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最年長と最年少の家族 [家族の事]

 昨年12月に、義父が95歳の誕生日を迎えた。

夏から少し体調を悪くして、足腰の痛みが耐え難く、かかりつけの病院への行き来も夫が車で送り迎えしていた。身体の弱い人なので、今までも様々な痛みや不具合と生きて来た。義母が看護師のように仕えて支えて来たのだ。

それでも、義父は守られて誕生日を迎えた。

今年お正月に、家族みんなで集まって、義父にとっては一番年下の孫の成人式を祝い、誕生日を迎えた父に祝福の時を持った。感謝である。


 そして、年が明けて13日に、みんみに!女の子の!赤ちゃんが!生まれた!

ほぼ三日にわたる陣痛との戦いの後、明け方早くに自然分娩で生まれた。

私が、三人とも帝王切開だったので、本当に嬉しい。


 ということで、95歳と89歳の義父母は無事ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんになり、私と夫はおじいちゃんとおばあちゃんになり、いっちとたかはおばちゃんとおじちゃんになりました。


 ついこの間成人式を迎えた家族最年少だった姪っ子は、わずか数日でその座を、生まれたばかりの小さな存在に明け渡し、我が家は最年長95歳と最年少0歳の家族となったのであった。


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ありがとうございました、先生。 [想い出いろいろ]

たかが中学2年の時に、軽い睡眠障害や胃腸が弱って食べられなかったり戻したりし始めた時。近所のおじいさん先生の病院に行った。

先生は、ゆっくり話を聞いてくれて、どこの中学に行っていて何部に入っているかを聞いてくれた。地域に根ざした診療を続けておられた先生は、少し前まで小学校の校医もされていたので、学校の事情もよく知っておられた。

たかが所属していた部活の厳しさや彼が負っている重荷を、多分親である私よりもよく理解してくれたのだろう。「安定剤」を処方してくれた。

たかは、おじいさん先生が「大変だね。でもすごいことだね。好きなら頑張ってするんだ。でも心配しすぎないようにね。楽しんでね。」といった言葉に慰められたのかもしれない。

症状はやがて治った。


私も持病を見つけてくださり、途中でもっと専門のところが良いからと、今通っている病院に紹介状を書いていただいた。本当に感謝している。


2020年に亡くなった母も、おじいさん先生にお世話になった。優しいお顔と優しい声と適切な診断とともに、つるっとしている頭が母は殊の外気に入って「ペコロス先生」と呼んで親しんでいた。


昨年、医師を引退して病院を閉じるとの話を聞いた。

そして、先週病院のあった道を通ったら、解体工事が始まっていた。


先生、お元気でいてください。

市の医師会のえらいお立場におられながら、難しい年頃の子どもにも、高齢の母にも、本当に親身になってお話を聞いてくださり、寄り添う治療をしてくださいました。

ご高齢の方の往診をするために、午後の診察をお休みされることがありましたね。自宅療養のご家族にとって、先生の存在がどれほど心強かったかと思います。

私の家族みんなが本当にどんな痛みや身体の心配を相談しに先生の病院の玄関を尋ねました。

ホームドクターという言葉がぴったりの先生でした。


先生、本当にありがとうございました。


ペコロス先生の病院の玄関

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お祝い月 [家族の事]

新しい年が始まった。


 イヴの朝に夜行バスで東京から帰って来たたかは、新しい年を家族と共に過ごして、95歳になる祖父のお茶会に参加して、また夜行バスで帰って行った。

しばらく規則正しく、かつたっぷり毎回の食事を家族とともに食べて、しっかり寝て暖かく過ごしてから、東京の寒い寒い一人暮らしの小さな部屋に帰って行った。この1月から新しい仕事を二つ始める予定で、いろんな意味で祈りは続く。

 昨年春から新しい職場に行き始めたいっちも、落ち着いて仕事を進めているようで、なかなか様子は掴めないところもあるが、しっかり者のいっちらしく、淡々と通勤している。

 そして、来週出産を予定しているみんみ。初産ということもあり、まだ少し先に伸びそうな気配ではあるが、準備しておかなくてはならないことは多い・・・はずなのに、夫婦揃ってのんびりしているんだなあ。女の子ということがわかり、夫婦で名前を考えている。生まれたらしばらくはうちにくるらしいので、いっちは姪っ子ちゃんのための小さなふわふわのおくるみベッドを買った。

なんだか現実味がない。

現実味はないけれど、確実におばあちゃんとおじいちゃんになるらしい。


そういうわけで1月は、孫の誕生を迎えるのだ。この1月は、亡くなった父も、私も、二番目の妹も、四番目の妹も誕生日を迎える。お祝い月になるなあ。

おめでとう、みんな。


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枯れた切り株 [その他いろいろ]


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残骸の様に見えるって?

これでいいんだ。

やがて全ては土となり、木として立っていた後もなくなる。

倒れるまでは立っていた。

それでいいんだ。

充分だよ。

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クリスマスが始まる [仕事の事]

明後日19日の日曜日はクリスマス礼拝


世界中の教会で、クリスマスの記念礼拝が持たれる。

まだ19日だもの、25日まではまだまだ…なんとなく???な気持ち。

それでもクリスマスの讃美歌を歌い、クリスマスの特別賛美をお聞きし、クリスマスのメッセージをいただき、私たちの教会のクリスマス恒例の一人に一つだけのみ言葉の栞をいただく。

クリスマスだ。


私たちの教会では、16日から「クリスマスミュージアム」という名で教会堂を解放してピアノコンサートやクリスマスグッズの販売、またクリスマスカラーなどの紹介のパネルを展示している。


クリスマスはアドベント(待降節)の待ち望みの時があって25日を迎え、その日からクリスマスが始まるのだ。


そう、クリスマスは始まるのだ。


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雨降りの日 [想い出いろいろ]

久しぶりに雨が降った。

ずっと晴れの日が続いていて、洗濯物がよく乾いたし、青空が本当に気持ちよく広がって、晩秋とはいえ日差しが眩しくて嬉しかった。

でも、この火曜日、夜半から雨の音がしていて、朝は薄暗い空から雨が降り続いていた。しとしとと降り続いていた。


雨が好きだ。

私にとって、雨は長い冬が終わって春が来たという知らせだ。

ようやく雨が降って黒い土が見え始め、軒先に下がる氷柱が溶け始める。

春が来たしるしだ。


一日中部屋の中で仕事をして、夕方用があったので雨の中を歩いた。

傘をさして歩きながら、雨の日の思い出を頭の中で一つ一つ思い巡らした。

幼い頃初めて新しい傘を買ってもらった時のこと、雨が降っていないのにその傘をさして外に出て雨が降るのを待っていたこと。

10代の頃、心の中に様々なやるせなさが募って、土砂降りの中を傘もささずに歩いて帰ったこと。おかげですっかりずぶ濡れになってセーラー服のスカートのひだが無くなってしまった。そして心の中のもやもやも一緒になくなった。玄関で足元に水溜りができるのを眺めながら自分に大笑いしたあの日。

