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十字架のもとで [想い出いろいろ]

受難週に入った。

レントの間もそうであったが、イースターを待ち望みつつも、改めて主の十字架を思い巡らしている。教会では、4月に入りイースターの黙想分級を持っている。

その静かな黙想の中で、十字架の前に立つ自分を思った。

私は「ありがとうございます。」はもちろん「ごめんなさい。」も何も言えない。
祈りの言葉さえも持ち合わせない自分を責め続けているだろう。
ただあわあわと動揺し、恐れ、戸惑い、苦しみと自己嫌悪と罪悪感でいても立ってもいられずにくずおれているだろうと思う。

あるいは、私は、恐れて逃げ出した弟子たちと一緒だったろうし、あざ笑う群集の中にいただろうし、見物人として口を開けて見ている物見高い人々と一緒だったろう。なにより釘を打ちつけるローマ兵であった。



十字架の絵.jpg




2017春シオン通り.jpg


坂を下り、湿地帯を見ながらやがて坂は登りになって行く。
その道筋を歩きながら、幾度私はイエス様をただ仰ぎ望み、自分を悔やみ、憐れみを求めただろう。そのすべての思いがこの道に満ちている。受難週を迎えて、改めて初めの思いを辿っている。



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愛すると言うこと [想い出いろいろ]

八月に入り、子どもの頃の夏を思い出している。

夏の空気は重く、陽射しが白い。
北海道の夏はあっという間に過ぎていくが、やはり夏休みは楽しみだった。

断片的に思い出すのは、夕食のとうきび(笑)暑くて礼拝堂のベンチで寝たこと、自由研究に夢中になったこと、校庭での夏祭りや野外映画会(町のおとなたちがたくさん集まる。)子ども向けもあっただろうが、私が覚えているのは「王将」やなんだか柔道家の話(笑)
そして、綿菓子やヨーヨーつりや金魚すくいの屋台。櫓の回りで踊る「北海盆唄」校庭の前の祖父母の家で食べるとうきび(やっぱりこれ)白地に花火の模様の浴衣。
楽しかった。

積乱雲と畑.jpg

人生に起こるすべてのことを、神様が与えてくださる最善と受け取ろう。

良いとか悪いとか
許せるとか許せないとか
あって良かったとか、なかったほうが良かったとか
こうだったら良かったのにとか

いつまでも捕われたり
心を支配されたりするのはやめよう。

黒い雲に覆われていても、私は自由だ。
重い荷をになっていても、私は自由だ。
たとい先を見通すことが出来なくても
この世の評価の嵐の中にいても
それでも私は自由だ。

主にあって。

夏の牧場.jpg

今日の小さな分かち合いの中で、この小さな私に与えられている人生の課題は「愛すること」だと示された。そんなこと知っていた?
そうね、でもそうじゃないのよ。
具体的に誰かを愛すると言うことは…。


本当に愛すると言うことは…

渦巻く過去の傷を忘れる苦しみと、刻まれた傷む記憶を消し去る痛みと
担う重荷と、引き裂かれる思いと、手放す虚しさとの中で
「それでも。
 それでも、お前は愛することを選んでくれるか?」
と主は私に問われる。

主よ。
こんな私を
到底愛することなどできない私を愛してくださった主よ。
赦すなどあり得ない私を赦してくださった主よ。

そんな価値無き私に、あなたはそう問いかけてくださるのですか。
あなたがそう問われるのですか。

あなたが望まれるなら、そうさせていただくことが出来るでしょう。
私ではなく、あなたが。
そうさせてくださるでしょう。

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そう、これは誰かの問題ではなく、私と主との間の問題。
分かち合いの中に主がおられることを感謝した。


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さあ、行こうよ。 [想い出いろいろ]

どっちを見てもため息?
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長い階段をどこまでも下りて行く。
降りて行かないとどこにも行けないじゃない。
そうだよね。
気持ちも下り坂になっていく。
でも、その先にはどこまでも繋がって行く道があるんだよね。

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明るい景色が広がっている。
わかちゃいるけれど、そこに至るまでの
しんどさにため息をつくんだよね。
多分、心にきっかけがないと、次の一足は出ないのよ。

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奥の奥にひきこもり
安全で安心の狭くて暗くて心地良い場所から
ずっとずっと先の
外に繋がる開いた扉を見ている。

いいじゃないの
そんな時を過ごすことだってある。
ずっとここに居続けたいと思うなら
そこに居たいだけいるのも。
あなたの選択。

でも、ほら見てご覧。
開いた扉から、暖かくてやさしい光が差し込んでいる。
それが見えるから安心していられるんでしょ。
そっと身を引いてその光を見ていることが安心なんでしょ。
だけどね、身を引いて見ているあなたにも
その光はしっかりと届いている。
あなたもその光の中に生きているんだよね。



