが、新しい洗濯機は無愛想で無機質なビーッビーッビーッと言う音が鳴ると言うところがどうも気に入らな。気に入らないというか、同じような音があちこちで鳴るのでとまどう。
やっぱり愛だ。 [家族の事]
しかも、それは出来上がりの時間を予想して、熱いものは直前に、さめても良いものは先に作る。
頭の中で、出来上がりと手順とをこねくり回しながら、躊躇なく取捨選択して仕事を進めていくということ。あらかじめレシピが出来ているなら簡単だ。それにそって作業を進めれば良い。でも、大概の主婦は今冷蔵庫にあるもので、そのときその時にレシピを作り上げて行く。失敗作もあるけど、素晴らしい出来で感激の時もある。でも、悲しいかなそういう時に限って、二度と同じものを作ることが出来なかったりする(笑)
それでも良いと思っている。
生活するということはそういうことだ。
生きているということはそういうことだ。
綱渡りのようで、計画的な仕事だ。
毎日毎日…毎日毎日だ。
でも、考えてみたら主婦の仕事をちゃんとしようとすると、どれもみんなそうなんだよなあ。
それでも、毎日同じことを繰り返すことが出来るのは
そして、もっと良いものをと思うことが出来るのは
やっぱり愛だよね。