駅まで夫を迎えに行く雨の日。車だったら迎えに行く意味もあろうに、傘を持っててくてくと駅まで迎えに行く。駅の入り口で改札から夫が出てくるのを待つ間が楽しい。

この間の雨は、故郷をも思った。

あの山に囲まれた小さな町にも雨は降っただろうか。

土の香りと雨の匂いが頭の中に思い浮かぶ。


この季節、しなくてはならないことに日々追われているけれど、雨は頭も体も心も一休みさせて、静かに深く思い巡らす時を与えてくれた。

会うことはできない…見ることが出来ない…話すことも声を聞くこともできない…忘れることが出来ない大切な人たちのことも。


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そして雨はあがった。


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アドベント一週目 [家族の事]

明日は第一アドベント礼拝。

クリスマスの季節に入った。

準備は大変だったけど、これからの方がさらにもう何が何だかわからないほど大変だ。一体、何がどこまで進んでいるのか、何が抜けているのか、何を今しなくてはならないのか。もう全てがわやわやである。

毎日どこか抜けているところやしなくてはならないことが出てくる。

追いかけられているというよりも、網目から砂がこぼれ落ちるのをひたすら抑えようとしているというか掬っているというか。

無理やん。


そういう毎日だけど、先日は久しぶりに隣町に住む妹とコーヒーを飲みに行った。コーヒー?違う。珈琲である。モンブランを食べて珈琲を飲み、とうとう4杯も飲んで朝の10時頃から4時近くまで居座った。その間途切れることなく話し続けたけど、何話したのかなあ。とにかくいろんな話をした。今の事、過去のこと、家族のこと、友人?のこと、仕事のこと、自分自身のこと。幼い時からこんなふうに話したことはない。すぐ下の妹とは本の話など、途切れることなく話し続けていた記憶はあるけれど、この妹とはこんなふうに話したことはこの年になるまで全くと言っていいほどなかった。そう、父と母が亡くなるまでは。

父母が残してくれた形のない遺産は、私たち姉妹に豊かに優しく愛に富んだ交わりを与えてくれた。共通の記憶を愛おしく思う。また、それぞれに与えられたそれぞれの記憶を共有しながら、改めて感謝し互いに喜ぶ。

こんなふうになるなんて想像もしなかった。

 

先日少し辛い出来事があって、一人で苦しんでいた時に、その妹に電話して父母の思い出話をした。今の悩みのことは何一つ話せなかったけど、父の苦しかったであろう時のこと、母の辛かったであろう時のことを思い出して話しながら二人で電話口で涙を流した。不思議なことに、それで、私の今の苦しみがほぐれていった。


いいんだ。辛いことがあっても・・・

苦しいことがあっても・・・。

いいんだなあ。


主がおられる。

それが全て。

そうして生きて逝った二人のことを思うと、幸せでならない。

主がおられるということが。

その愛の中で全てが最善ということが。

はっきりと疑う余地のない事実として、生涯に現されているから。


憐れみのゆえに・・・。


ハイビスカスは元気です。

次々に花を咲かせています。

居間の窓辺で。


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初秋のハイビスカス [その他いろいろ]

10月を迎えて、ベランダのハイビスカスの蕾が花を咲かせないうちに黄色く枯れて、葉の数も落ちてきたので、思い切って来年のために枝切りをした。

やがて冬を迎えると、全ての葉が落ちて枯れた木のようになってしまう。

去年はもうダメかと思って悲しかった。

両親が、特に父が寝たきりになってからは、母がハイビスカスに蕾がついて真っ赤な花を咲かせるのを一つひとつ数えながら喜び楽しみにしていたから、心から申し訳なく悲しかった。でも、枯れてなかったんだなあ。枝を切り、肥料をやって春には葉が出てきて夏中次から次に真っ赤な花を咲かせてくれた。

かつて私は、本当に植木や草花を枯らしてしまう天才で、水をやり過ぎては枯らし、加減しているつもりで足らずに枯らし、陽の当たる所に置いては枯らし、日陰においては枯らしていた。(なんじゃそれ)触るとカラス・・・じゃなくて枯らす天才だった。(自分で言ってどうする…)

でも、賢い妹にアドバイスをもらい、それなりに調べてなんとか持たせている鉢がいくつか…。このまま育っていったらいつか大きな木になって、ベランダでは育てられなくなって、しかもどこにも持っていくことが出来なくなって(大きく重くなり過ぎて)アパートのオーナーと他の部屋の住人から苦情が出たらどうしよう、ベランダの底が抜けたらどうしようなどと想像は果てしなく広がっていく。カラス天才…じゃなくて枯らす天才の才能はどこにいったのだろう。想像の中で枯らす天才の才能を求めている。もういっそ枯れてしまってもいいかも。もう朝から心を痛めながら蕾や葉を数えては「水が欲しいのかい?」「やり過ぎて根が枯れそうなのかい?」「暑いのかい?」(…「かい?」と言う言い方は北海道弁で、北海道を離れてまもなく50年を迎えるのにこればかりは全く治らない…なぜだ)と心配し続けるのは辛すぎる。いや…でも、葉っぱが黄色くなり、落ちていってとうとう枯れてしまうのはまたそれも辛い。

何をやっても辛いです。


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祖父のこと [家族の事]

 今から34年前の4月19日、イースターの日に召された祖父のことを思い出している。


奈良に生まれ、六人弟妹の長男として育った祖父は、幼い時に父親が寺子屋の先生として遣わされた北海道に家族ともども移住した。


 祖父の父親という人は、高野山の僧だった叔父の養子として僧侶になるべく叔父の元に行ったが、自分の長兄が亡くなったと言うことで後を継ぐために本家に戻ったそうだ。

祖父に聞く父親像は、とにかくお酒とタバコの好きな人で、酔うと家族を苦しめたそうだ。母親は、本家の嫁として苦労していたらしいが、更に極寒の北国に連れてこられて、厳しい環境の中で子どもを育て、祖父が16歳の時に39歳の若さで病いの中で亡くなったそうだ。食事の時も、家族の後で残ったご飯を立膝をしてかっ込んでいて、座って食事をしているところを見たことがないと言うくらい、働き詰めに働いて生涯をとじたのだそうだ。

 祖父は1900年生まれで、生きていたら今年121歳。三井物産に勤めて、コツコツと実績を上げ、北海道中を転勤や出張で周りながら、最後は小さな町の三井物産の木工所の工場長となった。しかし、その工場は、アジアで初めて木材生産のオートメーション機械を導入したと言う立派な工場だったらしい。戦後、昭和天皇の行幸を得て、小さな北国の町の小さな駅に、白いスーツに白い帽子を手にした祖父が、昭和天皇をお迎えしている写真を見たことがある。


