なわすれそ [想い出いろいろ]
私の痛いほどの懐かしい思い出のほとんどは、北国の小さな町の小さな教会で育った日々の中にある。
年子で三人の姉妹は、朝から夜寝床に入っても続くごっこ遊びと一歩外に出たら開ける自然の豊かさに夢中だった。
春に夏に秋に冬。いつもいつもどこにいても季節の贈り物に満ちていた世界。
白く閉ざされる冬は、どこまでも青く透き通っていた。
吹雪の日は1日家の中で、本を読んだりカルタをしたり、トランプで遊んだり、折り紙をしたり、母が教えてくれる冬の遊びは限りなく楽しかった。
やがて滴り落ちる雫の音で春が開けていく。
家の前の見渡す限りの(子どもだったからそう見えた)田んぼが耕されて水が入る。
どの道もどの場所も、溶けた雪でぐちゃぐちゃで、でも吹く風の匂いは新しい春が来ていることを教えてくれた。
やがて一斉にすべての花が咲き始めるともう夏は近い。
夏のトンボやカエルや様々に咲き乱れる花。
遠くに見える大雪山とその手前に見える北見富士。
短い夏はすぐに過ぎ去り、風に冷たさが混じり、やがて雪虫が飛ぶ。
家ではそろそろクリスマスの準備が始まる。
遠い札幌から、クリスマスグッズと教会用品と本をたくさん積んだ車がやってくると、夢中になってはこの中から出てくる品物に魅入った。綺麗なクリスマスカードはアメリカの匂いがしたし、表面に飾られているキラキラの模様は、本の中でしか知らない違う世界を思わせた。
夜、寝間着のままでそっと外に出て見ると、凍るような空気の中で静かに暖かく雪が降り積もっている。空を見上げていると、凍える手足のまま空に昇っていくようだ。
吹雪の日があり、日が差して目が開けられないほど雪が輝く日があり、静かに雪が積もっていく日があり、そうして少しずつ終わらないと思えるほど長い冬が通り過ぎていく。
冬には凍ってしまう武華川(無加川とも書く)が少しずつ動き始めて、やがてまた春がやってくる。
川岸に植わる柳の木は、春になると薄緑の優しい新芽をたくさん付ける。
そんな書ききれないほどの思い出の中心にその教会はたっていた。
私たちの家。
私たちの教会。
この春雪が消えたら解体される。
建てられて約60年。よく持ったほうだと思う。
もう人の住まない家は、残念だけれど荒れてしまう。
さようなら。三角の青い屋根。
さようなら。塔の上の十字架。
さようなら。小さな教会。
そしてありがとう、ありがとう、ありがとう。
2019-04-04 12:21
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