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最善の時は [想い出いろいろ]

あることがきっかけで、ほぼ40年ほど前の自分のことを思い巡らしている。

その頃私は、生きていることが辛くて辛くて、本当に苦しくて
自分を責め続けて
身の置き所もなく、心も小さく縮こまっていた。
とにかく今日という日がなんとか終わることと
もしかして明日が来ることを止めることができるか
その勇気があるか、と自分に問う日々だった。

思い出しては、心の中で終わらない叫び声を挙げ
自分自身への全力の憎しみと
体中が一気に冷たくなっていくような恐怖の中で
目の前にあることをとにかくするしかないと思っていた。

石畳.jpg

それでも、外側は淡々と時間をやり過ごしていた。

多分小さな喜びや慰めや、笑いや楽しみはあったと思う。
今の私には思い出せないけれど・・・。

あの日々がなかったら良かったと思わないでもない。
あの苦しみの中を通った、あの日の自分の姿を思い出すと今でも涙が出る。
あんなことがなかったら
きっと私はもっと明るく積極的で楽しい人間になっていたかもしれない。

緑の屋根.JPG

でも、今は本当に思うのだ。
あの絶望の日々が、神様からの大きな愛に溢れていたということ。
あの痛みの日々が、神様の大きなあわれみで満ちていたこと。
誰も責められない、自分が選んで自分が招いた苦しみの日々だったけれど
その道を歩んでいたのは私一人ではなかったということ。

その先に待っていたこのあわれみと恵み一杯の日々を
その頃の私は想像もできなかったけれど
それは神様の変わることのない約束であったし
私に与えられた祝福の計画であった。
今はそう思える。

明日を知っていてくださる神様に信頼して生きよう。

最善の時はこれから。

軽井沢空2.jpg


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なつかしいところ [想い出いろいろ]

母のブログをよみながら、17年前のことを思い出していた。

阪神淡路大震災の後、アメリカに半年間の学びと静まりの時を頂いた。しかし帰国してから、長い間苦しんでいた子宮筋腫の手術の後、自分の人生に大きな躓きを覚え、一歩も前に進めなくなった。
自分でも自己中心で勝手だなと思いながらも、どこにも行き場のない自分を持て余し責めながら、鬱々と過ごしていた、いや過ごさざるを得なかったあの日々を。
すべてのところにおいて、すべての人々にとって自分の存在価値はないのだと思いこんだ。

多分全摘出手術の後で、精神的なダメージが大きかったのかもしれない。

次の年の六月に「静まりのリトリート」に、母とともに初めて参加したのだった。
そこには神様の憐れみと慰めと、神ご自身との対話のためのすべてが整えられていた。

すずらん.jpg

北海道出身の母と北海道育ちの私にとって、八ヶ岳の六月はまさに故郷そのものだった。淡い緑の若葉が茂る白樺の林、咲き乱れる花々。スズラン、すみれ、ライラック、シロツメグサ、ムラサキツメグサ、たんぽぽ。そして、遠い山に残る雪。小さな小川のせせらぎ。

ムラサキツメクサ.jpg

神様は痛んだ魂が休まる方法を一番良く知っていてくださる。
一人ひとり違うその方法を、良く知っていてくださる。
それは、愛と慰め。そして、ご自身からの優しい語りかけ。

懐かしいなあ。
もう一度行きたいところ。
そこで、神様と出会い、神様と語った深い場所。

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21年目 [想い出いろいろ]

保養荘の朝.jpg

忘れないこと・・・・
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懐かしのきみちゃん [想い出いろいろ]

今日は祈って備えて来た女性クリスマス会。

初めて、講師の先生と一緒の席ではなく、違う席に・・・。
なんだかとても不思議な変な感じだったけど、まあいいです。

まあいいです…どころか、私にとっては最高の席だったから。

今回の講師は、私の神学校の同期生4人のうちの一人、きみちゃんだ。
彼女は私たちの教会の出身でもある。

33年前に二人は、人生を神様に捧げることを決心して神学校に入学した。
二人ともまだ20代の初めであった。

まないた寮.jpg
< 新入生が入学式の前に宿泊したまないた寮 >

講師紹介の時に、きみちゃんとの様々な思い出が胸に迫り、目頭が熱くなった。
きみちゃん、私たち若かったし未熟だったけど、心は熱く燃えていたね。
目の前に起こる様々なことに、全力で反応しては泣いたり笑ったり
悩んだり苦しんだり、自分にがっかりしたりやみくもに頑張ったり……。
でも、どんなときも必死に祈って祈って祈って、そして祈って乗り越えたね。
これからの人生にどんなことがあるか、なんて、何にもわからなかったけど、握りしめていた手を開いて、すべてを明け渡して、何ものも持たず、何にも執着せず、ただひたすらに神様を見上げて、おぼつかない足取りで、それでも一歩一歩確かに歩んでいたね。