 その祖父は、私の母が生まれた頃に、さんざん家族を悩まし苦しめた自分の父親を引き取った。その時祖父の兄弟たちは、祖父が父親を引き取ると言うことを信じられない、あり得ないことだと言っていたそうだ。実際は、出張ばかりの祖父の留守の間、祖母が子どもを抱えながら面倒を見ていたのだから、苦労したのは祖母だったろう。北海道の渚滑(しょこつ)出身の祖母は美しい人で、ミス渚滑と言われていたらしいが、若い時に聖書を読んで信仰を持った救世軍のクリスチャンであった。


 私が母から聞いた曽祖父の姿は、隠居部屋でお酒を飲み、気に入らないことがあると祖母の髪を持って引きまわしてデリッキ(火バサミ)で打つと言う、本当に恐ろしい人だ。それでも一面とても器用な人で、お酒が入っていない時は、細々とした物を手作りしたり、上手に歌を歌ったりしていたそうだ。

 その曽祖父が、歳を経て病を得て体が弱り祖母の介護によって生活していたが、祖母がその肩をさすりながら自分自身の愛の足りなさを嘆いて涙を流していたときに、首筋に落ちた涙を感じて曽祖父は祖母の心を知ったのだろう。「あんたの信じている神様は本物や。」と言って悔い改めて信仰を求め、やがて洗礼を受けて人が変わってしまい、優しいおじいさんになって、毎朝祖母と祈りの時をもち、亡くなった時にはその小さな町で初めてのキリスト教のお葬儀がもたれたそうだ。


 祖父は、苦労して苦労して大変な中で亡くなった自分の母と、散々放蕩をして家族を苦しめても、人生の終わりに信仰を持って幸いな最後を迎えた父親の姿を比べて、なんとも言えない思いをもっただろうと思う。


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 それでも82歳で真の神様を信じて洗礼を受けた祖父の信仰生活は、私にとって何よりの慰めであり喜びであり幸いであった。最後に会った時に祖父は、私を送り出す朝に涙を流して私の名を呼んで祝福を祈ってくれた。

イースターの日、大きな手術の後の回復期であったのにも関わらず、思いがけない大出血があり、あっという間に天に召されていった祖父の死は、88歳という歳ではあったがまだまだ元気でいると思っていた私たち家族にとっては本当に大きな悲しみであり驚きであった。

 手元に、晩年の祖父の直筆の文章がある。何枚も書き直した後がある。忠実で誠実に生きて、晩年は優しく涙もろくなった祖父の信仰告白とも言える文章を改めて読んで胸を熱くしている。


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こんな毎日 [今日の事]

1日が過ぎていくのが本当にあっという間だ。

普通そう思うのは忙しくしている人だろう。

でも、私は何もしていないのに時間がどんどん過ぎていく。

何をしているんだろう。

焦りだけが心に残っていく。


朝起きたらすぐに、ベランダのプランターや、父母が残した鉢植えの草に水をやる。これは雨が降らない日は毎朝のこと。

それから、洗濯物を集めて洗濯機を回す。

時間が早ければシャワーをその時に使うが、少し遅れたら後回しにする。

夫がシャワーを使っている間に朝食の支度をする。

15分だけテレビの前に座って朝ドラを見る。
見終わる前に娘は自分の朝食を食べ、お弁当を作って出かけていく。
夫が玄関で祈って送り出す。

ほぼいつも同じ朝食。



朝食を前に一緒にお祈りをしていただく。

その間に洗濯物ができるので干す。

大人三人で生活しているのに、洗濯物は多いんだなあ。


夫は出かけるか、家でそのままパソコンで仕事を始める。

そうすると私は、スマホを手にしてSNSやらLINEやらを見る、見る、見る。

たまに朝からミーティングが入る。出かける時もあるが、今はほとんどリモート会議だ。リモートでも顔は見えるので、一応ちゃんとお化粧する。

 

会議のない時は、台所の洗い物をして、気がついた所を片付けたりしていると昼食の用意をしなくてはならない時間になる。うちはいつも夫も家で昼食を取るので、二人分作って昼食を食べる。


午後も会議が入る時があるが、やはりリモート会議だから家からは出ない。

3時になると「カーブス」に出かける。

帰りに買い物をして、夕食の材料や朝食の足りないものを買う。

帰ってきたら夕食作り。

娘が7時には帰ってくるので、うちの夕食は7時。

毎日毎日食べる。

あ、当たり前か。

でも、時々本当に思うよ。

人間って毎日毎日食べるよなあ、って。


夕食の後はテレビを見たり、紅茶を飲んだり甘いものを少し食べたりのんびりする。いろんなことを話す。


その後でパソコンに向かってSNSを見たり、仕事の書き物をしたりして、なかなか寝ようという決心はつかず(さあ寝ようって思わないとベッドには行けない体質?気質?性質)ついつい遅くなるけど、次の日の朝のことを考えると寝なくてはならないと思い横になる。が、簡単には寝付かれないので本を読みながら眠たくなったら寝る。


こんな毎日を繰り返していると、何してるんだろうと思う。

本当に何してるんだろう私、と思って情けなくなるよ。

 


今日は夕方の買い物の帰りに、近所のおじいさんが車椅子に乗って、娘さん?に押してもらって散歩している姿を見かけた。

そうだった。私もまた、夏の夕方風が涼しくなる頃に、よく父を車椅子に乗せて散歩に出た。デイサービスのない日は、そんなふうにして外に出て、川沿いをゆっくり散歩して花を摘んだりしたなあ、と思い出した。そして、もっともっと一緒に散歩してあげられたら良かった、と思った。毎朝早くに散歩していた母とも、一緒に歩けば良かったと思った。ごめんね・・・そう思ったら涙が止まらなくなった。久しぶりに空を見上げながら、泣きながら帰った。

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つなぐ糸 [仕事の事]

2回目のワクチン接種から一週間が過ぎた。


二日目に微熱が出て、身体中が痛くだるく、微熱なのに頭の芯が熱くて重いという症状が出た。三日目は日曜だったので、なんとか起きて礼拝に出席。大人しくマスクをしたまま距離を取って座り、飲食もせずに家に帰ってきて休んだ。


世間ではオリンピックで盛り上がりもあり、夏休みに入っていろいろな計画を立てている人たちも多いはず。ワクチンについても様々な風評もあり、ネットでの騒ぎは心が痛む。


ワクチン接種の週の月曜日は、朝から会議が二つ重なり、しかもZoomではないリアル会議(笑)午後は大阪まで行かなくてはならず、少々心配もあったがどうしても話し合って決定しなくてはならなう事案があって出かけていった。


大阪の会議は進展があり、ある意味委員会メンバーそれぞれの想いはありつつも納得の答えが出た。本当に良かった。それにより私の責任のお仕事が発生したが、それも無事に終えることができた。感謝。

