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読まなくてはならない。 [仕事の事]

「安息日は、私たち自身の社会が忙しいことを礼讃していることに気付かせる。
 なぜ、私たちは忙しいことにとりつかれているのか。
 答の一部分は、少なくとも、自分の存在を正当化するためである。
 私たちは他の人に、
 自分が重要な人間であり、
 自分がここにいる理由をもっていることを証明しなければならないと感じる。」

「より多くの行いによって神の好意を得ようとすることをやめ、
 ただ深呼吸してくつろぐために
 神が定めてくださった時を楽しむのである。
 神の前にただ私たち自身であることは、
 より多くの成果をあせる精神からの解放をもたらす。」

  「神の物語」マイケル・ロダール著 日本聖化協力会 出版委員会:発行

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これは、どうしても読まなくてはならない本からのほんの一部の抜粋。

私たちの内にあるこの思いを認め、神を見つめ、
その御前にあって自分であることを認めること。

「あるがままの自分で良い」とは聖書には書いていない。

そのことを勘違いしてはならない。

「あるがままで良い」というのは神ご自身が言われることであって、私たちが自分に対し「あるがままで良い」と言うことはできないし、その資格もないものであることを知らなくてはならない。

この本のごく一部であるが、深く読めば読むほど、私自身の大いなる勘違いが正される本である。
いかに私が神ご自身を知らないものであるかに気付かされる。

「読まなくてはならなかった」ことに改めて多いに感謝する。


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新年の教区会 [仕事の事]

すたすた歩く。
大股で・・・。

膝が痛い。
股関節も痛い。
左の足の裏が去年の12月くらいから痛い。
指の付け根の全面が、とても痛い。

でも、歩く。

この間は息が白く流れた。
そんな風に昼間から空気が冷えることは珍しいこの街。
懐かしくて嬉しくて「ふうふう」いいながら一生懸命歩いた。

こんな風に必死に歩くのは、集まりの時間に遅れそうだったから(笑)

膝と股関節を痛めてから、走ることが出来なくなった。
走ってがくっ!と足の力が抜けて転んでしまうのが怖いから。
いや、そもそも筋肉が弱って走ることは出来ない。

というわけで、駅まで、そして駅から、一生懸命に歩く。

着いた時には軽く汗ばんでいた。

ふう。間に合って良かった。


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これは帰り道。
ゆっくりゆっくり歩いた。
色々考えながら、思い巡らしながら歩いた。


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分級の備え [仕事の事]

来週の日曜から始まる成人分級の準備に追われている。

「イースターに向かって」と言う題で、3月までの毎日曜日11回の予定である。

もちろんイースターについての学びであるが、2月から始まる四旬節の間は、御言葉を共に読み、レントの季節をふさわしく過ごすことを分級の学びとしようとしている。

とはいえ、退屈なものにはしたくない。

どう工夫して、復活祭を迎えるにふさわしい分級に出来るだろう。
ない知恵を絞り、頭をひねくり回して(母がよく使う表現)12月から考え始めて、とりあえず3週分は形が出来た。一月分だ。

少しずつ分級の学びの形が出来るにつれて、みことばに深く向かわせられる。

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キリスト者とされ、贖いの恵みと復活の希望に生きる人生が与えられた。
ありがとうございます、感謝します、では終わらない。

初代教会のキリスト者たちは、イエス・キリストの十字架とよみがえりの事実によって人生が変えられた。まさに、目の前でその出来事がおこり、それによって信仰が裏付けられたのだ。
それは、そのまま永遠のいのちの希望と、やがて主イエスが、栄光の王として再び来られると言う再臨の希望であった。それは彼らにとって現実であった。待ち望む生活がキリスト者の生活だったのだ。

現代を生きる私たちはどうだろうか。
クリスチャンであるということが、人生を変えるほどのことではなく、一つの飾りとして自分を飾るものが増えただけの人生を送っていないだろうか。
私はほんとうにキリストのためになにを捧げただろうか。
私の人生の何が変えられただろうか。
なにを信じて、何を希望として生き方が変えられただろうか。

そんな思いが頭の中をぐるぐると行き来する。

この世に生きるキリスト者として、派遣されつつ同化されず・・・。

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一歩 一歩 [仕事の事]

一歩 そして また 一歩

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先が見えなくても大丈夫

どこに行くのか
知っている方が
一緒だから
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身も縮む思い [仕事の事]