朝日と決死祈祷室.jpg
< エマオの道と名づけられた林の道と決死祈祷室 >

そんな、初めの愛を思い出して、涙があふれたんだよ。

今日は本当にありがとう、きみちゃん。
心から感謝です。

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神学校の敷地は一万二千坪。春になるとあちこちにすみれが咲き乱れる。


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朝日が昇り夕日が沈むまで [想い出いろいろ]

「冬があり 夏があり
 昼と夜があり
 晴れた日と
 雨の日があって
 ひとつの花が
 咲くように

 悲しみも苦しみもあって
 私が私になってゆく」  詩:星野富弘

紅葉山と無加川5.jpg

 「『赤』になっては駄目」と言われて育つと
 平気で「赤」になっている人を苦々しく思うようになる。
 「『花』と言っては駄目」と言われてしつけられると
 やすやすと「花」と言う人に怒りを覚える。

私が私になっていくために、どれほどの冬と夏と昼と夜が必要なんだろう。

私が私となるために、晴れた日と雨の日がどれほど過ぎなくてはならないのだろう。

私は何になるのだろう。
本当に私は私になれるのだろうか。

そう。
私は私になる。
そのために備えられた冬と夏と、昼と夜を過ごし
そのために与えられた晴れの日と雨の日を迎え
そのために受けるべき悲しみと苦しみを味わい
そうして、私は私になるのだ。

ルベ駅階段上から.JPG

過ぎ来し方を振り返り
やがての道を見霽かす。


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本当のところ [想い出いろいろ]

なんでも
見えることや
聞いたことを
すぐには信じない

すぐに信じないというのは
人間や現象を信じないということではない

人の気持ちや思いは変わるし
聞こえることがすべてでもないと知っている

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ひとつの言葉に隠されている
多くの思いや迷いや経験や
痛みや・・・・
そして企み

起きる現象の裏にある
真実はなかなか見えない

物事の裏に
ひっそりと隠されている
何枚もの秘密の言葉を

理解することなんて
とても出来そうにないけれど
それでも
それがあるということを
知っておくことは
真実が単純ではないということを知ること

飛行船2.jpg

つまるところ
人は真実の本当の姿を
見ることも知ることも
出来ないのだ

あの方以外には・・・・


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それでも [想い出いろいろ]

人生を思い返してみると
悲しいことばかりが満ちている

ひとつひとつ
数えて見ても
悲しくて涙があふれて来るばかり

冬の空と月.JPG

あのこともこのことも
なんて悲しいことだろう

冬の空4.JPG

泣いて泣いて
涙が流れるままに
泣いて

それでも
明日を生きて行くのだ

それでも
神様を賛美するのだ

教会朝焼け.jpg


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幸せ [想い出いろいろ]

夕雲の置き石.jpg


夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠き 故郷の空
ああわが父母 如何にいます

夕暮れ.jpg

夕焼けは昔を思い出させる。
どうしてかな。
子どもの頃の、家に帰る時間を思い出させるからかな。

帰りたい家があった人は幸せ
故郷と家を懐かしむことが出来る人は幸せ

冬の夕空.jpg


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じょっぴんかった? [想い出いろいろ]

美瑛の丘2.JPG

今日は朝から母と、北海道弁で盛り上がる。
北海道の言葉だと意識しないで使っていたり、この頃口にしないけれど懐かしい言葉だったり。

北星の駅.JPG

私の育った町は過疎の波の中で様変わりしているけれど
あの山 あの空 あの風 
やっぱり懐かしい。

川と森.JPG

9月からの北海道シリーズでした。
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枯れ葉と実り [想い出いろいろ]

少しずつ少しずつ
でも確実に
秋は来ているのね。

美瑛2.JPG

美瑛3.JPG

洋梨の木.JPG


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居たかった [想い出いろいろ]

北海道に中学三年までいたのに、旭川周辺には行ったことがなかった。
年に二回は家族で内地に出掛けていたから、もちろん汽車(まだ蒸気機関車だった)で通り過ぎたことは何度もあった。ちなみに朝早く夜明け前に家を出て、シュシュポッポ汽車に乗り、青函連絡船に乗るのは深夜。翌朝青森に着く。