委員会に関わって約8年。かつてはいつも身も心も疲れ果てて帰途に着いていたが、このところそれはない。今回もメンバーの偉い先生方とも思いを共有できて、出た結果も、討議の間の発言一つひとつも和やかで正直でとても良かった。終了後ラインを交換し合う年配の委員のメンバーの姿が微笑ましく、可愛らしく(失礼!)ニヤニヤしながら帰ってきた。


午前中の会議については、関わらせて頂いてから、すでに30年以上が経つ。(改めてすごいなあ)その間に人が変わり、時代も変わる。

和やかで旧友の交わりのような委員会だったが、コロナのせいで委員会が持てなくなり一年半が過ぎた。昨年に続き、今回もホールでの開催が中止されたのだが、配信のための動画を造ることになり、その役目をいただいている。30年あまり舞台・進行の担当をさせていただいているためにそうなったわけだが、有能な方々がおられるのでなんとか前に進んでいる。

それより、互いの思いがすれ違ってしまうと、物事が進んでいてもどこかしこりが残るものだ。新しいことをすると不安もあるし、疑いも起こる。仕方がないことなのか・・・。

心をつなぐ糸はどこにあるのか模索している。
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今から暗い気持ちになる。 [その他いろいろ]

今週の月曜日、月一回の持病の診察のためにかかりつけの病院に行った。

いつものように検尿と採血と診察を受けた。

全ての数値はとても良く、医師からはよくコントロールされていると褒め?られた。その後、コロナのワクチンを受けてはどうかと言われた。さまざまなデータと説明を受け、確かに接種券は届いているが、ただでも注射なんて大嫌いだし、実はすごい怖がりなので受けるつもりはなかったのだが、気がついたら予約していた。

そうなのだ。私は注射が大嫌いで、すごい怖がりで、嫌なことは絶対避けて通りたいのだが、めっちゃ素直なのだ(自分で言うか・・・。)

「どうですか?受けますか?」

「はい」

はっと気がついた時はもう遅い。

「帰りに予約していってくださいね。」

心の中で(なぜ「はい」といったのだっ!)と己を責める。


しかも、1回目の予約はその週の(つまり今週の)金曜日、診察からわずか四日後である。まじか。心の準備もできない。注射のための心の準備には1ヶ月ほどかかる。毎月の診察で採血をしてるが、1ヶ月の準備があっての採血なのだ。


しくしくしく・・・。


行ってきました。昨日。

大人しく受けてきました。

娘に教えられた通り、静かに深呼吸して備えようと思った途端に刺されていました。刺されました。準備も何もあったもんじゃなかったです。いや確かに「刺しますよ」って言ったかもしれない。でも聞いちゃいなかった。もう必死で・・・。


しくしくしく・・・。


あとは何も考えられずに、15分間様子を見られ、痛み止めと熱さましのお薬をいただきすごすごと帰ってきた。


帰ってからご褒美に泣きながらあんぱんを食べた(だめじゃん)

血糖値が上がったせいか眠くなって少し横になった。

そのほかの症状は何もなし。


でも、今日は朝から腕が筋肉痛のように痛むが、それほどひどくはない。いや、痛いけれども・・・。発熱もなく、だるさもほぼなく1日を過ごしている。

注射の後の絆創膏は見るのも嫌なのでそのままにしていたが、今朝夫に剥ぎ取られた。心の準備もなく・・・。


2回目は30日の金曜日。たったの三週間後。


今から暗い気持ちになる。


しくしくしく・・・。


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生きている音 [その他いろいろ]

暑いので窓を開けて寝ている。

今の寝室はかつてみんみの部屋であった。

改めて夜の間中、いや一日を通してどれだけ騒音に満ちているかを知った。

最終電車が一時近くに通る路線はアパートのすぐそばを走っている。一日中電車の音は鳴り響く。さらに今週からは夜中に線路の工事が始まるらしい。

幹線道路がすぐ目の前を通っている。これが・・・・夜中になってもバイクは走る、トラックかと思うような重量の車がエンジンの大きな音を立てて走っていく。

夜中過ぎに大きな声で話しながら笑いながら歩いている人たちがいる。ほぼ毎日のように。

そして、隣の大家さんのところのビーグル犬が、毎朝五時過ぎに、何が悲しいのか知らないが明らかに鳴き声ではない泣き声で泣き続ける。夕方にも必ず鳴くのだが、あれはなんなのか。

可愛がられてはいない。まあまあ広い庭に放し飼いだ。もうかなりの老犬で、どなたかから譲られたと聞いた。

そして、その庭には雀の大軍が住んでいる。うちのアパートのベランダに数羽来るくらいは可愛いのだが、大群で囀り始めるともう・・・・。

カラスもなく。

毎日毎日電車の音と、車とバイクの音と、人の話し声と、老犬の悲しい泣き声と、おしゃべりな雀の囀りとカラスの鳴き声の中で、なんとか夜を過ごし朝を迎えている。


眠りは浅い・・・。

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ダッシュは無理 [その他いろいろ]

先々週の木曜日。今になってマイナンバーカードを申請していたので受け取りに市役所の分室に出かけて行った。

私は免許証を持っていないし、パスポートも切れているので写真付きの証明書を持っていないのだ。特に不便だと思ったことはないけれど、面倒な時がたまにある。

そこで、ネットで申請して何ヶ月か経ってようやく受け取りに行くことになったのだった。


暑い日で、私はいつも自転車で出かけることが多いのだがその日は珍しく歩いて行った。

滞りなく手続きは終わり、めでたくカードを受け取った。その帰り道のことだ。


横断歩道を渡ろうとして後数歩で渡り切ろうとするときに、信号が赤になった。もちろん急に変わったわけではなく、点滅する緑を確認しながらも渡ったのだから途中で信号が変わるのは想定内だ。

とりあえず走ろうと思いダッシュで二歩!走った?時!!突然足首がねじれて転んで膝を突き、両手をついた。そんなスピードが出ていたわけではないのだからそれくらいで済むところなのだが、私の背負ったリュックが重かった。転んだ勢いでリュックは思いきり左に振り切られて、その力で私は両手をついた後に左の顔面からアスファルトに打ち付けられた。

ひゃあ〜〜〜〜。

目の前の自転車に乗った奥さんと、左からやってきていたバイクのお兄さんも、一瞬私と顔を見合わせて一緒に呆気に取られて時間が止まった。そして、二人とも自転車とバイクを止めてかわいそうなおばあさんを(あ、私のことです)助け起こし、大丈夫ですか?と聞いてくれた。お兄さんは何度も「怪我はないですか?大丈夫ですか?」と繰り返し聞いてくれた。

眼鏡の左がわが大きく歪んでいるのと、どうやら目の横をアスファルトで擦ったらしく血が流れているのを感じたが、不思議に痛みはなかった。それより申し訳なさと恥ずかしさで、大丈夫ですと言い、お礼を言うのもそこそこにそそくさとその場を後にしたのだった。

まあ痛みよりも恥ずかしさの方が大きかったのだな。本当に申し訳ない。

幸い傷は小さくて、出血もほとんどなく、そもそも挫いたと思った左足首も、痛みはそれほどなかった。家に帰って、みんなに転んだと言ったら、慰めてもらい「走るな。」と口々に言われた。

次の日は一日身体中が痛かった。

眼鏡は、作ってもらったお店までてくてく歩いて行ったのに閉店終業していて、またてくてくと歩いて帰った。それで、近くの眼鏡屋さんに行き無料で直してもらった。ありがたや。


娘がLINEで「はしるな こけるな 顔面からいくな」という標語をくれたので守っていこうと思う・・・?