朝も夕も、そして夜中も(笑)一つの思いに捕われてしまって
ぐるぐるぐるぐると、離れようと思っても離れられないほど
強く強く頭の中を支配するその思いに
もうへとへとになってしまう事がある。

それは、ある時は激しい不安だったり
ある時は深い悲しみだったり
またある時はさまざまな負の感情・・・痛みや怒りや悔しさ
そして、ある時は備えなくてはならない尊く重い奉仕

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祈りつつも、どこかで気分を解放して
改めてその事をみことばから、そして神様の見方で見なくちゃ
そう思う

そう思いながら今日も一人で
教会で礼拝のプログラムと、そこに挟み込むたくさんのチラシを折っていた。
こう言う無心になれる仕事は好きだ。
淡々とさくさくと黙々と折っては挟み込んで行く。

頭の中では相変わらずの思いが渦巻いている。

そのとき!
晴天の霹靂!
もやが晴れて!
一つの力強い真理が見えて来た!
神様感謝!
そうですね。その通りですね。
Amen!!

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という事で、30日の礼拝メッセージのために
ただいま主の前に祈りつつ備えています。

あ、9月から始まる毎週の大人の分級の準備も・・・。
今回私は礼拝堂の分級担当なので、身も縮む思いだ。
縮まないけど・・・。
縮んで欲しいけど・・・。


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怒濤の金土日 [仕事の事]

一昨日教会のメンバーで、92歳になられるAさんが召された。

キリスト教系病院のケアホームにおられたが、容態が急変されたのだ。
ご家族から連絡を受けて夫が訪ねた時には、まだご家族は到着されていなかったと言う。
私は、10月にもたれる地域の集会のための祈祷会に出席していて、残念ながら病院に向かうことができなかった。
亡くなられた方のベッドの傍らに座って、ご家族が到着されるのを待っていた夫は、通りがかる多くの看護師さんやシスターの方が、病室を訪ねて口々に「とても平安でした。」「○○さんは、本当に平安に召されました。」と言われるのを聞いたと言う。

神様の御名をたたえます。

「平安」

「死」と「平安」が共にあると言うことの奇跡の恵み。

一人の年老いたクリスチャンの「死」が、「平安」という言葉で現されると言うことの幸いを改めて思い巡らした葬儀だった。それにしても、今週末は怒濤の日々。ロビーからの出棺、トイレの更衣室、同じ建物で幾つかの全く主催の違う集まりがあり得るという幸い?不思議?
やっぱり神様の御名をたたえます。

そして明日は日曜日。

自分の分級のテキストをプリントアウトするのを忘れた。
明日の朝が勝負やな。
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進んでいかなければ… [仕事の事]

「だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んでいかなければなりません。…」ルカ13:33

新しく生まれることも、きよくなることも、癒されることも、再臨の信仰に生きることも。
自分だけで完結してはいないだろうか。

主は今日も進んでいかれる。

私たちに与えられている福音は、わたしという一人の存在で終結するものではない。

ということを、改めて語り合ったお休みの日であった。
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変わるもの変わらないもの [仕事の事]

美しく飾られた観光地や歴史ある教会も見応えがあると言って間違いはない。
でも、やはり心に残るのは、その土地の何気ない日常の風景や、何千年も前から変わらないもの。
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オリーブ山から [仕事の事]

テルアビブに着いたのは夜だったので、そのままエルサレム近郊の小さな村のホテルへ直行。
次の日は、朝からオリーブ山へ。

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教会の中からエルサレム旧市街を望む
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ゲッセマネ(油絞り)の園
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そして、急な坂道を下ってエルサレム ステパノの門に向かう(バスでだけど笑)
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ばたばたの日とのんびりの日 [仕事の事]

先週は、お葬儀があり、また日曜の御用の準備があり、ご高齢の方々のための集まり「おさんぽの会」があった。今回はポトフと焼きたてパンとオードブルいろいろ。そしてミニステーキとタケノコステーキ。
買い物、準備、会の進行(今回はカルタ大会)お食事の提供など、忙しく過ごしたが、皆さんが楽しんで下さるのが何より。その笑顔を見られたらすべての労苦は報われるね。

金曜は、時々一緒にランチをするSちゃんと甲子園へ。20年前のあの震災でお母さんを亡くしたSちゃんも、もう36歳。いまはたった一人で過ごしている。ラーメン大好きのSちゃんと一緒に川藤ラーメン(笑)へ。その後コーヒーを飲みながら昔話をいつものようにあれこれ話す。2時頃別れて帰る。

