古い日曜学校の歌集 [想い出いろいろ]
私の手元に一冊の歌集がある。
今から50年前に父が作った日曜学校(教会学校)の歌集である。
その当時どれくらいプリントの技術が家庭に普及していたか知らないが、絵も楽譜も綺麗にプリントしてある。切り貼りした後が薄く写っているので、きっと何らかのコピー機を使ったのだろう。家(教会)にそんなものはなかったはずだ。どこかで借りたのだろうか。
ガリ版で週報などを作っていたのは知っているし、私も原稿を作ったり擦ったりした経験がある。
でもそれではない。
一枚ずつ折り曲げてホッチキスで留め、表紙は糊付けしている。
とにかく、もう表紙もボロボロのその歌集が懐かしく愛おしく、まだ30代だった父が、新しく教会開拓を始めた町で、希望を持って作ったのであろう想いが迫る一冊だ。
一曲づつ口ずさむと、あの古い小さな一軒家の教会と、和室をつなげた礼拝堂を思い出す。
まだ中学生になったばかりの私は何にもわからず、両親の祈りも願いも、また希望も理解していなかった。
どのくらいの子どもたちが集まっていたのか覚えていない。いやそれどころか、どんな風に集まりが持てていたのかも覚えていない。
なんてこった!そういえば、習字教室をされていた信徒さんの所の子どもさんたちが来ていたかな。信徒さんの子どもたちも集まっていたのかもしれない。
裏表紙に住所と学校名と、氏名が旧姓で、拙い中学一年生の私の字で書いてある。
もうその住所にその家は建っていない。
何年も前に更地になって、その後しばらくして新しい綺麗な家が建っているのを、いつか夫とその地を訪ねた時に見た。
家の前の庭にそびえていた三本の大きな杉の木も切り倒されていてない。周りの家々もすっかり変わっていた。
父の開拓した教会は、転任になった父の後にきてくださった若い女性の牧師先生によってその場所から離れて新しく建てられ、さらに建てられ、あの小さな古びた家の教会は、大きな素敵な美しい、青い空に十字架の輝く素晴らしい教会になった。
そして、あの頃を知っている人たちも、多くは天国に帰って行かれた。そう父も母も。
手元に残った歌集を見ながら、時の流れとともに変わっていくことと、どんなに時代が変わっても変わらないこととを思い巡らしている。
2022-02-12 10:40
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0