何より走れなくなっているということがとても寂しく残念です。

いや走れるけれど、ダッシュは無理だね。うんうん。無理だ。


ところで問題は私のリュックだ。

子どもが生まれてから、ドラえもんのポケット鞄になって久しい。細々した便利グッズがないと不安になる。当然重い。そんな重いリュックだから、勢いで振られて重心を崩されるのは当たり前だ。


思った。

私もいつの間にか「あったら便利」と言いながら不要なものを詰め込んで、生き方がぶれているんじゃないかなと。

大丈夫と思っても、その重さで引き回されて怪我をすることになる。

シンプルに軽やかに生きたいものだ。

あってもいいし無くてもいい。

そんな生き方をしたいなあ。(願望)

と、思った。


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病院のはしご [その他いろいろ]

5月に入ってから、明け方や夜半過ぎに何度か狭心症の発作が続いた。

秋と春にやってくるお馴染みの痛みと苦しみ。

以前処方された舌下錠はもう期限が切れていたので、かかりつけの持病の先生にそのことを話したら、ちゃんと診察も受けて診療方法も相談したほうが良いと言っていただいたので、その足で家の近くの心臓・血管・循環器センターに行った。病院と注射が大嫌い(笑)な私にしては素早い行動であった(いやいや当たり前のことなのだろうが・・・)


父も母もかかっていた病院である。

10年以上も前にも詳しい検査をしてもらい、診断はおそらく変わっていないだろうと思った。


私の場合は異形狭心症で攣縮によるものだ。父と同じである。でも父はその後心筋梗塞を起こしているから放っても置けない思いもあった。


今回も治療着に着替えての採血。心電図、エコー、CTと詳しい検査をすることになった。午前中にかかりつけの病院でいつものように採血をしたのだが、今度は反対の腕に太い注射針で三本の容器に血を取り、後でCTの時に造影剤を入れるために点滴に繋がれた。もう重病人気分だ。嫌で嫌で身体中がちくちくしながら、ガラガラと点滴の台を持って移動する。


その日は半日かかって検査を終えて、今週月曜日に結果が出たので診察を受けてきたが、全ての検査の結果は良好。血管も元から端に至るまで綺麗に通っているし異常なしで、エコーの結果も問題なし、血液検査に至っては、どの数値も(持病にかかわる数値以外は)安定していて範囲内であった。最後に先生に「とても健康ですね。」などと言われた。

いやいやいやいや。

どう言うこと?

喜んでいいのやら心配していのやらわからん。


とにかく万が一発作が起きた時のことを考えてミオコールスプレーを処方してもらって帰ってきた。父も常にどこに行くにも常備していた薬なので、懐かしい。


5月は父と母を続けて天に送った月。

季節の変わり目であるし天候も不順で、雨の日が続いたり、暑かったり寒かったり。

心配なこと心にかかっていつも祈りの中に覚えていることごと。

どうしてもやらなくてはならないこと(と書いた途端に、やりたくないんだろうなと思わせてしまうほどやらなくてはならないと思っていること笑笑)

次から次にやってくる目の前の仕事の数々。


多くの人がそのような中を過ごしているのだろうに、私の小さな(これは本当に普通の人より小さいと昔診察の時に言われたのだから間違いない)心臓(血管)はすぐにびびって痙攣してしまうのだろうな。


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神様。

長く健康で生きたいとは思いますが、全てはあなたの御手の中のことです。

いつどのようにあなたのところに召されるのかはわかりません。

どうぞそのための備えをなさせてください。

愛する一人ひとりに「充分生きた」と私を手放せるような生き方をさせてください。

残された愛する一人ひとりが、私があなたのところに召された事実を覚えて、感謝して慰めをいただけるような最後を迎えさせてください。

・・・・父と母がそうであったように・・・。

愛する主よ。

心から祈ります。


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優しい言葉 [その他いろいろ]

私はかつて人付き合いが本当に悪かった。

人といるととにかく気を使うし、一緒にいて楽しいと思うのも一瞬のことで、何かと気を回しすぎて結局疲れてしまう。

ひとりで過ごすのが何より好きだし、ひとりでいて寂しいと思うことはほとんどない。

好きなことをして、自分の好きなように時間を使う。そういう自分で良いと思っていた。

だから、コミュニケーションの取り方が全く下手なのだ。

う〜〜〜ん。

「コミュニケーション」と言うか会話ですね。

人との会話が好きではない。おしゃべりも疲れる。言いたいことなんてない。口を開くのも面倒だ。心の中の思いをどうしてわざわざ口に出さなくてはならないのか。そもそも心の思いをどんな言葉で表現などできると言うのか。

そう言う思いがブログを途切れ途切れにさせる原因なのだなあ。

書いている意味がわからなくなる。「誰が読むねん。」と思ってしまう。

書き続けるのは少し義務感もあるのだ。

インタビューは上手。

(自分で言うか・・・)

いろんなことを聞いたり、話を引き出したりするのは上手い。

(自分で言う・・・)

しかし、疲れるね。


昨日午後いっぱい会議があった。

このご時世なのでもちろんZOOMでの会議である。

内容は、非常に良かった。会議の間にある専門の先生からご体験も交えてレクチャーを受けるもので、知識だけではなく思いにおいてもとても大きな宝をいただいた気持ちであった。

しかし。

最初から少し腹立たしさを覚えながらの会議であった。

(ああ、言っちゃった・・・)

私の中の「ちゃんとしなさい」感が膨れ上がっていて、「ちゃんとできていない」人に対してもものごとに対しても非常にイライラしてしまうのだな。そう言う思いを昇華して実りある話し合いへと変換できれば何よりなのだが、如何せん初めから腹が立っておる(笑)

途中で帰宅した夫が聞いていて、後で言葉使いを注意された。

ありがたいことだ。全くありがたいことだ。


歳を取ったら少しは穏やかになるかと思えば、なんとますます立腹の沸点が低くなる。いやすぐに腹が立つ。これはなんだ?