日曜は「礼拝の賛美」分級を担当しているので、毎週緊張の一時間余りを過ごし、礼拝では奏楽のご奉仕をさせていただいた。昼食はハッピーランチ。その後夫は墓前礼拝へ。3時から青年の学び会に聴講で参加。中身の濃い、素晴らしい学び会だった。そして、青年たちが多く参加できて良かった。

終わって家に帰ったのは7時近く。

今日月曜日。夫が早朝5時半に出かけて行った。東京で会議やいろいろ。帰りは明日。
本当は、大切なお友だちとランチの約束をしていた。でも、あまりに疲れ果てていて、考えたすえまたの機会にということでお断りしてしまった。残念・・・。夜にいつも参加している賛美と祈りの集まりもキャンセルした。ということで、家で今週の集まりや、日曜の分級と礼拝メッセージの準備などをして過ごした。そうそう、両親のところでいつになく何もせずに時間を過ごして、母の話を聞いたり一緒に体操したりした。

ばたばたと気持ちがいつも忙しいが、それでものんびり時間が流れる時があってよかったな。

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4月は忙しい。 [仕事の事]

取りあえず何ヶ月も前からの懸案であった神戸のセミナーの発表を無事に終えた。
感謝感謝。

教会で四月から始まる成人分級の十六回分のカリキュラムを作成する。
これから毎週成人分級を担当するのだ。いやいや、一月から三月までの「エンディングノートを書いてみよう」分級を無事に終えてちょっとだけほっとしていたのに、ほっとしていてはいけないのであった。
明日参加者皆さんに配布。
今回の分級の準備は、前のものより緊張する濃ーーい内容となるので、気が休まらない。
いやいや、気が休まらないのは希望して参加されるメンバーの方であろう。申し訳ない。
この気の休まらない分級を七月まで続けるのだ。楽しく愉快に出来たら良いな。

同時に明日は聖歌隊のメンバーへの手紙を配布予定。
なぜならーーーペンテコステの日にちを間違えて(ばかっ!)練習日程を間違えて伝えてしまったから。
ああああーーー。誰か代わってーーーー。と泣いても仕方がない。五月からまた毎週練習が始まる。
それでも、賛美は喜びなのだっ!

そして、明日はイスラエル旅行の学びを一緒に出かけるご夫妻とともに学ぶ。
資料を準備し、いろいろ調べてレジュメを作る。良き学びが出来ますように。

さらに、新生女性会のしもべ会(幹事会)の議事録を確認し、これからのことも考えなくてはならない。
そして、ご高齢の方々のための交わりの集まり「おさんぽの会」が来週木曜日にもたれるので、明日はその準備をするのだ。楽しみ〜〜。

忘れてはならない。四月のメッセージ準備と五月の仙台教会のご奉仕の準備もあるのであった。

更に、自治会費を集めなくてはならない。
二年務めた組長の働きを引き継ぎして、ほっとしたのもつかの間、自分の班の班長はしなくてはならないのであった。でも仕事量は半端無く減ったからいいのだ。いつも忘れてしまう自治会の出席もなしっ!!
わーーーーい!!

それで四月は何かと忙しい。
春だからなのか?新しい季節の始まりだからなのか?
四月は忙しくて良いのだ。
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忘れてたけど、仕上げなくてはならない原稿が、二つ。読まなくてはならない本が一冊、これを読んで書かなくてはならない原稿が一つ。準備しなくてはならない聖書研究会が二つ。準備しなくてはならない学び会が二つ。
それらのうちの一つだけ締め切りは今月ではない。
何とかなるのか?なんとかなるだろう。そう思いたい。
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主婦と仕事 [仕事の事]

仕事の合間に主婦をする?


主婦の合間に仕事をする!