今から50年も前のこと、富良野や美瑛も有名ではなかったし、観光地ですらなかった。

レンタルの自転車で旭川の町を走った。
川を渡り、川を渡り、川を見て(笑)
いろんな資料館や記念館を訪ねた。

お友だちに案内していただいて、北海道らしい風景を満喫させていただいた。

名寄のひまわり畑2.JPG

就実の丘から1.JPG

親子の木.JPG

単線の線路.JPG

美瑛4.JPG

美瑛の丘3.JPG

美瑛トウモロコシ畑.JPG

花よりなによりとうきび(トウモロコシ)畑が好き(笑)

ずっとそこにいたかった。
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行って来た [想い出いろいろ]

少しの時間でも
心一杯に
満たされる場所がある
ってこと

空も

夏の薄い空.JPG

木も

オンコの木.JPG
オンコ(イチイ)の木の実

草も

夏草の庭.1JPG.JPG

夏草の庭2.JPG

いいなあ
よかったなあ
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昔の話 [想い出いろいろ]

小学校の前にあったおじいちゃんの家は、通称「おばあちゃんち」だった(笑)

大通りに面した家の前にはオンコの木があって、赤くて甘い実がなる。
大通りとは言え、私たちが幼かったその頃は、通る車の数も少なく、むしろ馬車や自転車、バイクの方が多かったように思う。

家の横手から裏に行くと、納屋が建っている。
そこの主は金眼銀眼の白の猫で、ジロウと言う名前だった。
容易に人になつかず、果たして本当に飼っていたのかどうか・・・。
納屋の中には農具が納まっていて、壁にはとうきび(トウモロコシ)が一杯干してある。
暗くて不思議なその納屋に入ることを、祖父はあまり喜ばなかったように覚えている。
危ないものもあったから、私たちを心配したのだろう。

そういえば、一時期スピッツを飼っていたこともあった。
名前は忘れた。家の前に可愛い犬小屋があった。
でも、とにかくよく吠えていて、私はとても怖かった。
ひょっとするとまだ高校生だった叔父が飼っていたのかもしれない。
その叔父を私たちは「かどじ」と呼んでいた。
名前と「おじ」をくっつけての呼び方だった。
随分大きくなるまでそう呼んでいた。


納屋の横は石北本線まで広がる庭で、祖父はそこに色々なものを植えて育てていた。
春になると線路脇には巨大なタンポポが咲き乱れていた。

私たちは「おばあちゃんち」に行くのが本当に楽しみだった。
そこにはテレビ!があり、電気鉛筆削り!があり、ギターがあり
美味しい飲み物とお菓子があり、不思議なものであふれており
怖い(笑)けれど愛情深いおじいちゃんがいて、優しく面白いおばあちゃんがいた。

その家は今、誰か知らない人の持ち家になって、少し屋根や外観は新しくなったけれども、今も北国の小さな町の小学校の前に建っている。

小さな町にもう私の親類はいない。
でも、幼い時の濃厚な時間を過ごしたあの町は、私にとってかけがえのない故郷なのだ。

ルベ駅南側2.JPG




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S先生 [想い出いろいろ]

今から約60年以上前のこと

北海道の旧常呂郡留辺蘂町の
小さな亜麻会社に勤める女工さん達の中に
聖書を読みたいと思う人たちがいた。

その人達は、勇気を出して小さな教会ともいえないような民家の集まりに行き
聖書をみんなで買い求め、そして読んで神様を信じた。

それがきっかけだったのか
小さな盆地の町に
神様を信じる人たちが数多くおこされた。
「リバイバル」と言われている。

その中で、誰よりも先に神様を信じて洗礼を受けた女性がいた。
その方は、その小さな教会からの献身者第一号になった。

神学校に進み、牧師になり、愛知県の教会に遣わされ
60年近くに及ぶ牧師としての生涯を終えて
昨日愛する神様のおられる天に帰られた。

人生の中で多くの出会いがあり
その出会いは、ある時にその人生のすべてを変える。

S先生、あの小さな木工の町を出て、行くところを知らずに
ただ神様に従って歩まれた、その人生を主にあって尊敬します。

私もそうありたい。

いまはすべての悩み、痛み、苦しみから解き放たれて
永遠の故郷にて、愛する神様の御胸の中で平安におられる。

ハレルヤ!