と言うことで、こんなことがあったらかつての私はますます人との接点を減らしてしまうところである。

でも今は違う。

夫は、「あの言葉はよくない、あのような答えかたは相手を萎縮させてしまう、こう答えれば良いのに・・・」と具体的に教えてくれた。

海より深く納得であった。

萎縮させる言葉。私の発する多くの言葉はそうであった。

皆さんに満遍なく好かれようとは思っていないが、本当は喧嘩を売るのも良しとはしない(つもり)である。改めて言うが本当だ。

甘えるのが嫌いな上に甘やかすのも嫌いなのに、何が甘えで何が甘やかしなのかも本当には知っていない自分に気がつく。優しい言葉は甘やかしではない。「ちゃんとする」ために「ちゃんとさせる」ために、優しい言葉は骨をも溶かす威力なのだ。

そろそろ自分育てを終えて、若い人、周りの人を育み培う年代の自覚が必要だなと実感したのであった。


優しい言葉かあ。



なんとか嘘くさくならないように優しい言葉を言える人になりたいなあ。

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サワヒヨドリの花
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父の好きだったミヤマリンドウ


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明日が一年目 [家族の事]

ことあるごとに家族で賛美した。

もうそらで覚えているのでいつでもすぐに歌える。

集まったら、旅から帰ったら、退院して帰宅したら、お祝いの時、区切りの時、病の中で、感謝の時に、いつでもどこでも家族で賛美した。

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「今日まで守られ」

曲:Asahel Nettleton 詩:Tetusaburou sasao

1、今日まで守られ來し我が身 つゆだに憂えじ行く末などは

  いかなる折にも愛なる神は 全ての事をば良きにしたまわん

2、か弱き者をも顧みたもう 我が主の恵みはこの身に足れり

  賑おう里にも寂しき野にも 主の手に縋りて喜び進まん

3、主の日ぞいよいよ間近に迫る 浮世の旅路もしばしの間のみ

  間もなく栄えの御国に行きて ときわに絶えせず我が主と住わん


曇り空と十字架.jpg


去年のお正月、父は入院していたけれど、仮退院の母が帰ってきたのでこの賛美を家族で歌った。

いや、母が歌うのをみんなで聞いた。

私が聞いた最後の母の賛美だった。

涙も見せず動揺もせず、最後までほぼ一人で嬉しそうに歌った。


今私のスマホのボイスレコーダーに残る母の賛美は、素直で愛らしく真っ直ぐな母らしい声で、もう息も苦しかったであろうに母は歌い切った。


♪間もなく栄えの御国に行きて ときわに絶えせず我が主と住わん♪


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5月15日
明日は父が天に帰っていって一年を迎える。


 

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春が過ぎていく [家族の事]

 緊急事態宣言が延長になり、様々な集まりが中止になった。

会議はリモート、ZOOMになり出かけなくても家で出席するようになった。

外に出るのは、マスクをして買い物に行くくらい・・・。時折夫と公園や街の中を散歩するくらい・・・。



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 雨が降ったり風が吹いたり晴れたりして季節が移っていく。

気が付かない、知らない間に咲いている花々が変わっていく。桜も終わり、タンポポは咲いている。ハナミズキも終わり木々の新緑が眩しい。


こんな季節に父も母も生涯を終えたんだなあ・・・と思う。


青葉.JPG
 緊急事態宣言のために姉妹で会う事は出来なくなってしまったので、先日LINEビデオ通話を試してみた。私はなんとなくもどかしさを覚えつつ終わったのだが、それでも全く会えないより、顔を見ながら声を聞くことができるのは、すごいよねーーー。
 短い時間とはいえ、せっかく四人が揃ったのに、父と母のことは、なぜかちゃんと話すことができなかった。
ただメイクしていない私の顔が母方の祖母の顔にそっくりだと言ってみんなが笑った。
大好きだった祖母。いつもいつも大笑いのタネをくれた祖母。
5年介護をして祖母を看取った母は、祖母を送った後で軽い鬱症状になった。
私に電話してきては良く泣いた。電話口で何をいうでもなく泣いていた。でも、泣けて良かったね・・・今はそう思う。
電話口で泣かれるのは本当に辛かったけれど、泣くのを聞いてあげられて良かった・・今はそう思う。
悲しみや寂しさがやがて形を変えるのはいつなのか、誰にもわからないし、それぞれ違うだろうから何も言えない。切り替えられる人もいるだろうし、いつまでもその中に止まる人もいるのかもしれない。
それでも、悲しみを悲しみとして、寂しさを寂しさとして心の中で認めながら時を過ごすことにきっと意味があるのだろう。
そんなことを思いながら、変わりゆく季節を空や花や木々と共に過ごしている。

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懐かしい姿 [家族の事]

13年前のこと。


その春、山形県から関西に越してきた両親であった。

遠方からのお客さんを連れて、母は関東の妹とともに有馬に出かけた。

とても綺麗な紅葉を見て「お父さんにも見せてあげたかったね。」と言いながら帰ってきたそうだ。父もまた、山が好き自然が大好きなので見たいと思ったらしい。


そこで、改めて数日後にロープウェイで登れる神戸の植物園に父と母を案内して行った。ちょうど紅葉は盛りで、しかも薔薇の花や様々な花々も盛りと咲いていた。母はおいしいおにぎりとお弁当を作って電車に乗って三人で出かけ本当に楽しく嬉しい時を持った。


父はブログを始めていたので、デジカメでたくさんの写真を撮っていた。

布引ハーブ園2008年11月紅葉を撮る父.jpg

その横で母は、父と同じ方向を見ながら楽しくおしゃべりをしていた。

布引ハーブ園2008年11月.jpg

その姿を見ながら私もとても楽しく幸せな気持ちだった。その時のことを思い出している。

布引ハーブ園2008年11月父と母.jpg

この時着ている母のライトグリーンのジャンパーは、今私の手元にあって、この春の季節とても役に立っている。


5月になり、父と母が天に召された日を迎えようとしている。あの日々の前後のことを思い出しながら、改めて神様がどれほどに小さな存在を愛していてくださっているのかを教えられている。

何が幸いなのか・・・私にはわからない。それでも、真実な方は最高の幸いを与えてくださる方なのだ。

懐かしい両親の姿を思い出しながら、静かな5月を迎えた。

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思い巡らすこと [その他いろいろ]

「百花為誰開」


尊敬する先生に教えていただいた言葉。
今回この言葉で自然に思い巡らしの時を持たせていただきました。
野に咲く花々。花屋に売られている花々。庭に咲く花々はもちろん。
自分自身の事。家族のこと。周りの人々のこと。
そして、神様のこと。