ま、理想ですが……。
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エンディングノートを書いてみる [仕事の事]

日曜日の礼拝の前に成人分級がある。
一月から三月まで、私の担当は「エンディングノートを書いてみよう」という分級。
申し込みは始め4人だったが、二回目から12人に増えた。
このまま継続していただけるかどうかはわからない。
それでも、一回ごとに自分自身が深く考えさせられる分級になった。

改めて、じっくりと自分自身について思い返し思い巡らす時が与えられた。

今まで母がいろいろなエンディングノートを買っていたが、分級で使っているものは少し違う。

自分の人生について振り返るのは、まだまだ先のことと思っていた。
何となく、思い出してみたり懐かしんだりというのはあるけれど、しっかりと文章にして思い返し思い巡らすことはしたことがなかった。
そうすると、自分の人生の終わりの時「死」についていやでも考えなくてはならない。
でも、確かに人は誰でもその時を迎えるのだ。
間違いなく。
それなのに、何も考えずに日々を過ごしていたことが間違っていたなと思える。

確かにやって来るその日の為に、そしてそれは残される人たちの為に、どうしても必要なことなのだと思わされている。そう、エンディングノートは、自分自身の為にもよい振り返りの時となるけれど、私がこの世を去る時に残される家族に取っても、私を思い返し微笑んでもらえるために良いのだ。

ということで、明日は「物の整理」について学びます。
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頭が痛いよ [仕事の事]

このところずっと家にこもっている。
パソコン仕事をしながら家事をして、起きてからの移動距離5メートルくらいかも。
外に出かけなければお金を使うこともないし……。


そして、はっっっっっと気がついた。
やらなくてはならない超重要な期限付きの仕事があったのだった。
しまっっっったーーー。すっかり忘れていた!!!


やれやれ。
もう金曜日が終わったじゃあないか。
明日はお外に出ようっと。
そして、ちゃんと手足を動かしてお外のお仕事しようっと。
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言い訳がましいな。
家のお仕事はしていたつもりらしい。
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痛みと憤り [仕事の事]

とても痛いことばを聞いた。
痛みとともに怒りが湧いて来る。

そういう時こそ落ち着いて、祈りの中に思い巡らす。

そう、そのことばは私に対して言われたことではなく、私の愛するイエス様のからだである教会に対して言われたこと。

幼い信仰者は、成熟を目指して行く(であろう)過程で、愛されることばかりを求め愛することをせず、認められることばかりを求め認めようとせず、受け入れられることばかりを求め受け入れることをしない。

丁度成長期の子どもがそうであるように。

そして、子どもは時間が経つとからだは大人になる。
しかし、心や精神が大人になるかどうかは外側だけではわからないように、キリスト者もまた、どんなに長い教会生活を送っているからといっても、たましいが成熟しているかどうかは外側ではわからない……と思っていた。
でもそうではない。
成熟しているかどうかは、そのことばとその生き方の実でわかるのだ。

裁いているのではないが…。

まだ成長過程にある子どもは、あるとき回りの人々を痛く傷つける。
たぶんその子を愛していなければ傷つかないのかもしれない。
まいた種を刈り取るのはその人自身だから。
深く傷つくのはその子を愛している人々なのだろう。

そう。
痛いと思う、怒りを覚える。

多分それは、私が何よりも主のからだである教会を愛し、また、魂に対する愛を与えられているからだろう。それは私から出ているのではなく、愛するイエス様のみ思いなのだと思う。

もうすこし、この痛みと憤りの中にいようと思う。
それは、痛みと憤りのままでは終わらないことを信じているから。
主のからだである教会を愛することを、決してやめることはないから。
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帰国後10日目 [仕事の事]

北米から帰国して丁度10日が過ぎた。
時差ぼけは少し経ってから来たようだった。
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濃厚な2週間は心地よい疲れと高揚感を与えてくれて感謝だった。

同じ日本人であるけれど、渡米して50年以上の方々との交わりは、同じ年代の日本の高齢の方々とは大きく違う濃さがあった。
人生の苦労と喜びは、多分みな等しく与えられるものだろう。
そう思うけれど、その結果どのような大人になって行くのかということを考えさせられた。北米と一言で言っても、東海岸と西海岸とでは大きく違う日本人社会のあり方もまた、新しく教えられた。

故郷への深く強い思いや、親しい人たちとの決別。
そこから生まれて来る様々な感情。

どれほど時間をかけて伺っても、尽きることのない物語に、大笑いをしたり涙したり……。
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まだどこかその余韻の中にいる。
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準備は大事 [仕事の事]

今週金曜から、北米に2週間の予定で出かける。
一週目は修養会、二週目は研修会で、夫は講師として、私も少しお手伝いでお話をさせていただく予定。

一昨年も、思いがけず17年前に住んでいたオレゴンのポートランドを訪ねることが出来た。その時は、学びのためにカリフォルニアに出かけて、その後ポートランドに回ることが出来た。
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英語もまったく話せないのに、本当に申し訳なさが一杯だ。