知床2.JPG

ちなみに私の母は、その小さな町の小さな教会から牧師になった。
勘当されるようにして家を出たと言う。
S先生に次いで第二号の献身者である。

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心配なの [想い出いろいろ]

小さな子どもだったとき、私は・・・・

家族みんなで家を留守にすることが
心配で心配で仕方がなかった。

泥棒がやってくるんじゃないだろうかと
やって来てなんだかわからないけどお家の大切なものを盗んでいくのじゃないかと

大きな通りを歩くときは
心配で心配で仕方がなかった。

何かの弾みで車にひかれてしまうのではないかと

自転車に乗りはじめのころは
道を走っていて向こうから車が来ると
心配で心配で仕方がなかった。

ふと自転車が倒れて
そこに自動車が来たらどうしようと

子どもの頃
家族で電車に乗るために駅まで歩く道
先に次女の手を引いて歩く父と
遅れて三女と一緒に歩く母が
心配で心配で仕方がなかった。

電車に間に合わないんじゃないかと

おかげでいつも私は
父と母の間を走って行ったり来たりしていた。

とんでもなく大きな音が聞こえたら
心配で心配で仕方がなかった。

なにかわからないけれど
大変なことが起こったのではないかと

遊びから帰って家に誰もいなかった時
心配で心配で仕方がなかった。

もしかして、私を置いてみんないなくなってしまったのではないかと

想像が果てしなく広がって
心配な出来事を数限りなく想定してしまう。
あり得ることもあり得ないことも
とにかく次から次に果てしなく想像が広がって行く。

とにかく心配で心配で仕方がなかった小さな子どものころ。

いま?
いまは、心配で仕方がない。
一つ心配が減ったくらいかな。

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夏休みの友 [想い出いろいろ]

小学校の頃。夏休みには「夏休みの友」があった。
・・・友だったんだ・・・。
そして、感想文と自由研究。

何年生のときだったか、シロツメクサの花が咲く季節は?という問題に「いつも」と答えてバツだった。春なのだそうな。でも、私の回りでは春夏秋ずーーーーーっと咲いてたんだよ。たぶん教科書には「春」そう書いてあったんだな。

小学校の頃、夏の休みに何をしたかと言うと、まずは学校のプール。
コンクリートでできたプールで、横に湿っぽい独特の匂いのする更衣室がある。
夏とは言っても北海道の夏は寒い(笑)
プールでちょっと泳いでは、プールサイドにあがって暖まってるコンクリートに腹這いになって暖まる。プールの回りはそんな子ども達でいっぱい。まるで甲羅干しの亀の子たちが並んでいるみたいだ。
私は泳げなくてプールに行くのが余り好きではなかった。
それでも、友達に誘われてよく行った。
浮き輪をもう家から膨らませて行って、服の上からセットして(笑)空気中では上手にクロールをしながら学校まで歩く。・・・・うーーん。やっぱり楽しみではなかったなあ。

それから、家の前に広がる田んぼを走り回ってトンボやカエルやチョウチョ採り。
針金で丸を作り棒の先につけ、それに蜘蛛の巣を上手に貼付けて網にする。
原始的だけど、何度も作り直しができる・・・・
はっ!!今気がついたけど、それほどあちこちに蜘蛛の巣があったんだわ。
そのころはりっぱな大きな蜘蛛の巣を見るとわくわくしたものだ。

夜になると田んぼのカエルの大合唱。
懐かしい懐かしい、いつまでも続く大合唱。
眠りにつく前、オレンジ色の豆電球の下。
子ども三人並んで寝ているそばで、父が読んでくれる童話の少女の行く末を気にしながらも、大合唱のカエルの声に、だんだんまぶたが重くなってきて、いつの間にか寝てしまうのだ。

女満別湖でキャンプもした。
遠くに見ると青くて奇麗な湖が、近くに寄ってみると薄茶色でがっかりした。
それでも遠浅の水際で、随分遊んだ。

北海道農道2.jpg

毎年夏休みはすぐに終わってしまう。
北海道の夏休みは短いのだ。
あっという間の夏休み。
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頭から心へ [想い出いろいろ]

どんなものにも表と裏があるように
光が射すと蔭が生じる

表と裏、光と蔭、同じところに存在する二つのものが
私たちの心にもある

喜びと悲しみ
感謝と失望
愛と無関心

二つのものがあるということは
私たちが完全ではないと言うことの証し

どちらか一つでなくてはならないと思うところに
傲慢があるのかもしれない

完全ではない私たちを
完全に導いて下さると言う約束は
「でなくてはならない。」という
私たちの頑張りを否定するのではなく
柔らかく解きほぐすもの

二つのものがあるということを
受け入れていく生き方もまた
難しいものだ

頭から心への旅は
一番長くて困難な道なんだろう

岬の入り口.jpg


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