父のこと [家族の事]
昨年11月に父は、誤嚥性肺炎で緊急入院した。
元から50歳代に発症した喘息を患っていたので、レントゲンを見た医師は、両方の肺の下部分が喘息のため白く写っていて、この肺炎のせいかと思い、とても驚いたようだった。
そんな状態でほぼ半月を入院して過ごしたが、無事に退院ができた。
入院中は、身体のリハビリをしてくださったり、経口食のリハビリをそれはそれは優しく丁寧にしてくださって、私は行く度に「昨日はこれくらい、今日はこれくらい口にすることが出来た。これからの計画は…。次の段階は…。」と報告して下さる担当医師と看護師さんに本当に感謝した。
心筋梗塞や様々な既往症があった父は、毎食後多くの薬を飲んでいたが、入院中の最初の一週間ほどは、何も口にすることが出来なかったため、30年近く薬を飲まない日はなかっただろうに、おそらく初めて一切薬なしの日々を過ごした。
それでも、少しずつ経口食を始めて、十日ほどで病院の食事を工夫して食べられるようになり、薬も飲めるようになって行った。
退院してきたときの父は、驚くほど認知症の症状が薄らぎ、目を開けていることが多くなり、反応もはっきりしていて、声を出すことも多かった。あいにく母が、骨髄異型性症候群の症状が悪化し、白血病に近い症状や膀胱に癌の疑いが出てきたために強い薬を使い、その副作用がとても悪くて入院していたときであった。
退院した父の家に私が泊り込み、デイサービスやショートステイの利用も始まったのだった。
その頃のことをブログにも書いたが、レビー小体型認知症がひどくなってから始めて私の名前を呼んで確認したり、腕を広げて私を抱きしめたり、両手を握って何度も何度も力強く振ったり、それまでなかったことをしてくれた。
そのことが、私にはとても不安で、かえって「なぜだろう」と思わされたのだった。
そして、12月に入りショートステイ先で高熱を出した父は、わずか一ヶ月の間に二度目の誤嚥性肺炎を起こしたのだった。救急車で先に入院したところとは違う病院に運ばれて、母がお世話になっている病院と同じところに入院した。そのことは本当に良かったと思っている。
しかし、父は再び経口でものを飲み込むことが出来なくなった。今までも飲むのを本当に苦労していたので、初めの入院後に粉末に代えてもらった多くの既往症の薬も、一切飲めなくなった。先の入院の時は、若い女医さんから詳しく丁寧に説明していただき、そのような状態になっても、回復して行ったら大丈夫ですと言っていただいていたが、この時の入院では、父はそのまま療養型病棟に移ることになった。積極的治療はできないということだ。
仕方がない、リスクは高くなっているのだから。
薬を飲むことで起こる肺炎のリスクと既往症の薬を飲まないリスクはほぼ同じ。
そんな説明を受けた。
そんなことはわかっている。
ただ、これで父はもう回復して行くことはないのだ、もう家に帰ることはほぼ出来ないのだ、あの日々はもう帰らないのだ、恐れていた次の段階に移って行くのだ…心に渦巻いていたあの不安や恐れが私を打ちのめした。
わかっていることでしょう、信じているの?、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、医師や病院を困らせてはいけないでしょう、悪い印象を与えてはいけないでしょう。
今まで、どれほど私が口にしてきたことだろう。
そのような恐れや不安を心に覚えている人に向かって。
そのような言葉が、果たして不安や恐れを癒すことができるだろうか。
決して出来ない。
むしろ、その言葉は不安や恐れを持つ心を裁き苦しめ痛める。
私は今まで本当に、そのような痛みや苦しみや弱さを覚えている人の心をわかっていなかったのだと、自分がその立場にたって初めて分かったのだった。
私は打ちひしがれてしまい、それからしばらく鬱のような状態になり(その時はわからなかったが、後で考えるとそうだったのだと思える)父に会いに行くことも父のことを考える事も苦しくなり、前向きに何かを考えることも、しなくてはならないことをする事も出来なくなり、教会の一番忙しいクリスマス時期にただただ虚ろに過ごしてしまった。20年以上続いて描いていたみことばのしおりも、絵を描くことが出来ずにコピーしてシールですませた。
父たちの家を管理しなくてはならず、ベランダの鉢に水をやりに家に行くのだが、父の介護用のベッドを引き取ってもらったり、お世話になっていたデイサービスやショートステイ先に行き挨拶をしたり、残っていた薬や介護食などを処分したり、淡々とできることをしながらも、不意に胸が苦しくなって涙が溢れることが度々あった。
今でも、その頃のことを思い返しては胸の痛みを感じる。
新年を迎えて、家族で話す時があり、私はようやく父の見舞いに行く決心をし、それからコロナのせいで面会ができなくなるまで約一ヶ月半ほど週五日父のところに通った。
かつてのように、父の世話をし、その側で時間を過ごしながらも、何か心に一つの区切りのようなものが出来たことを、出来てしまったことを感じていた。
人の心は本当に面倒で複雑でわかりにくくて、自分の心でさえ自分ではどうする事もできない。私のように自分のことを素直にありのままに話すことにストッパーがかかって育った人間が、心の中で思い巡らすことは複雑すぎて自分でも理解できない。
だから、時々このようなブログを書くことさえも、意味なく思え、また書き表すことに抵抗を感じて書き続けることが難しい。
そんなことってあります?
単純に考えられたらいいなと思う。
二律背反の考えの両方が両立するはずがない、それが両立してしまうのが人間の心の複雑さなのかもしれない。頭で考えることと心で思うことは一つではないのだ。
お父さん、会えなくなって長い時間が過ぎました。
お父さんたちが、長く暮らした町を離れてこの街に越してきて13年が過ぎて行きますね。
一緒にたくさん長い散歩をしましたね。
歩いて、そして車椅子になってからも毎日のように散歩しましたね。
小さな花を見て喜びましたね。母のために花を持ち帰った事もあります。
昔の話をいっぱいしましたね。随分自分の思いや考えたことを話してくれましたね。
認知症がはっきり分かってから、どうしても文章が書けなくなるまで交換ノートもしましたね。多分、おかしな字を書いてしまうことや、文章がまとまらないことがあって、それで書くことをやめてしまったのでしょうか。
今日もお父さんの病室に、明るい春の陽が差し込んでいるでしょうか。
きっと目をつぶったままでも、その光がわかるでしょうね。
私は、きっと今日も目を瞑り静かに横になっているであろうお父さんのことを考えています。
いつ会えるのかわかりません。
でも多分いいのです。
会えることが良いのではなく、今、目の当たりにお父さんを見、会うことが出来なくても、お父さんの思いと存在のすべては心の中に濃厚にあるのだから。
今日もお父さんの一息一息を神様が守ってくださいますように。
頭の中に浮かぶすべてのものが、良きものでありますように。
そばにいて介護してくださるすべての人々が、守られてやさしい気持ちで接してくれますように。
2020-05-01 12:12
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