心にかかっていることが沢山ありすぎて、あれもこれもと思いは千々に乱れる。
ただ神様に祈る。

留守にする家も家族も心配だ(笑)

一番心配なのは、渡米の準備を何一つしていないことだ。
(御奉仕の準備は終わっているよ、もちろん)
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テスト期間中にどうして手紙を書きたくなるのか。 [仕事の事]

今日から二泊三日で、教団の神学校を会場に教職セミナーがもたれている。
本来出席するつもりでいたが、諸処の事情によりキャンセルすることになった。
申し訳ないです。

今日はみんみが自転車を買って(今まで彼女が自転車を所有していたのは幼稚園の頃)新しい職場へと出かけて行った。心配でならない。いろいろ。

たかは早くから学校へ行き、いっちも出かけて行った。

夫はもちろんセミナーに出席のため早くに出かけた。誰もいない家。

気がかりな所に一件電話。
気がかりな所に二件メール。
いろいろやりとり。
いろんな仕事がたまりにたまっているがなんだか気が重い。
空は晴れている。
洗濯物がよく乾く。
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そうそう、空いているプランターにひまわりは植えた。
野菜の苗を買いに行かなくちゃ。

って、そんなことしている時間はないのだが。

昔テスト期間中に、勉強しなくちゃならないのになぜか長い手紙を書きたくなってしまう症候群にかかっていたな。それ、全く治っていないよ。どうしよう。
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ほっとタイム [仕事の事]

毎年春と秋に、牧師夫人の集まりを持たせていただいている。

2006年の関西での宣教大会で女性大会がもたれた。その委員会から派生して、続けて次の年から牧師夫人、女性牧師の集まりが始まったのだから、もう8年になるのだ。

内容はそんなに難しくはない。

はじめの頃と内容はずいぶん変わったけれど、始めた時の目的はますます明確になって来たような気がする。そう、むしろ本当に必要なことが凝縮されてシンプルになって残っている。

私にとって大きな楽しみである。

楽しみの一つは集まりそのものであるのだが、なにより8年前から共に集い、祈り合い、分かち合いを持ち続けて来た友人たちとの楽しい時間だ。それぞれ忙しく用いられている方々だが、この交わりは他のものとは替えがたい。
またリーダーの先生(黒一点!笑)の振り返りのとき、恵みを味わう時が何とも秀逸の時間で、だいたいこの時に心がほぐれて、知らず知らずのうちに涙が流れて来る。

というわけで、13日火曜日は春の集まり「ほっとタイム」であった。
始まりは賛美三昧。
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お昼を食べ、コラージュをして、毎回手作りのプロ並みのスイーツを頂きながらの分かち合い。

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教会に仕えるものとしての悩みや、妻として母としての思い
一人の女性としての思いなどを分かち合う。
涙あり笑ありの時間であった。

もう何年もしているので、前回の作品が話題になったりして、それも面白い。

人の心は深いなあ。

文字通り「ほっとタイム」であった。
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母の日 [仕事の事]

茨城県にある教会にお招きいただき、母の日礼拝の御用をさせていただいた。
3年越しのお約束を果たすことが出来て感謝だった。
自分の足らなさを深く思い知らされること多かった。
もっと深みに漕ぎ出すことを恐れないで行こうと思った。

家を出て5時間の電車の旅が、とってもとっても楽しく有意義だったこと。
過ぎて行く景色と家々を眺めながら、心の中に様々な祈りが湧いて来た。

お天気がとっても良くて、本当に気持ちのよい日曜日だった。

牧師夫妻の「色々な思いを持ちながらも、ここで神様に仕えつつ前に向かっていこう」という思いに心が改められた。神様はその思いをどんなにいとおしいと思っておられるだろうか。

私たちの足らなさや失敗と思っていることや後悔するようなことさえ、神様は成熟のための大切な要素とされるのだな、ということを実感した。

畑の隣の美しい教会に、朝日の中を神様の家族が、礼拝のために集まって来る。
入り口には、にこやかな笑顔で迎える牧師を始め教会の人たち。
一週間のそれぞれの歩みを終えて集う。
新しい一週間を、ともに顔を合わせて愛する神様を礼拝し始めるという幸せが、新鮮に心の底から満たされるのを覚えた。

ありがとうございました。
不十分な未熟な私ですが、お招きいただき、神様の家族の交わりに加えていただいたことが本当に本当に嬉しく感激でした。

笑いと涙と感謝の母の日であった。
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