うちの小さなベランダにも春になり様々の花が咲き始めました。
娘が私の誕生日に毎年贈ってくれる勿忘草やマーガレットの苗が、今年も美しい花を咲かせています。

この小さな花は、誰のために開くのか。

街にはあちこちに野の花が咲き始めました。
明日には刈り取られるかもしれない草花です。
花を咲かせても実を実らせることはできないかもしれない。
ただ踏まれて枯れてしまうかもしれない。

この花々は誰のために開くのだろう。

罪深い迷いやすく愚かな弱い私は、63歳を迎えてどんな花として置かれているのだろう。
日々すぎていくこと毎に流されながら、痛みを痛みとして喜びを喜びとして、苦しみを苦しみとして感謝を感謝として、私の人生に取り込みながらどんな花を咲かせているのだろう。

その花は誰のために開いているのだろう。


白い花色鉛筆.JPG



思い巡らしは終わりません。
はっきりとした答えを出したくはありませんでした。
いろんな答えが心に浮かびましたが、きっとその思い巡らしの時が大切なのだと思いました。

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五つの論文 [仕事の事]

今日は4月15日。もう1年の3分の1を過ごした。


あと5ヶ月で5つの論文を書かなくてはならない。

ある資格を取るためだ。

山と積まれた参考文献を前にため息をつくが、とにかく読まなくては話にならない訳で、日々本を開き、読み、パソコンに向かっている。

取ろうと取らなかろうと、私自身の人生と環境にそれほどの影響もない「資格」ではある。それなのに苦労して取るのは、自分の中では、むしろ自分のためというより私が取ることによって与える周りへの影響のため、と言った方が良いかもしれないな。


一人一人に与えられた責任がある。

責任を果たさずに済ませることもできるかもしれない。

でも、もしこの一つのことに対して疎かにしてしまったら、私は人生に与えられているもっと大きな責任をも回避して済ませてしまうかもしれない。

そう思うと、逃れの道はあるのに悪あがきする自分の姿を情けなく思いながらも、今日もページを開き、キーボードを打つ。

悪あがきで終わらせないために。与えられた人生を何のために捧げるのか、もう一度初めの愛に戻って、私を愛すること、私に期待することを諦めない主の想いに応えたいと切に願う。

ということで…てくてくてくと歩いている。

杜の線路.jpg

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大切なことはひとつ [仕事の事]

毎日がサクサクと過ぎて行く。

次々に起こる出来事に、一つひとつ心から向き合う。

遠出のお仕事が一つ終わり、教団の総会が終わり、その間に二つの葬儀があり、イースターの礼拝があり、それらにまつわるさまざまな準備と奉仕があった。

知らないうちに時間がどんどん過ぎて行ってしまう。

・・・行ってしまう・・・

頭と心が追い付いていないのか、それらのことごとをしっかり思い巡らして、頭と心の中であるべきところにきちんと置いておきたいと思っているのに、思い巡らすことがなかなかできないままに時間だけが過ぎて行ってしまう・・・。


それでも、

Until my Lord says

" That enough. you're done. "


大きな事ごとの隙間に、こぼれ落ちそうな日常の小さなしなくてはならないことが詰まっているのは気持ちの良いものだ。それでも、しなくてはならないと思っている多くのことを、出来なかったとしても“良い”と思えるのも感謝だ。


もっとも大切なことは一つだけ。

そう、一つだけ。

御顔を仰ぎ御言葉に思いを向け、御心を行うことを祈ること。

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なにものもそれを奪うことはできない。

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本当にヒヨドリかどうかはわからない件 [今日の事]

少しずつ少しずつ春がやってくる。
ベランダのプランターに新しい花の苗を植え、ローズマリーやペパーミントの苗も植えた。同じように新しいプランターにスナップエンドウの小さな可愛い苗も植えた。ところが!
ある朝見てみると豆の可愛い黄緑の芽は、跡形もなく(おそらくヒヨドリに食べられて)影も形も無くなっているのだった。
網を買ってこなくてはならない。ヒヨドリを捕まえるためではない(当たり前か)新しい可愛い苗の芽を守るためだ。ヒヨドリには美味しいだろうが、私たちも美味しい豆を楽しみにしているのだ。
ということで、また苗を買いに行こう。守るための網も買おう。
みんみの部屋を完全に片付けた。たかの部屋も、私の勉強部屋として片付けさせてもらった。まだ彼らの遺物(笑)はあるけれど、それは置いておいてあげよう。
変わっていく家族のあり方に、ようやく少し心が追いついてきたのかな。
それでも今日もスマホに残る父と母の笑顔と声を見て時間を過ごした。
忘れてはいけないことと忘れても良いことがある。
そんなことを思いながら、懐かしい声をいつまでも聞いていた。
大丈夫。
涙の夜を過ごしても、朝には感謝の賛美が溢れるから。
1日の終わりに寂しさと不安を覚えても、新しい朝には希望と感謝があるから。
西の空の十字架2.JPG

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願いと最善と [その他いろいろ]

秋から胃腸を壊して、体調がなかなか良くならない日々を過ごし、5キロほど痩せて服も合わなくなり、ズボンの中にセーターを入れてずり落ちないようにして過ごしている(笑)

慌ただしくも忙しい毎日には変わりなく、それでも一年前に比べて見ると時間はあるのだなあ。

父母が召されてまもなく一年が経とうとしているが、この一年は始末しなくてはならないことが次々にあり、先週はおそらく最後であろう二人の医療費のお知らせが、もう無人になった家のポストに届いた。こうして。二人が生きていた足跡のようなものが一つずつ消えていき、遺された者のしなくてはならないことも片付いていくのだな。

結婚したみーは、ほぼほぼ音沙汰なく(笑)幸せに過ごしているのだろう。家の模様替えをしようと片付けながら、五人が揃って生活していた空間が、広々として行き、音がなくなりものがなくなっていくのを、落ち着いて静かに眺めながら、少しずつ違う新しいものに目を向けている。

軽井沢空2.jpg
いま病の中で最期の戦いを戦っている人がいる。
どんなに愛していても、そのいのちの戦いを代わりに戦うことはできない。
やがて確実に来るその時を、ただ心を絞り出すようにして祈る。
もう「なぜ」とか「どうしてですか」という問いはない。
人の弱さと小ささと罪深さと脆さと、同時に神様の全能と義と愛とを思う。
信じよう。最善を尽くしてくださる方を。
夜の月.JPG

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勿忘草の贈り物 [家族の事]

