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幼い日のこと(1) [想い出いろいろ]

両親は、留辺蘂の小さな教会の前に小さな畑を作った。

玄関から出て右側に父が作った小さな砂場があったが、その向こうに作られた畑では、ネギやナスやとうきびやエンドウ豆が収穫の季節になると次々に出来て、小さな私たち姉妹は、笊を持って小さな手で収穫の手伝いをした。

玄関から表の細い道まで、砂利を引いた短い私道があって、右にはマーガレットの株が連なって植わっていた。季節になるとたくさんの白い花が咲いた。私たちは容赦無く花を手折って遊んだものだ。左にはクコの株が植わっていて、父はその葉を摘んで干してクコ茶を作って飲んでいた。私たち姉妹も飲まされたが、私はそのへんに甘くて臭いお茶が苦手であった。

そして、その横に父はささやかな花畑を作った。入り口に大手毬の木が植わっていて、季節が来るとクリームがかった大きな花房をつけた。その花が大好きだった。母は、時々ひと枝手折って学校に持って行かせてくれた。教室の先生の机に、その花を飾る時に、なんとも言えない誇らしい思いがしたことを覚えている。

その花畑に他にどんな花が植わっていたのか、はっきりと覚えていないが、ある時教会を訪ねてこられた偉い先生に、父はその花畑を案内していたのだから、多分案内するに足る花々が植わっていたのだろう。春だった。私たち姉妹は、お客様を喜ばせようと、北海道の大きなタンポポの花を編んで、花畑の中にあったアーチの門に飾った。ところが、花粉症だった母は、そのタンポポのせいでひどいアレルギーの症状を起こしたのだった。良かれと思った事が悲しい結末になった。

母方の祖父母の家の奥に、線路まである広い畑があった。時折蒸気機関車が大きな汽笛を鳴らして走っていく。いろんな花や野菜が植わっていて、祖父は楽しそうに手入れをしていた。小さな作業小屋には金眼銀目の白猫が住んでいた。

教会の前の細い道の向こうは、広い広い田んぼであった。あぜ道に咲くタンポポ、ミゾソバ、勿忘草、ぺんぺん草、オオバコなどの小さい花が大好きであった。

学校から帰ってくると、春も夏も秋も田んぼで遊んだものだ。途中に流れている小さな川や、田んぼの中の生き物たち。

春に、思いがけないところから芽を出し花を咲かせる福寿草。

夏になるとぐんぐん伸びていく稲の葉と夜の蛙の大合唱。

秋には、刈り取った稲の株の間を行進する子どもたち。

そして、冬はただひたすら広い雪野原になる田んぼで、何日もかけて作った雪の陣地での雪合戦。

思い出したらきりがない。

ゆっくり書いておこうと思った。


紅葉山の紅葉.JPG
紅葉山・・・。

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