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父のこと [家族の事]

まもなく一年が閉じようとしている。

島田家の門から中をみる.JPG

12月の9日の夜、父がお世話になっていたショートステイの施設から「三十九度の高熱が出ておられるので、救急車で搬送します。」という電話が入った。

様々な理由で、父は隣町の病院に搬送された。これはあり得ないことで、施設が提携していて紹介状などを書いていただける病院でもなく、施設が建っている市内の救急病院でもない。11月に誤嚥性肺炎で入院した病院でもない。救急車は市を超えて、普通30分以上かかる隣町の病院に父を運んで下さった。

そこは、母がお世話になっている病院で、妹の家からすぐ近くで、今仮帰宅で妹の家に母が滞在しているため、母が会いたいと思ったらすぐに会いに行ける場所にある。担当になった医師も、母がお世話になっている院長も皆「よくここにこられましたねー。」と言われた。不思議だけど、神様はちゃんとわかっていてくださる。


高熱の原因は誤嚥性肺炎であったと思われる。わずか一ヶ月の間に二回の肺炎発症と入院は、父の様々な力を弱らせたと思う。

絶飲絶食で何日も過ごす間に、既往症(心筋梗塞、難治生喘息、レビー小体型認知症、パーキンソンなど)の薬を飲めず、咀嚼も嚥下もせずに過ごす。

そして、その週の金曜には療養型病棟に移った。


家族の生活や意識は激変したと思う。私は、毎日一日中父のことを考えて生活していた日々から、誰もいない部屋と空のベッドを見るたびに、おそらくもう元には戻れないと言う事実を突きつけられて心が凍えた。


こんなことがあったことを思い出した。


1回目の入院から戻った11月のある日。食事を終えた父は、珍しく目を開けていた。布団をかけて「しばらく横になりますか?」と言ってベッドを倒そうとした私の顔を横目で見た。うまく首が動かないようだった。

そして、ゆっくり両手を広げた。

そんな風に父が体を動かすことはほとんどない。私は父が両手を広げたことに驚いて、その手をとった。すると父は、しっかりと握ってその手をゆっくりと上下に振り、また何度も交差させて、まるで小さい頃に遊んだようにそれを何度も何度も繰り返した。

私は驚きながら父を覗き込んだが、そのとき父がおぼつかない口調で言った。

「○○○かい?」(長く住んだ北海道弁)

それは私の名前だった。

ほぼ3年ぶりに聞く、父が私の名前を呼ぶ声だった。

そして、大きく腕を広げて私を抱いてかたく抱きしめた。

私も父を抱きしめた。

それを二回繰り返した後、父は手を胸の上において「大丈夫」と言った。


私は驚きと恐れで胸がいっぱいになった。

これはなんだろう・・・。今までこんなことはなかった。

こんなにはっきりとしている父を見ることも、私の名前を呼ぶことも。

なんだか嫌な予感がして、その場を立ち去り難く、しばらくして目をつぶって休む父の顔を長い時間眺めていた。


けれども、父はその日も変わりなく終え、次の日も次の日も以前と同じようだった。声を出すことも稀で、口から出るのは「大丈夫」また本当に時々「すみませんね」「ありがとう」と言う、とつとつとゆっくりとかすれかすれにいう言葉だ。

ほとんどの1日を目をつぶったまま穏やかに過ごしていた。

 一回目の退院後にミキサー食に変わり、家でもそのような食事を用意していた。そして、12月にショートステイに行ったのだった。


朝ドラを見ていて、主人公の父が、その死の間際に手を伸ばして主人公の頭を撫でるシーンに涙が止まらなかった。


病院にいる父を見舞い、こっそり足に薬を塗ってマッサージして帰る。療養型病棟だから、お見舞いの時間も気にしない。

でも、父はいつも目をつぶったまま、わかっているのかわかっていないのかもわからない。そんな父を見ることも辛い。でも多分、この時間もまた与えられている掛け替えのないときになるんだろうな。


今日は父のこと。記録しておこうと思った。

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