優しい言葉 [その他いろいろ]
私はかつて人付き合いが本当に悪かった。
人といるととにかく気を使うし、一緒にいて楽しいと思うのも一瞬のことで、何かと気を回しすぎて結局疲れてしまう。
ひとりで過ごすのが何より好きだし、ひとりでいて寂しいと思うことはほとんどない。
好きなことをして、自分の好きなように時間を使う。そういう自分で良いと思っていた。
だから、コミュニケーションの取り方が全く下手なのだ。
う〜〜〜ん。
「コミュニケーション」と言うか会話ですね。
人との会話が好きではない。おしゃべりも疲れる。言いたいことなんてない。口を開くのも面倒だ。心の中の思いをどうしてわざわざ口に出さなくてはならないのか。そもそも心の思いをどんな言葉で表現などできると言うのか。
そう言う思いがブログを途切れ途切れにさせる原因なのだなあ。
書いている意味がわからなくなる。「誰が読むねん。」と思ってしまう。
書き続けるのは少し義務感もあるのだ。
インタビューは上手。
(自分で言うか・・・)
いろんなことを聞いたり、話を引き出したりするのは上手い。
(自分で言う・・・)
しかし、疲れるね。
昨日午後いっぱい会議があった。
このご時世なのでもちろんZOOMでの会議である。
内容は、非常に良かった。会議の間にある専門の先生からご体験も交えてレクチャーを受けるもので、知識だけではなく思いにおいてもとても大きな宝をいただいた気持ちであった。
しかし。
最初から少し腹立たしさを覚えながらの会議であった。
(ああ、言っちゃった・・・)
私の中の「ちゃんとしなさい」感が膨れ上がっていて、「ちゃんとできていない」人に対してもものごとに対しても非常にイライラしてしまうのだな。そう言う思いを昇華して実りある話し合いへと変換できれば何よりなのだが、如何せん初めから腹が立っておる(笑)
途中で帰宅した夫が聞いていて、後で言葉使いを注意された。
ありがたいことだ。全くありがたいことだ。
歳を取ったら少しは穏やかになるかと思えば、なんとますます立腹の沸点が低くなる。いやすぐに腹が立つ。これはなんだ?
と言うことで、こんなことがあったらかつての私はますます人との接点を減らしてしまうところである。
でも今は違う。
夫は、「あの言葉はよくない、あのような答えかたは相手を萎縮させてしまう、こう答えれば良いのに・・・」と具体的に教えてくれた。
海より深く納得であった。
萎縮させる言葉。私の発する多くの言葉はそうであった。
皆さんに満遍なく好かれようとは思っていないが、本当は喧嘩を売るのも良しとはしない(つもり)である。改めて言うが本当だ。
甘えるのが嫌いな上に甘やかすのも嫌いなのに、何が甘えで何が甘やかしなのかも本当には知っていない自分に気がつく。優しい言葉は甘やかしではない。「ちゃんとする」ために「ちゃんとさせる」ために、優しい言葉は骨をも溶かす威力なのだ。
そろそろ自分育てを終えて、若い人、周りの人を育み培う年代の自覚が必要だなと実感したのであった。
優しい言葉かあ。
なんとか嘘くさくならないように優しい言葉を言える人になりたいなあ。
サワヒヨドリの花
父の好きだったミヤマリンドウ
2021-05-29 11:12
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