毎年いっちは私の誕生日に花の苗をプレゼントしてくれる。

いつからだったろう。

まだ東京で仕事をしている時からか。

宅配のお兄さんが持ってきてくれる荷物。

箱が届いて開けてみると、花の苗がいっぱい入っている。

また蕾もついていない小さな苗。

そりゃそうだ、一月だもん。

「勿忘草が大好き」と言ったことを覚えていてくれた。

勿忘草は一年草だから、毎年毎年送ってくれる。

どんなに嬉しく慰められているかわからない。

去年はなぜか私の名前にちなんだマーガレットを送ってくれた。

そして、今年はまた勿忘草。



庭のわすれな草.JPG

子どもの頃の思い出の花。

故郷の田んぼや小川のそばに咲いていた花。

蒼い蒼い小さな花が群れになって咲いていた春。


遠い思い出だ。



今年の誕生日は、父と母を天に送って初めての誕生日。

いろんなことを思い出して、まだ痛みは消えない。

小さな苗は鉢に植え替えられて春を待つ。

まだまだ寒い日もあるし、春までは遠いから、蕾がついてやがて開いて、あの綺麗な小さい蒼い花々が咲くのはずっと先のことだけれど、いつか必ず来るその日を待つことは、私にとって大きな慰めになった。

いっちありがとう。

去年のマーガレットも、今年ちゃんとまた蕾をつけているよ。

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買い物帰りの道で

買い物に行った。

いつもは自転車だけど、この日は歩いて行った。


買い物帰りに重い荷物を持って歩いていた。

自然と視線は下の方に…。

ふと道端を見ると、雪柳が植わっている。

ちらほらと白いものが…!

よく見ると細い枝いっぱいに蕾がついていて膨らんでいるし、いくつかは咲いている。はやっ!…え?雪柳って早春とはいえ1月にはまだ咲かないよね?え?咲く?


ふと顔を上げると、蝋梅が咲いている。マスクをしているから香りなんか全然しないので気がつかなかった。


天気予報ではまだまだこれから寒い時期が来るよ。

冬の空と月.JPG

そんなこんなでマスクの中で

「お父さん。雪柳が咲くよ。」と小さくつぶやく。

報告しなくたって知ってるよね。


見上げると夕空に白い月がかかっていた。


「お母さん。聞いて欲しい事があるんだけど。」

聞いて欲しい事があるのかな。

聞きたい事があるのかな。

どっちだっけ。

どっちだかわからない。

どっちでもいい。


「会いたいなあ。」


そう呟きながら帰ってきた。

夕暮れ.jpg


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誕生日と待つことと旅のその先のこと [今日の事]

昨日19日、63歳の誕生日を迎えた。

若い頃は60代なんて本当におばあちゃんだと思っていた。

うん。

間違ってはいないなあ。

年とともに確実に老いていく髪質や肌や、身体の変化。

40代の終わりから白髪を染めてきたけれど、50代の途中からもう染めるのをやめた。母の白髪が綺麗だったことや、顔の衰えと髪の色が不釣り合いだったことなどが白髪染めを辞めた理由でもあった。

そのほかに、じっくり詰めて考えを深めていくことの困難な脳・・・ん?これは老いのせいかな?それとも、深く考えることを面倒臭いと思ってしまう習慣がついたせいかな。確かにいろんなところで持久力がなくなったのかと思ったけど、何かを待つことは平気になったなあ。


信号が変わるのを待つこと。

歩くのが遅い人の後ろを歩くこと。あるいは一緒に歩くこと。

長い道のりをひたすら歩くこと。

あ、これは前から平気かも。どんなに長い道も一歩歩けば一歩ずつ短くなっていくと思うと、重い荷物を持っていても辛くなくなるね。

銀行や病院で番号を呼び出されるのを待つこと。

・・・時々待ち過ぎて呼ばれているのに気がつかないことも・・・。

そもそも私の動きも遅くなったし、急に振り向くとほぼ確実にふらつくし。


岬の入り口.jpg


63歳を愛そう。

この年齢の私を愛そう。

変わっていく私を認めて佳しとしよう。

新しい私を喜んで受け入れよう。

明日になるとまた一日「佳きところ」に向かう旅の道のりが縮まっていく。

なんと感謝なことか。


hallelujah!!

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実のなる木 [その他いろいろ]

クリスマスが過ぎ、お正月も過ぎて行った。

いつもと全く違った日々が、当たり前のような顔をして通り過ぎて行った。


最後の書き込みから2ヶ月が経った。


♪ 地のちりに等しかり 何一つ取り柄なし

 今あるはただ主の 愛に生くる我ぞ

 御救いを受けし 罪びとに過ぎず

 されど我 人に伝えん 恵み深きイエスを


「ああ、そうだった」と原点に戻ることさえ忘れるほど、「生活〜生きること」にのめり込んで過ごしていた。なんということはない、12月には両親の家を処分して、またひとつ失って行くものを思い返し、それでもお腹はすき、ゴミは出る。


季節は移り変わり、時は過ぎて行く。それでいい。

私の中でも様々な移り変わりがあり、過ぎて行くものとなお求めて行くものがある。


実のなる木1.JPG


持ち続けるために耐え忍ばなければならないことと、次に渡して行くために手放さなければならないことがあるんだな。

主よ。それを見極める知恵を与えてください。

持ち続けることに耐えられなくて楽になるために安易に手放してしまうことがないように。渡さなければならないことをいつまでも握りしめて腐らせてしまうことがないように。


実のなる木と月.JPG

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毎日 [その他いろいろ]

長いトンネルはいろいろなことを考えさせられる。

必ず出口があることくらい知っている。

でも、いつ出られるんだろう。

トンネルの中であっても、走っている限り前に進んでいると思っていいのか。本当にいいのかどうか不安になる。

長いトンネル.JPG

トンネルを走っていて一番嬉しいのは、出た時ではない。遠くに出口が見えた時だ。切り取られたような明るい出口が、映画のスクリーンのように光って輝いて見えた時だな。

そんなことを思いながら毎日を過ごしている。


遠い道を歩いている時、私はその一歩が目的地に近づいていることを思うと、どんなに重い荷物でも耐えていけると思う。一歩ずつ確実に近づいているんだ。

よろよろしながらでも、小さな一歩でも、確かに近づいているんだ。

そう思いながら毎日を過ごしている。

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もっともっとあなたと出会いたい
もっともっとあなたと語りたい
もっともっとあなたと親しくなりたい
もっともっとあなたを知りたい
イエス様
もっともっと。


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良いことをしてくださる。 [今日の事]

月に一度の診察に行った。

数値は上がりもせず下がりもせず。下がって欲しいと思いながら、下がるような生活をしていないよね、と思い返す。

毎月の診察は、裁判所に出廷するような思いででかけていく。明らかにされる結果におののきながら。

そんなに恐れるのなら、そのような生活を心がけ、守らなくてはならないことを守って過ごせば良いのだ。そうなのだ。そうできないのだ。なぜなのだ?

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わかっている。わかっているけどやめられないのね。
疲れた時の甘い一口が・・・。
今日は嬉しい報告があった。
母の祈りが実を結ぶような。
御心がなりますように。
夜は更けて新しい朝がくるのだ。
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たとえそうでなくても、願い続けよう。私の思いではなく、ただ最善をなしてくださる主を信じて。
そう、一番良いことをしてくださる良い方を信じて。

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