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父と母のこと [家族の事]

父が危篤との知らせを受けたのは、5月の12日の早朝だった。

朝の2号線は渋滞していて、隣町の病院に着くまでの時間がもどかしく苦しかった。

延命治療を断っていたので、個室に移されて酸素マスクをつけた父の体には、血中酸素を測る機械と血圧を測る線と心拍数をはかる線が繋がっている先に、それらを示す機械が動いていた。

2月から2ヶ月半の間、コロナウイルスの感染防止のために面会もお見舞いもできずにいて久しぶりに顔を見た父は、とてもとても痩せていた。苦しい息をしながら時折目を開けていたが、その目には何も写っていないかのようであった。

少しずつ少しずつ血圧が落ち、心拍数が落ちていたが、それでも四日間父は頑張った。四姉妹が周りを囲んで賛美をし、祈り、介護した。いっときも離れずそれぞれがそのそばに付き添って、四人が一回りした5月15日、危篤と言われて四日目の夜に父は息を引き取った。静かな死であった。

同じ病院に入院していた母も、毎日車椅子で看護師に付き添われて父に会いに来ることが出来たことは本当に奇跡のようなことだった。母は、骨髄異形成症候群のために、様々な悪い症状が起きており、痛みと高熱と息苦しさで5月のはじめに緊急入院していたのだ。担当医は、母の方が父より先に逝くのではないかと言っていたのだが、結婚してから60年以上、体の弱かった父の介護をして過ごしていた母が、父の最期を看取ることが出来たのは、本当に神様の憐れみであった。

おそらくホッとしただろう。

母は、その病いのせいで胸の上部にできた悪性の腫瘤から流れ出る水が心臓と肺に溜まっていた。これから訪れるであろう溺れるような苦しさと心臓の圧迫を予想していた医師は、自分だったら麻酔や睡眠薬を使ってその苦しさから逃れたいと言った。

母は、その苦しさから逃れるために薬を使うことは、神様が与えられるものから逃れることになってしまわないのか、神様に申し訳ないことにはならないのかと心配した。

信じている神様から受けるものすべてを、たとえそれが苦しみや悲しみや、喪失や痛みであっても感謝して喜んで受け取りながら生涯を歩んできた母らしい言葉であった。

しかし、そんな話をしていた母は、その薬を使うことなく一瞬のうちに、本当にあっという間に苦しむ事もなく天に帰っていった。病室に尋ねてきた主治医の目の前の出来事であった。恐らく急激に大きくなっていた腫瘤に圧迫されていた大動脈が破裂したのではないかという医師の見立てであった。

父が天に帰ってわずか6日後のことであった。

一週間のうちで月曜と土曜日に続けて葬儀を持つことになった私たち姉妹は、その出来事の全てを追われるように経験して今に至っている。

父享年87歳 5月15日 召天

母享年89歳 5月21日 召天


亡くなる前に母は話してくれた。

「死ぬことはちっとも怖くないの。

だってね。愛する愛するイエス様の元に行くのだから。

生涯かけて愛したイエス様に会えるのだから。

いのちをかけて私を愛してくださったイエス様に会えるのだから。」


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